【コラム・古家晴美】10月に入っても関東では所々で30度以上になったというのに、近畿地方では23日に木枯らし1号が吹いたそうだ。秋が短くなってしまったのか…。街路樹の木々が慌てて紅葉しているように感じられる。
今回は、かすみがうら市歴史博物館のご好意でいただいた貴重なわらを使い、何か作りたいと思った(当初、納豆のつもりだったが、それは次回のお楽しみ)。 ということで、「こも豆腐(つと豆腐)」を取り上げる。
作り方は、藁苞(わらづと)を作り、そこに崩した豆腐を詰め、豆腐の周囲にわらを均等にめぐらせ、両端を縛る。これを大鍋でゆでた後、水に放して冷やし、わらを剥がす。この後、砂糖、醤油、みりん、酒で煮る。
一見、シンプルに見えるが、実際に作ってみると、苞(つと)に豆腐を入れてうまく形をつけるのが結構難しく、往生した。しかし、思わぬご褒美も手に入れた。ゆでているときに、何気に鍋の上に顔を寄せると、かすかに懐かしい香りがした。何の香りかとしばし頭を抱えたが、それはご飯の炊きあがりのときの湯気を連想させたのだ。
わらとご飯。稲を介しての結びつきは当然といえば当然だが、なぜか、少し胸が熱くなった。写真のこも豆腐は味付けをする前のもので、薄茶色は、わらの色だ。
ほのかなわらの香りと特徴的な形
こも豆腐が茨城県内全域で作られていた、とする資料もあるので、県南地域に特定し資料を探してみた。しかし、残念ながら私見の及ぶ限りでは見つけ出すことができなかった。もし、県南地域で、召し上がった経験がおありの方がいらっしゃったら、ご一報いただきたい。こも豆腐は、主に県央地区で冠婚葬祭の機会に出されたハレ食だ。
ほのかなわらの香りと、藁苞の形を残した特徴的な形状。そして、何よりも多くの手間が日常食にはない特別な存在感をもたらす。食べたときには、香りとなめらかな食感が印象的だった。
自家製の大豆を味噌や納豆に加工することは、多くの家庭で行われてきたが、豆腐作りとなると戦前でも散見する程度で、豆腐屋から購入することが多かったようだ。さらに、それに一手間かけたこも豆腐は、やはり特別だったろう。
ところで、コンバインの導入後、わらの入手が困難になり、それまで手作りだった正月のしめ縄を購入したり、ホームセンターでわらを購入するという話を聞く。こも豆腐や手作り納豆の減少も、農業の機械化の影響を少なからず受けているといえる。(筑波学院大学教授)