金曜日, 9月 12, 2025
ホーム土浦殻ごと食べられる霞ケ浦・北浦産のテナガエビ 加工品が県品評会で農水大臣賞

殻ごと食べられる霞ケ浦・北浦産のテナガエビ 加工品が県品評会で農水大臣賞

【山崎実】海のエビに比べ、殻ごと食べられる淡水のテナガエビはカルシウムが多く最近、人気の食材になっている。茨城県の沿海と霞ケ浦・北浦部門の製品を一堂に集めた今年度の「茨城県水産製品品評会」で、霞ケ浦・北浦産のテナガエビを原料にした「大えび赤煮」(大輪水産、行方市)が農林水産大臣賞を受賞した。テナガエビでの大臣賞受賞は。2009年以来10年ぶり。

茨城のテナガエビ生産量は253トン(2018年)と全国一を誇り、続く青森の25トン、北海道の12トンを引き離している。今回の受賞を契機に改めて消費者の関心を集めることになりそうだ。

品評会は水産加工業の発展と品質の向上を目的に1963年から毎年行われており、今年度は沿海部門が113点、霞ケ浦北浦部門が250点の計363点(昨年度は365点)が出展された。

全般的には丸干しや開き、佃煮など伝統的な製品を基調にしながら、消費者ニーズに対応するため、そのまま食べられる調理の手間が少ない製品や、洋風の味付け製品もあった。沿海部門では、シラス、サバの塩干品のほか、豊漁のメヒカリ、ツブガイ、ハナダイなど地魚の加工品が目立ったのが特徴。

特に注目されたのが初めて農林大臣賞に輝いた「大えび赤煮」。5センチ前後の大きなエビだけが使われ、鮮度を保ち、煮くずれがなく「調味に白しょうゆを使用することで『柔らかくて甘い香り』や『上品な味』などのおいしさを併せ持つ製品」(講評)と高い評価を受けた。

沿海、霞ケ浦北浦部門で農林水産大臣賞を受賞した製品は、来年開かれる全国農林水産祭・天皇杯の受賞候補になる。今年度の品評会の主な受賞製品は次の通り。

〈沿海部門〉▽農林水産大臣=北海蒸し蛸(樫寅、ひたちなか市)

〈霞ケ浦北浦部門〉▽農林水産大臣賞=大えび赤煮(大輪水産、行方市)▽水産庁長官賞=はぜ佃煮(中村商店、かすみがうら市)、若さぎ甘露煮(山澤水産、潮来市)▽県知事賞=白魚煮干(貝塚忠三郎商店、かすみがうら市)、くるみちりめん(はしもと、行方市)、海老の佃煮(箕輪名産店、土浦市)

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クレオ向かいの T.S BUILに移転 つくば市のコミュニティーFM「ラヂオつくば」(周波数84.2HMz、つくばコミュニティ放送=堀越智也社長=)のスタジオがこのほど、つくば駅前の商業施設トナリエクレオ3階(同市吾妻)から、向かいのT.S BUIL(ティーエスビル)1階に移転した。新しいスタジオの名称は「となりのスタジオ」。 新スタジオはつくば駅前広場線に面し、つくば駅やバスターミナルを利用する通勤・通学者や買い物客など多くの人が行き交う。前のスタジオの賃貸契約が切れるタイミングで、道路に面した場所に7月28日、移転した。約1カ月がたち、生放送中に通行人が足を止めたり、手を振ったりする姿が見られる。 スタジオの面積は約17平方メートル。2階に上がる階段があり、ゲストの控室にもなっている。 夕方の生放送番組「つくば You’ve got 84.2(発信中)!」(つくばゆうがたはっしんちゅう)月曜日担当の有働文子アナウンサーは「新しいスタジオは、道路に面しているので人の行き交う様子や空の色を眺められて、新鮮」とし「一般観覧ができるようになれば唯一無二の素敵な場所になりそう。地域になくてはならないハブになっていけるように、より精進したい」と意気込みを語る。 昼の生放送番組「what tsukuba」(わっつ つくば)金曜日担当の江田麻裕子アナウンサーは「新しいスタジオの前は人通りが多く、地域の人に直接発信している感覚が強い。メディアとして人の目につくことは意味がある」と話し「今後はイベントの周知など、市民が番組を使って発信できるハブになったらうれしい」と語った。 ラヂオつくばは、2008年に設立されたつくば市のコミュティーFMラジオ局。放送区域はつくば市および土浦市の一部だが、インターネットやラジオアプリを使えば世界中から視聴できる。実際スイスから番組を聞いているリスナーもいるという。 ラヂオつくばで生放送されている番組は、月曜から金曜の午前11時から午後1時までの「Wh@t?Tsukuba!」、午後5時から7時までの「つくば You’ve got 84.2(発信中)!」など。(伊藤悦子) ➡ラヂオつくばのホームページはこちら。

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防災月間に原発震災を考える《ハチドリ暮らし》53

【コラム・山口京子】9月は防災月間ですが、1923年9月1日に起きた関東大震災に由来し、1960年に政府によって9月1日が「防災の日」と定められました。 1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こり、その頃から日本列島が地震の活動期に入ったのではないかと指摘する専門家の話を耳にするようになりました。確かに、新潟県中越地震(2004年)、同中越沖地震(2007年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)、北海道胆振東部地震(2018年)、2024年能登半島地震(2024年)、鹿児島県十島村悪石島地震(2025年)と続きます。 地震は自然現象、震災は地震災害。自然現象は防げないけれど、震災は防災や減災に取り組むことで抑えられます。でも地震と津波と噴火が連動して起きたらどうなるのでしょう。そのとき、原子力発電所はどうなっているのでしょう。心配性で臆病な私は怖くてなりません。 原発震災という言葉を本で知りました。地震による災害に加えて、地震に伴う原子力発電所の事故で大量の放射性物質が外部に放出され、被害を増幅させる破局的な災害のことです。大地震と原発の過酷事故が起きないかもしれません。万が一、原発の過酷事故が起きたら、どうなってしまうのか…。 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を体験したことで、不安はぬぐえません。事故は収束していませんし、「原子力緊急事態宣言」は解除されていません。原子核反応と生物は共存できないように思うのです。 机上の定めと現実の隔たり 能登半島地震のあと、能登半島には北陸電力志賀原子力発電所があるということを知りました。また、この震源地の近くの場所に、関西電力、中部電力、北陸電力による珠洲原子力発電所の設置計画があったことも。それが地元住民と全国の反対運動によって、2003年に撤回されたことも知りました。 実際に原発震災に遭遇したらどうすればよいのか、自分事として考えたことはありませんでした。怖すぎて思考停止です。自治体の「地域防災計画(原子力災害対策編)」では、原発から半径5キロ圏内は30キロ圏外へ避難、その外側から30キロ圏内では屋内退避を基本―としています。 能登半島地震では、多くの道路が壊れて通行不能になったり、住宅が壊れれば屋内退避は無理だったり…。机上の定めと現実の隔たりも怖いことです。(消費生活アドバイザー)

茗渓学園、学校移転を中止 TX研究学園駅南側

TX研究学園駅の南側に移転する計画だった茗渓学園中学校高等学校(つくば市稲荷前1-1)は9日、ホームページ上で、新学園の建設費用が当初想定を上回る見込みになったため、校舎・グラウンド・学生寮から成る学園の移転を断念するに至ったと発表した。これまでの計画では、学園創立50周年に当たる2029年春、TX駅南側の大規模開発地の一角に移転することになっていた。 宮崎淳校長は発表の中で、①教育環境の充実、施設の更新、アクセス向上を目的に、移転計画を進めてきた、②しかし建設費高騰や社会経済情勢の変化により、当初想定を大幅に上回る費用が見込まれる状況になった、③その結果、現条件下では、学びの場にふさわしい環境を十分に実現するのは困難と判断、本計画を断念した―と述べている。 大規模開発の目玉に「穴」 茗渓学園が移転を計画していたのは、大和ハウス工業(本社・大阪市)が研究学園駅の南側隣接地(つくば市学園南2丁目)で進めている大規模複合開発用地(総面積15.5ヘクタール)の駅に近い区画。大和ハウスはここに4.3ヘクタールの区画を用意、研究学園都市の複合開発事業の目玉として、茗渓学園を誘致する計画を進めていた。 宮崎校長も「私学の良否を決めるのは、クオリティ(学校の質)、コスト(授業の経費)、アクセス(通学の利便性)の3つだが、新学園は駅から徒歩5分のところに位置し、アクセスは申し分ない。移転情報がすでに広く伝わり、これまで1500人で推移してきた学生数が最近では1600人に増えた。学内の設備も大学並みに整えたい」(2025年4月2日の開発安全祈願祭後の記者会見)と、移転に強い意欲を見せていた。 現校地の教育環境を段階整備 移転断念後の計画について茗渓学園は「移転を予定した2029年を一つのマイルストーン(節目)と位置づけ、現校地における教育環境の整備計画を段階的に検討・推進していく。具体的には、寮・食堂などの生活環境の向上、理科・芸術棟の整備などを視野に入れている」としている。 違う法人誘致を検討 大和ハウス 茗渓学園の移転断念を受け、大和ハウスの関係者は「ほぼ決まっていた移転について、断念の申し入れがあったのは事実。茗渓学園のために用意した敷地は広く、駅からも近い。この一等地に興味を示している法人は複数ある。違う法人を誘致することを検討している」と述べるにとどまり、具体的な業種名や法人名などに言及することは避けた。(坂本栄) ➡過去記事はこちら(2023年11月6日付、25年4月2日付)