【コラム・平野国美】10年ほど前、治子さんと初めてお会いしたときは、夫の介護の最中でした。足腰の痛みに耐えながら、最期まで夫君に尽くされました。そして今度は、患者さんとして再会しました。見た目はあのころとほとんど変わらないのですが、足を少し引きずって歩かれていました。
「今度は私がお世話になります。申し訳ございません」。性格が真面目なので、人の世話はするが、世話されるのは申し訳ないと思うようです。遠方に住む家族が介護サービスを受けるよう説得しましたが「人様のお世話になるなんて…」と言われ、困っていました。
最近は体の衰えもあり、時々、転倒するようです。転んだ痛み以上に、精神的な苦痛を感じるようです。そして、最近は頭も少しぼんやりとしてきたようです。10年ほど前、御主人の介護をしていたころは、しっかりとされており、診察のいい間に紅茶をいれてもらったものでした。
今日もそのころと同じように「紅茶を入れますね」と、台所に向かったのですが、10分ほどしても戻ってきません。台所をのぞいてみると、ぼんやりと立ち尽くしています。「治子さん」と声をかけると、「せんせい、私、一体何をしに台所にきたのかしら」と言うのです。慰めながら椅子に座らせると「なんでこんなになってしまったのかな?」と、1時間も2時間も泣き続けるのです。
自分の老いを理解する知性
私は帰るわけにもいかず、治子さんと向かい合っていると、その肩越しに金魚の水槽を見つけました。水槽の中の1匹の金魚が腹を水面に向けたまま浮いています。微動だにしないので、死んでいるのかと思ったのですが、突然、動き出して、姿勢を立て直そうとしました。
「生きているのか」と眺めていると、また、船が転覆したように、腹を水面に出して浮いてしまうのです。何だろうと、スマホに「金魚、逆さま」と入力して調べると、「転覆病」「原因は魚の浮袋の機能不全」「便秘による腸の膨満または加齢によるもの」など、いろいろ出てきました。
どうやら、人間でいう「体調不良」「寝たきり」に近いものと思われます。いつの間にか、治子さんも、水槽の中を心配そうに見ています。「転覆病っていうんですって」と、今知ったばかりのことを聞かせると、「そうですか。私だけじゃないんですね、苦しんでいるのは」とうなずかれました。
老境(ろうきょう)と言う言葉があります。人生の晩年に差し掛かった老人の境遇や心境といった意味です。しかしこの言葉には、もっと深い意味があると思うのです。
老境に入るとは、その方のこれまでの生き方や心境を表現していると思います。確かに、治子さんは認知症の影が見え始めています。しかし、転覆する金魚の姿を見て、自分の老いを理解する奥深さ、知性がある気がするのです。その後、2人で小1時間ほど老境の話をしました。(訪問診療医師)