火曜日, 2月 3, 2026
ホームつくば超小型衛星を野口聡一さんの元へ 打ち上げ待つ筑波大発宇宙ベンチャー

超小型衛星を野口聡一さんの元へ 打ち上げ待つ筑波大発宇宙ベンチャー

【相澤冬樹】筑波大学発宇宙ベンチャー、ワープスペース(本社・つくば市吾妻)開発の超小型通信衛星が、国際宇宙ステーション(ISS)へ向かう補給船に搭載され、21日未明(日本時間)に米国から打ち上げられる。17日、常間地悟(つねまち・さとる)CEOが会見し、「県内の民間企業としては初めての衛星の軌道投入になる」と意義や狙いを語った。

21日午前2時36分、米国東海岸のワロップ島海軍基地からアンタレスロケットで打ち上げられる。補給船に搭載されるのは、一辺が約10センチ角の立方体で、重さ1.3キロの超小型衛星「WARP-01(ワープゼロワン)」。同社にとって初号機で、「日輪」の愛称を持つ。

宇宙飛行士の野口聡一さんが滞在中のISSに届けられた後、地上約400キロの低軌道に放出され実証試験に移る。放出時期は未定だが、1-2カ月の間と見通されている。常間地CEOは野口さんと同郷(神奈川県茅ケ崎市出身)で、「ぜひ滞在中に放出の機会が訪れてほしい」と話す。

「WarpHub InterSat」のイメージ図(ワープスペース社提供)

同社が目指すのは、光通信モジュールを搭載した中継衛星を高度1万キロに打ち上げ、低軌道衛星のデータを受け渡す「WarpHub InterSat(ワープハブ インターサット)」というネットワークシステムの構築。地球に近すぎて通信しづらい低軌道衛星の難点を克服する「世界で初めて取り組み」だとしている。今回の実証実験では軌道やオペレーションを検証し、実用機に反映させるのが狙いだ。最長で2年間の運用を見込んでいる。

同社の目論見では、2022年に中継衛星の1号機を打ち上げ、23年に2機を追加し計3機によってネットワークを展開。地上局とユーザーの低軌道衛星との間を24時間365日にわたって常時接続できるシステムの構築を目指している。中継衛星は現在、設計に着手したところだ。

常間地CEOによれば、従来の人工衛星は数百キロから数トンのサイズのものを高度数万キロに打ち上げていたが、現在は数キロから数十キロの小型衛星を低軌道に放出するケースが一般的で、事業開発コストが大きく下がった。これにより2030年の小型衛星の数は1万2000基と、22年見込み比で1.8倍の規模まで増える見通しという。

こうした動きに伴い世界全体の地球観測市場は急速に拡大。これまでは政府機関が観測データの主要ユーザーだったが、近年は金融や流通業界に加え漁業や農業など第一次産業向けのニーズも高まっている。世界各地で頻発している山火事や洪水など大規模な自然災害の把握にも有効とされ、発生直後から撮影した映像情報を途切れることなく入手し、被害を最小限に抑制できることなどが期待されるという。

ワープスペース社は2016年設立、約3年前から光通信を利用した人工衛星向けの通信インフラ事業に取り組んできた。常間地CEOは筑波大学・同大学院卒。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

筑西市の「廣澤美術館」《ふるほんや見聞記》13

【コラム・岡田富朗】筑西市にある廣澤美術館は2021年1月2日に開館しました。本館の設計を手がけたのは建築家・隈研吾氏です。全国各地から集められた約6000トンもの巨石が配された建築は、力強い存在感を放っています。敷地内には芝生の庭や竹の庭、そして本格的な日本庭園が広がっており、庭園を目当てに来館される方も多いそうです。 廣澤美術館が位置する「ザ・ヒロサワ・シティ」は東京ドーム約1.2個分に相当する5万6000平方メートルの広大な敷地を誇り、陸・海・空・宇宙の乗り物がそろう「ユメノバ」というテーマパークがあり、博物館にはクラシックカー、航空機、ロケットなどが展示されており、さらには宿泊施設まで備えられています。 美術館では、横山大観、板谷波山、松井康成、鶴岡義雄といった茨城県ゆかりの作家から、棟方志功、中川一政、千住博、齋藤清、伊東深水など、日本美術を代表する作家の作品を幅広く所蔵しています。展示は2カ月から2カ月半ごとに入れ替えられ、何度訪れても新たな出会いがあります。 陶芸の匠 東西展 2026年1月28日から4月5日までは「陶芸の匠 東西展」が開催されます。東は板谷波山、濱田庄司、加守田章二、松井康成、島岡達三、田村耕一、西は富本憲吉、楠部彌弌、河井寛次郎、大樋長左衛門、清水卯一、三輪休雪と、東西を代表する名匠たちの作品を楽しむことができます。 黄金の茶道具 さらに注目すべきは今年の大河でも注目されている、豊臣秀吉ゆかりとされる「黄金の茶道具」です。文禄・慶長の役で功績を挙げた藤堂高虎に秀吉が与えたと伝わるこの茶道具は、2024年の特別展で初めて一般公開されました。現在は廣澤美術館本館から浄(きよら)の庭を抜けた敷地奥に位置する「つくは野館」にて常設展示されています。 秀吉と藤堂高虎 豊臣秀吉と藤堂高虎については、金の茶道具にまつわる以下のような逸話が残されているそうです。 秀吉が明(中国)征服を目論(もくろ)み、朝鮮半島に進軍した文禄・慶長の役(1592~93、1597~98)に出征した高虎は、船奉行として水軍を率いて活躍しました。秀吉はその敢闘を称え、高虎の出家を引き止めて伊予国板島(現愛媛県宇和島市)7万石の大名に取り立てました。 その後も1万石を加増するなどひときわ厚遇し、さらに褒美の一つとして自らが黄金の茶室で愛用していた金の茶道具を授けたと伝えられているそうです。 また1732(享保17)年には、神戸藩から常陸下館藩に加増移封となった藩主石川総茂のもとに藤堂高虎の孫娘が正室として嫁ぎ、明治までの約140年間、石川家は下館藩主として下館(現筑西市)の地を治めており、藤堂家と筑西市との深いつながりを見ることができます。(ブックセンター・キャンパス店主)

仏英に海外出張 五十嵐つくば市長 目的、費用など初めて事前公表

議会の指摘受け つくば市の五十嵐立青市長は2月1日から8日までの8日間、フランスとイタリアに海外出張する。職員5人が随行し、航空運賃や宿泊費などの概算費用は計約450万円。フランスのグルノーブル市で開催される国際会議に登壇などするという。 市長の海外出張をめぐっては昨年、議会から「回数が多く、期間が長い」などの指摘があり、東京都知事の海外出張に関する運用指針にならって、つくば市でも運用指針を策定するよう注文が付いていた。市は今年1月に運用指針を策定。指針に基づいて今回初めて、事前に目的や出張概要、概算費用などが市ホームページで公表された。 五十嵐市長が海外出張に行くのは今年度は今回が初めて。当初予算では2回分の予算を付けていた。 公表資料によると、つくばの魅力を世界に発信し優秀な人材に目を向けてもらうことを目的に、フランスのグルノーブル市で開かれる国際会議「ハイレベルフォーラム」に招待されたことから、同会議に登壇し「つくばエコシステムの最新動向」というテーマで話す。さらに、グローバルな知見を市政運営に生かすことを目的にイギリスを訪れ、マンチェスター市で労働者協同組合による地域課題解決の仕組みを、バーミンガム市で生物多様性施策の推進に向けた取り組みを視察する。 市長の具体的な日程は▽1日夜、羽田空港を出発▽2日、フランスのリヨン着。陸路でグルノーブル市に行き、国際会議「ハイレベルフォーラム」のレセプションに参加する▽3日は、同ハイレベルフォーラムに参加し登壇するほか、グルノーブル市長に面談する。夜は再びレセプションに参加する▽4日は、グルノーブルからリヨンに移動。飛行機でイギリスのマンチェスターに移動する▽5日は、労働者協同組合発祥の地、マンチェスター市のロッヂデールで、自治体と連携した同協働組合について話を聞いたり意見交換し、数カ所の組合を視察する▽6日朝、バーミンガム市に列車で移動、市長を表敬訪問し生物多様性施策の推進について意見交換するほか、図書館と生物多様性関連施設を視察する▽7日朝、列車でロンドンに移動し、帰国の途に就く▽8日夜に帰国するという。 随行職員は5人で、秘書課職員1人が全日程の8日間、市長に随行するほか、科学技術戦略課職員2人が6日間、国際都市推進課職員と市長公室政策員の2人が5日間随行する。 概算費用450万円の内訳は、五十嵐市長が約170万円、随行職員5人が計約280万円などで、航空運賃、宿泊費、日当、現地の移動費、海外旅行保険、wifi賃借料など。五十嵐市長はビジネスクラス、職員はエコノミークラスで渡航する。出張費用については議会の指摘を受け策定した運用指針に基づき、各課いずれも3社から見積もりをとったという。 帰国後は速やかに、出張費用の詳細と出張報告を公表するとしている。 市長の海外出張をめぐってはこれまで、山中真弓市議(共産)が昨年の市議会一般質問で取り上げ、直近3年間で計5回の海外出張を行い、2365万円の市税を使っていたと批判、「回数が多く、期間が長い」などと問題点を指摘していた。さらに昨年9月の定例会議では、市長の航空運賃の条例改正をめぐって、ファーストクラスまで利用できるとなっていた市長提案の条例案を、市議会がビジネスクラスまでと修正。その際、山中市議のほか小森谷さやか市議(市民ネット)から、市長海外出張の運用指針を策定し①出張の目的を明確にし、事前に目的、出張概要、概算費用を公表する②航空券の手配は複数の事業者から提案を受け経費節減に努める③出張後は速やかに出張経費の項目ごとの内訳、数量を含む詳細な情報と、出張の成果を公表するーなどの内容の指針をできるだけ早く策定するよう求めた経緯がある。 山中市議は「運用指針が作られたことは前進だが、日程を見ると、海外に行ったついでにあれこれ予定を詰め込んでいるように見え、市長が行く必要が果たしてあるのか疑問」だとし「国際会議に招待されているなら相手方が旅費を出してくれるはず。その他の視察先をさらに入れることで旅費がかさんでおり、節減に努めたと感じられない」などと話している。(鈴木宏子)

大岩剛監督が帰国報告 U23アジアカップで2連覇 サッカー男子

関彰商事つくば サウジアラビアで開かれたサッカー男子U23アジアカップで優勝し、2連覇を達成したU21日本代表の大岩剛監督(53)が帰国し、2日、スポーツアドバイザーを務める関彰商事つくばオフィス(つくば市二の宮)で開かれた帰国報告会で大会を振り返った。関太士副社長のほか社員約100人が集まった。 大岩監督率いる日本代表は、他国の出場チームが23歳以下で戦う中、21歳以下のチーム編成で臨み、高い完成度と組織力を発揮し、全試合失点0で大会を制した。 日本時間1月25日に行われた決勝戦では中国代表と対戦。中国は今大会、堅い守備を武器に無失点のまま決勝まで勝ち上がった強豪だが、日本代表は試合を通して主導権を握り、4-0で快勝しアジア王者に輝いた。 帰国報告会で大岩監督は「若いチームを率いたので、選手を鼓舞しながら戦っていくのは大変だった。その中で選手たちはどんどん成長していった。アジアのサッカーは強くなっている。今回日本は21歳以下で戦った。みんな格上のチームと考えていい中で勝ち抜き、2連覇を達成したことは素晴らしいこと」だと話した。 昨年、鹿島アントラーズがJ1で優勝、水戸ホーリーホックがJ2で優勝し、筑波大学も全日本大学サッカーで優勝したなど茨城旋風が吹いたことについては「期待されると選手ががんばるというのは事実。今年も鹿島は優勝候補だし、水戸もがんばれるのではないか」と話した。 社員から「短い間で組織を作り上げる方法」について質問が出て、「スタッフを信じ、ミーティングを効果的に短くすることが大事」とアドバイスした。 関副社長はあいさつの中で「大岩監督は時間があれば会社に出勤してくれる真面目な方。今回は優勝とともに、失点0に監督やチームの強い意思を感じることが出来た」と述べた。 大岩氏は静岡県出身、静岡市立清水商業高等学校、筑波大学を経て、名古屋グランパスエイト、ジュビロ磐田、鹿島アントラーズと選手時代を過ごしたあと、鹿島のコーチを務め、2021年にはU-21の代表監督に就任した。2024年のパリ五輪でもチームを率いた。(榎田智司)

掛け声は「福は外」 土浦 瀧泉寺で七福神らが豆まき

開山620年 本堂に場所移し 節分を前に、土浦市中心市街地にある瀧泉寺(りゅうせんじ、中央2丁目)で1日、節分会追儺式七福神豆まきが行われた。毎年2月3日に近くの中城不動院(中央1丁目)を会場に豆まきを行っているが、今年は開山620年祭として本堂境内へ場所を移した。掛け声は「福は外」で、これは「お寺には鬼はおらず、お寺の福を皆さんにお分けする」という意味だそうだ。 「当寺が620年間も時代を乗り越えて続いてこられたのは、支えてくださった檀家さんらいろんな方々のおかげ。お礼の意味で皆さんに福をお授けしようと、例年より内容もさらに盛大に開催した」と住職の齊藤純英さん。 午後3時から節分会追儺式の法要が行われた後、いよいよ年男らが本堂前の特設舞台に登場。安藤真理子市長や下村壽郎市議らによる七福神のほか、乙姫に扮した高橋直子県議と、市非公認キャラクターのキララちゃんも加えた九福神が、集まった善男善女に向けて福豆や紅白のもち、菓子、おひねりなどを投じた。 参加者の一人、阿見町から来た佐藤しをりさん(45)は「例年の不動院の豆まきもこじんまりとして楽しいが、ここでは広々とできてよかった」と感想。授かった福餅は来年受験を控える娘のために持ち帰り、家できなこ餅にして食べるそうだ。ほかにも伊東大翔ちゃん(5)は「いっぱい拾えて楽しかった」、梶原杏那さん(7)は「ちょっと怖かったけど楽しかった」などと話していた。 かつて土浦城の祈願寺 瀧泉寺は同寺は土浦市街部の中では最古級の寺の一つ。1406(応永13)年の開山で、大岩田法泉寺の興誉上人が開いた。法泉寺は当時、小田領4カ寺の一つとして隆盛を誇った。 最初に瀧泉寺があった場所は勝軍木(ぬるで)郭(旧鷹匠町、現中央2丁目)といい、亀城タクシーの裏手のあたりだったらしい。1605(慶長10)年あるいは1619(元和5)年に、土浦藩主により現在地(筑波銀行本店裏)へ移された。寺嶋誠斎「土浦史備考」は元和5年説で罹災が原因という。 1691(元禄4)年に時の藩主・土屋政直が同寺を土浦城の祈願寺と定め、以降は年2回、城内の守護繁栄と歴代城主の供養のため、住職が登城して護摩祈祷をするなど深く関わった。本尊は十一面観音菩薩坐像で市指定文化財、頭部は南北朝~室町初期の作とされる。本堂前にある樹高9メートルのクロガネモチも市指定名木に指定されている。(池田充雄)