木曜日, 3月 28, 2024
ホームスポーツ【高校野球茨城’19】霞ケ浦と常総学院が準々決勝進出 土浦日大は敗れる

【高校野球茨城’19】霞ケ浦と常総学院が準々決勝進出 土浦日大は敗れる

【池田充雄】第101回全国高校野球選手権茨城大会は20日、4回戦4試合が各球場で行われた。J:COMスタジアム土浦では第1試合で霞ケ浦が藤代と対戦、延長10回に4番・山本雄大の一振りで1-0のサヨナラ勝ちを収めた。第2試合では常総学院が東洋大牛久と対戦し2-0の完封勝ち。ノーブルホームスタジアム水戸では第1試合では土浦日大が水城に0-6で敗れた。準々決勝4試合は22日に行われる。

霞ケ浦、延長で中山をとらえる

霞ケ浦の先発・鈴木。次戦では石岡一・岩本との投げ合いが楽しみだ

土浦の第1試合は霞ケ浦が鈴木寛人、藤代が中山航と両エースがそろい踏み。緊迫した投手戦を繰り広げた。

鈴木は序盤、最速147キロの直球とスライダーで押すが、今大会初登板の緊張でボールが安定しない。3回までは毎回ピンチを迎えるが、要所を締めて無失点にしのぐ。4回以降は徐々に安定し、最終的に10回を完投して三振12を奪った。

一方の中山は、インコースのストレートとアウトコースのチェンジアップで目先を変え、霞ケ浦打線に連打を許さない。強い打球で内野を抜こうとしても、藤代の二遊間コンビの好守に幾度となく阻まれてしまう。

試合は無得点のまま延長戦に突入。10回表は鈴木が足をつらせた影響もあり、藤代が好機を得る。田嶋涼馬の左翼線二塁打を足がかりに死球とバントで1死二、三塁。しかし立ち直った鈴木に3、4番が三振と遊ゴロに打ち取られる。その裏の霞ケ浦は、代打・吉本光甫が中前打と盗塁で2死二塁とすると、打者は4番の山本。苦しめられていたチェンジアップにヤマを張り、打球はセンターを越えるサヨナラヒットとなった。

霞ケ浦は22日、ノーブルホームスタジアム水戸の準決勝第1試合で石岡一と対戦する。

【藤代】中山-藤井 【霞ケ浦】鈴木寛-鈴木春 ▽二塁打=田島(霞ケ浦)
【東洋大牛久-常総学院】3回裏常総学院1死二、三塁、中妻が中堅へ犠牲フライを放つ

常総学院、機動力で着実に得点

第2試合も投手戦になったが、こちらは両投手とも打たせて取るスタイル。その中で常総学院が試合運びで相手を上回り、勝負どころでしっかりとチャンスを得点に結びつけた。

8回を4安打に抑えた常総学院の先発・菊地

先制点は3回裏、手塚悠の四球と鈴木琉晟の左前打などで1死二、三塁とすると、打席は2番・中妻翔。最初はスクイズやヒッティングを試みるが、確実性が今一つと見るや気持ちを切り替え、センターへの外野フライで確実に1点をものにする。

追加点は8回裏、代打・宮下真聡の死球から2死二塁とすると、二ゴロの手塚が必死に一塁に走り込んでセーフにすると、その隙に二走の代走・和久本澪が一気にホームへ生還。抜け目のない走塁で東洋大牛久の気持ちをくじいた。

投げては先発の菊地竜雅が、競った展開でも落ち着いたマウンドさばきを見せ、8回を4安打無失点。最速150キロのストレートやカットボールが冴えた。最終回はエースの塙雄裕がマウンドへ上がり、次戦に向けて調子を確かめた。常総学院は22日、ひたちなか市民球場の第1試合で常磐大と対戦する。

【東洋大牛久】石上-中嶋慎 【常総学院】菊地竜、塙-菊地壮 ▽二塁打=菊地壮(常総)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

注目の記事

最近のコメント

最新記事

地元スタジアムから声援 常総学院、ベスト8届かず 

第96回選抜高校野球大会(兵庫県西宮市、甲子園球場)は27日、第4試合で常総学院が報徳学園(兵庫)と対戦した。常総学院は1-6で敗れ、9年ぶりの春甲子園ベスト8には届かなかった。地元の土浦市川口、J:COMスタジアム土浦では、試合のパブリックビューイングが実施された。 同球場のスコアボードがフルLEDに全面改修された記念として、1回戦に引き続き観客席および外野芝生エリアが無料開放され、熱心なファンが試合を見守った。 阿見町から来た信夫蒼太さん(11歳)と宮本航大さん(同)は、本郷イーグルスで活動する野球少年。常総学院の試合や練習にも足しげく通っている。この日の観戦については「球場の芝生の上で試合が見られるのは最高。負けたのは残念」との感想だった。 蒼太さんの母・美恵子さんは常総学院の給食センターに勤務し、選手たちが練習の合間に食べる補食のご飯も炊くなど、野球部とも関係が深い。航大さん・友美さん親子も、ここ数年にわたって一緒に応援している仲。友美さんは「夏に期待。甲子園まで応援に行くので絶対優勝してほしい」と、次のシーズンに向けてさっそく意欲を高めていた。 第96回選抜高校野球 2回戦(27日、甲子園球場)報徳学園 001130010 6常総学院 000000010 1 試合は、常総学院のエース小林芯汰から報徳学園が10安打を放って大勢を決した。また報徳学園は、常総学院の守備の小さなミスも見逃さず得点につなげた。 常総学院の先発小林は、25日の1回戦で119球を投げて完投しており、中1日での連投の影響もあったようだ。立ち上がりからストレートの制球がいま一つで、カットボールなどの変化球の多投が見られた。報徳学園の先発はエース間木歩。22日の1回戦では3回38球を投げており、この日は初回こそ2四死球を与え2死一・三塁のピンチをつくったが、徐々に持ち直し、8回まで常総打線を5安打に抑えた。 常総学院の失点は3回表。死球と盗塁で報徳学園に1死二塁とされ、3番打者の左飛には近藤和真がわずかに追いつけず、4番打者の中前打には池田翔吾がホームへ好返球を送るものの走者の生還が一瞬早かった。4回表には2死三塁の場面で、9番打者の三ゴロは渡辺翔太が横っ飛びで抑えたが、一塁への送球がワンバウンドになり2点目を失った。 5回表には3安打と2四死球で1点を奪われ1死満塁。ここから小林は直球主体に切り替え、ギアを1段上げて臨むが、四球押し出しと左前打でさらに2点を失った。6回からは平隼磨、8回からは斎藤一磨がマウンドに上がっている。 常総学院は8回裏、先頭の3番・若林祐真が四球を選び、5番・森田大翔の右越え二塁打と、6番・片岡陸斗の右犠飛で1点を奪取。この試合唯一の得点だった。9回表には小林が再登板、3者凡退でピシャリと締めたことは、夏に向けての好材料といえた。(池田充雄)

シニア世代のいろいろな活動紹介します《けんがくひろば》4

【コラム・椎名清代】新しいまち研究学園駅エリア。住民の多くは若い世代ですが、シニア世代も徐々に増えています。今回はシニア世代の活動を紹介します。  体にいいこと、楽しいことしよう 約14年前、研究学園駅前公園でのラジオ体操は1人でした。そのうち、仲間が2人、3人、…、10人と増え、その人たちから「もっと体にいいことをしよう」「もっと楽しいことをしよう」との声が上がり、木曜日に遊ぶ会=『木遊会』が発足しました。 TX駅前マンションを中心に、口コミで仲間が増え、この活動を知った遠隔地の人の参加もあり、ピーク時、この会は160余名に成長しました。  毎月の定例会のほか、年2回のバス旅行会、新年会、観桜会、そば打ち会、芋煮会など、季節ごとのお楽しみ会も行われてきました。趣味が同じ人たちが集う同好会も次々とでき、多くの人が楽しい時を過ごせていたと思います。  ところが、コロナ禍を経て高齢化が進み、役割を担える人が減少してきたこと、この地域に交流センターのような施設がないこともあり、活動を縮小せざるを得ない状況となっています。現在の会員は約120名に減っています。 会では、春の観桜会、夏の納涼会、暮れの忘年会のほか、ゴルフ会(原則隔月コンペ、筑波東急ゴルフクラブ)、麻雀会(毎週金曜日午後、マンション・レーベン研究学園内の林技術事務所)、パソコン会(毎週木曜日午前、同)、グラウンドゴルフ会(毎週水曜日、研究学園駅前公園)、ウォーキング会(毎月1回不定期、徒歩と公共交通機関で近隣へ)などを開いています。 シニアサロンで勉強とおしゃべり 研究学園地域に暮らすシニア世代の多くは、子供世帯と同居あるいは近くに住むため、全国各地から転居してきました。高齢になってから、新しい土地になじみ、友人をつくることはなかなか難しいことです。 自宅にこもりがちになってしまわないか…。そんな懸念から、気軽に楽しく交流できる場が必要と、長年つくば市で在宅診療と認知症ケアに携わってこられた元開業医の先生により、2003年に「サロンゆうゆう」が開設されました。 先生の長い経験から、健康づくり、介護予防、体調変化の見分け方、薬の飲み方など、多くのことを学びました。講話のほかに、軽い体操、歌、ゲーム、おしゃべりで、楽しい時が流れています。  コロナ休止期間を経て、現在、民生委員の方数名がサロンの運営を担っています。知りたいこと、楽しいことを皆で考え、つくっていくこのサロンは月1回開かれています(第2月曜日13:30~、林事技術事務所)。毎回20数名の参加があり、緩やかにつながって、互いに気遣いあう関係ができたように思います。  たくさんの人と交流して、これからの時間を大切に過ごしてゆきたいと思います。(けんがく活動団体協議会代表)

2団体で共同運営に 不登校児童・生徒の支援施設、つくばセンタービル内に移転 

つくば市の施設である市産業振興センター内(同市吾妻)で不登校児童・生徒への学習支援を行ってきた「むすびつくばライズ学園」(NPOリヴォルヴ学校教育研究所運営、小野村哲理事長)が4月から、近くのつくばセンタービル1階、貸しオフィスco-en(コーエン) 内に移転する。移転後は、2009年から18年まで市内で市民講座「つくば市民大学」を開いてきた市民団体「ウニベルシタスつくば」(徳田太郎代表)との共同運営になる。 平日5日間は不登校支援事業に使用し、土日は市民大学による市民向け講座を開催する。また施設の一部を利用し、区画を分け合う希望者がそれぞれ自分の本を持ち寄るオーナー制の一箱本棚図書館「リブラリウム(コミュニティ・ライブラリー)」をウニベルシタスのメンバーで、石岡市で市民による私設図書館「つながる図書館」を営む同市在住のアーティスト平方亜弥子さんが担当する。 使い分け家賃負担軽減 同NPOは2000年から同市谷田部で不登校の学習支援施設を運営し、20年から市と協働でむすびつくばをスタートさせた。21年12月に市が実施した次年度の運営事業者選定に漏れると利用者の家族などから運営継続を求める陳情が市に出され、迷走。五十嵐立青市長は謝罪しリヴォルヴとの事業を継続、1年間の事業延長が認められた。23年度からは市が創設した民間フリースクールへの補助金を受け産業振興センター内で事業を実施、24年度からは市の施設からの移転を迫られていた。 新しい移転先は現在の施設から徒歩5分ほど。同学園代表の北村直子さんは「(移転先は)最後の最後まで悩んだ。今いる子どもが通えなくならないことを第一に考えた」と話す。「子どもや保護者からは『よかった。これからも通える』という意見が多かった。新しい場所でも一緒につくっていこうと協力してくれている。みんな楽しみにしている」という。 2団体での共同経営や移転先決定の経緯について小野村理事長は「ここに来る子どもはいろいろなことに関心を持っている。市民大学に来るいろいろな人たちと触れ合う機会があるといいと思った。その中で、本を介してつながることもあればとコミュニティライブラリーの話にもつながってきた」とし、移転先については「物件候補が3カ所あったが雑居ビル3階などでは地域とのつながりがなくなってしまう。人の出入りがあるところがいいとの考えもあった。ウニベルシタスさんと平日と土日を使い分けられるなら、家賃負担も(センター地区から)離れたところで借りるのと変わらずにできる。であれば家賃が高くても価値があるということになった」と話した。 つくば市民大学は09年から9年間、同市東新井のろうきんビルで約1300講座を開講し、延べ1万2500人が参加し17年末に活動を休止した。徳田さんは「何らかの形でつくば市民大学を復活させようという話はあった。ウニベルシタスという団体は継続していてむすびつくばの運営協議会にも参加していた。子どもたちの支援は平日なので土日は使える。きちんとした場を持つ市民大学を復活しようという形になった」と語る。今後については「市民大学のキャッチコピーは『まなぶ、つながる、つくりだす』こと。互いの対話を通じて学び合い、集まる人同士の出会いがあって実際にアクションにつながるものにしていきたい。積極的に社会に働きかけていくような人へと皆で育っていこうという場にしていきたい」と語る。 一箱本棚図書館を担当する平方さんは「それぞれの本棚を通じて『この人はこんな本読むんだ、こんな側面あるんだ』と知ることができる。図書館の利用者同士が知り合い交流が生まれたら」と話す。 収益上げる体制づくりへ リヴォルヴの小野村理事長は今後の課題を「収益を上げられる体制づくり」だとして、放課後の時間帯に開く新事業「ライズプラス」に期待する。「ライズプラスは『放課後教室』で、誰もが気軽に通えるところ。学校に行っているが自分のペースで学びたい子ども、自分の興味関心に合わせたことはすごく学べるがその環境がない子どもがいると感じている。そういう子を対象に社会科、英語科、国語科などの教室を開いていきたい」と話す。 北村さんは「不登校事業は決して収益性の高い事業ではない」とし、「ライズプラスと教材開発で安定した基盤をつくり子ども達のサポートに当てていきたい。教えることがうちの強みなので、そこをしっかりやっていきたい」と話す。(柴田大輔) ◆31日 (日) 午後2時からオンラインでオープニングイベント「むすびつくば ライズ学園 × 市民大学 + コミュニティ・ライブラリー」が開かれる。参加費無料。詳細は同ホームページへ。

ゴジラの国の子どもたち《映画探偵団》74

【コラム・冠木新市】アカデミー賞の視覚効果賞を受賞した山崎貴監督の日本映画『ゴジラ-1.0』が世界中で大ヒットしている。さらに米国映画『ゴジラ✕コング 新たなる帝国』が近日公開となる。今年はゴジラ誕生70周年にあたる。1954年当時、ゲテモノ作品と馬鹿(ばか)にする人もいたが、今ではゴジラは日本の文化財と言っても過言ではない。 考えてほしい。公開当時20歳だった人は90歳、16歳だった人は86歳、10歳だった人は80歳だ。日本はゴジラを見て育った子どもたちの国なのである。 『ゴジラ・デイズ』 1980年代後半、『ゴジラを創った男たち』のテレビドラマ用の企画を考えた。1954年は東宝撮影所で黒澤明監督の『七人の侍』が製作されていたころ。ビキニ環礁で水爆実験が行なわれ、日本国中に放射能の恐怖が襲う中、田中友幸プロデューサ一は『G作品』の企画を立案。街頭テレビでは米人レスラーに力道山の空手チョップが炸裂(さくれつ)。 この年発足した自衛隊の撮影協力のもと、『ゴジラ』が作られる。作家の三島由紀夫がロケ地を訪れ、国産特撮第1号のゴジラに関心を示す。苦闘する特撮監督円谷英二と本多猪四郎監督。ゴジラとその時代をノスタルジックに描く。 企画書を田中プロデューサ一あて送ると、代理の方から電話があり「現在、新作のゴジラを準備中で、古いイメージを与えて新しいゴジラの邪魔をしたくない」との返事だった。1984年の『ゴジラ』の興業成績がいまひとつだったため、その後作られてなかった。1年後、その新しい作品が『ゴジラVSビオランテ』(1989)だとわかる。 知人に預けてあった企画書は出版社に渡った。ちょうどそのころがゴジラ生誕40周年を迎える前年にあたり、ゴジラブ一ムが起きていた。出版担当者の「第1作だけでなく20作までひろげ、関係者にインタビューして40年史にまとめられないですか」となり、『ゴジラ・デイズ』(1993年)の本になった。その年、アメリカ版『GODZILLA』が製作されるとのニュースが流れていた。 『新諸国物語』 特撮監督・川北紘一にインタビューした際、『ゴジラ』公開時、夢中になったのは『紅孔雀』だと話してくれた。そうなのだ。70年前、ゴジラに負けず劣らず少年少女の人気を集めていたのは、東映の『新諸国物語』シリーズである。 北村寿夫原作のNHKラジオ連続放送劇『新諸国物語 笛吹童子』を映画化したお子様向け時代劇は、白鳥党とされこうべ党の戦いを描く勧善懲悪の活劇3部作だった。大ヒットを記録した東映は、続いて『新諸国物語 紅孔雀』を全5部作で公開する。 『新諸国物語』は最終的に『白鳥の騎士』『笛吹童子』『紅孔雀』『オテナの塔』『七つの誓い』『天の鶯』『黃金孔雀城』の7部作の大河シリーズとなる。戦後の混乱が残る日本で生きる少年少女に正義と勇気のメッセージを送る作品だった。 私が体験したのは『黃金孔雀城』(1961)からで、黒冠者(里見浩太郎)の忍術シ一ンにしびれた。またテレビで見ていた山城新伍・主演『風小僧』は『新諸国物語』のスピンオフ作品だと後で知る。『スター・ウォーズ』(エピソード4)は、元ネタが黒澤監督の『隠し砦の三悪人』であることは知られているが、善と悪のフォ一スの戦いを見て、私は『新諸国物語』を連想した。 世界はゴジラの国の子どもたちの時代を迎えようとしている。今こそ、『新諸国物語』をリメイクし世界に輸出すべき時ではないかと思う。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)