【コラム・小泉裕司】土浦全国花火競技大会は「スターマイン日本一を決める大会」といわれる。スターマインとは、いわゆる速射連発のこと。筒を数多く並べ、数百発もの花火を短時間に次々と打ち上げる。1本の筒から多数の玉を連続して打ち上げる「早打ち」とは異なる。
この名称は和製英語とされる。「Star」は花火の光の粒、「mine」は地雷を意味し、星が地雷のように次々と爆発するイメージから名付けられたといわれるが、明確な考案者の記録はない。
速射連発の起源は古く、1877年、明治天皇の長野行幸の際、伊那の花火愛好家たちが「菊畑(きくはた)」と呼ばれる連続打ち上げを披露したのが始まりともいわれる。翌1878年から、笠間稲荷でも、こうした連発仕掛けが打ち上げられていたとの説がある。
「速射連発(スターマイン)」という名称が記録に登場するのは昭和初期。1927年の長岡大花火大会の記録にもその表記が見られ、このころには花火業界で使われていたことがうかがえる。
スターマインの聖地、土浦
スターマインの歴史を語る上で忘れてならないのが土浦である。かつて速射連発は、仕掛花火の「裏打ち(引き立て役)」として扱われることが多かった。それを土浦では、1959年の第28回大会から「速射連発の部」として独立した競技部門にした。1982年に「スターマインの部」と改称され、全国の匠(たくみ)が技と誇りを懸けて競い合う舞台へと発展していくことになる。
幅40メートルの区画に組み立てた数百本の筒から、コンピューター制御によって音楽とシンクロし、圧倒的な物量と絶妙な間合いで夜空に描かれる芸術。全国から選ばれた22人の花火師が、スターマインの聖地 土浦に集い、優勝者に授与される経済産業大臣賞を目指し、その技を競い合う。
「土浦花火づくし」の誕生
さらに2000年、「土浦の花火」に新たな歴史が刻まれた。内閣総理大臣賞の授与開始とともに、大会提供のワイドスターマイン「土浦花火づくし」が始まったのである。
この企画に携わったのが、土浦の花火大会運営に長年関わってきた湯原洋一氏(8月16日掲載)だ。当時の上司から「今度70回大会なんだよな。なんか花火でできることねえか」と声を掛けられた。
そこで湯原氏の頭に浮かんだのが、当時、大曲で行われていた大会提供花火だった。これを参考に、日本煙火協会茨城地区会と協議を重ね、「土浦らしい花火を見せるには、ワイドスターマインにしよう」と企画を結実させた。
幅500メートル、9カ所から打ち上げられる約2000発、約6分間に及ぶ壮大なドラマ。視界全体を覆い尽くす圧巻のパノラマ感は、今や大会を象徴する名物となった。
速射連発から芸術的なスターマインへ。そして、その技術を競う舞台として発展してきた土浦花火の歩みは、日本のスターマインの発展を映す歴史そのものなのである。本日はこれにて打ち留めー!(花火鑑賞士、元土浦市副市長)
<参考文献>
「ドン!と花火だ」(武藤輝彦、三空出版、1994年)
「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)
「花火と土浦」(土浦市、2018年)
「土浦と大曲の友情物語」(コージーセレクション、2023年製作)
「越後煙火史」(長谷川健一、文芸社、2025年)
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