【コラム・平野国美】「著名な研究者と部屋にこもるオタク、どちらが認知症になりやすいと思いますか?」。講演などでこう問いかけると、大半の方は「人付き合いをせず閉じこもるオタクのほうが危ない」と答えます。世間では、頭脳労働や社会的地位こそがボケ防止の切り札であり、孤独は万病の元だと信じられているからです。
認知予備能の崖落ち
しかし、老年医学や地域医療の現場で多くの人生の黄昏(たそがれ)を見つめていると、こういった常識はしばしば裏切られます。特に理工系の大学教授や研究機関のトップを務めたような碩学(せきがく)が、定年退職を迎えた途端、まるで断崖絶壁から転落するかのように、急速な認知症を発症・進行させてしまう事例は少なくありません。
医学的には「認知予備能(コグニティブ・リザーブ)の崖落ち」と呼ばれる現象です。彼らは高い知性によって、脳内に蓄積する病変を長年カバーし続けています。しかし、その知性は「研究室」という手厚い外部環境に依存していました。巨額の実験装置、論文執筆を促す締め切り、身の回りの手続きなどを整えてくれる秘書や学生など、その「足場」が退職とともに失われたとき、長年覆い隠されていた脳の機能低下が隠しきれず、一気に決壊してしまうのです。
内発的情熱のドパミン
一方、世間から「孤立のリスク」と心配されるシニアのオタクたちはどうでしょうか? 彼らの姿を見ていると、その驚くべき自立性に目を見張ります。
オタクの探求は、初めからすべて自己完結しています。自室の机の上、パソコンの画面、ネット上のコミュニティ…。退職したからといって、奪われる設備も権威もありません。むしろ、「これで誰にも邪魔されず、一生分の模型作りに没頭できる」「あの資料を心ゆくまで読み解ける」と、定年を人生の黄金期として迎え入れます。
彼らは、誰かに頼まれて動いているわけではありません。内発的な情熱からドーパミンを自前で分泌させ、指先を動かし、情報を分類・アーカイブし、至福の時間を過ごします。世間的な意味での「お付き合い」は希薄でも、関心で結ばれたネットの仲間と知的な交信を保ち、退屈という最大の毒を軽々と無力化してしまうのです。
偏愛と探求の場を持つ
高齢者施設に足を運ぶと、かつて社会を動かした大人たちが、折り紙や童謡、風船バレーといった幼稚園の遊戯のようなレクリエーションを強いられ、書き上げた書道に赤ペンで「花丸」をつけられ、自尊心を削られている光景に出会います。大人のプライドを無視した一律のケアが、どれほど人を無気力に追い込むことか。
知性の高さそのものが脳を守るのではありません。自分の手元に、誰にも奪われない「偏愛と探求の場」を自前で持っているかどうか。定年後の認知機能を支えるのは、かつての肩書ではなく、一人で面白がれるオタク的な「したたかさ」なのだと感じています。オタク、恐るべし!(訪問診療医師)





