金曜日, 4月 4, 2025
ホームつくば日本最大級の「ねこハウス」4月1日オープン つくばわんわんランド

日本最大級の「ねこハウス」4月1日オープン つくばわんわんランド

40種70匹と触れ合い

猫ブームの中、日本最大級の猫との触れ合い施設「ねこハウス」が、つくば市沼田、犬と猫のテーマパーク「つくばわんわんランド」(東郷治久代表)内に新設され、4月1日オープンする。40種類70匹の猫と触れ合ったり、一緒に遊んだり、えさをやったりできる。

珍しい猫がたくさんいる室内。(上段左から)スフィンクスの毛づくろいをするトイガー、サイベリアン、アビシニアン(下段左から)ラグドール、ジェネッタ、ベンガル

マンチカン、スコティッシュフォールドなど人気の猫のほか、スフィンクスやバンビーノなどの珍しい種類、日本ではブリーダーが1軒しかいない新しい種のバーミラなどがいる。オープンにあたって北海道や和歌山など全国のブリーダーから人気の猫や珍しい猫を集めたという。

施設は木造平屋建て、床面積約200平方メートルで、室内には猫が上り下りする大型のキャットタワーが3基設置されている。同園として3代目の施設となり、現在の2代目ねこハウスの2倍以上の広さがある。

ねこハウス外観

現在のねこハウスは1回の入室者を30人までに制限していることから、混雑時は猫と触れ合いたい入園者が待たされたり、入室できないなど、残念なまま帰宅する入園者がいて、新施設を開設することになった。新施設は一度に60~70人が入室できる。

29日、関係者が集まって神事とテープカットが催された。東郷代表は「猫がブームになっていて、猫派が急に増えていると感じる。当初は犬と触れ合うついでに猫と触れ合ったが、今は犬を見ないで猫だけ見にくるお客様も増えている。レアな猫がたくさんいる。お客様の声に応えていきたい」と話す。

テープカットする東郷治久代表(中央)ら=ねこハウス内

同園は、90種1000匹以上の犬と、40種70匹の猫がおり、触れ合ったり、犬を散歩させたりできる。園内や周辺にはブリーディングハウス、ペット専門学校、老犬ホーム、ペット葬祭場がある。今年28周年を迎える。

一方、えさ代や光熱費などの高騰により、4月1日から25年ぶりに入園料を値上げする。新しい入園料は大人(中学生以上)2000円(ウェブサイト割引券使用は1700円)、子供(3歳~小学生)1000円(同800円)、乳児(3歳未満)無料、65歳以上1000円。同伴犬は無料。問い合わせは電話029-866-1001(同園)。

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