【コラム・小泉裕司】日本全国には、花火の競技大会が小規模なものを含めると数十あるといわれ、優勝者に文部科学大臣賞や国土交通大臣賞などが授与される大会もある。その中でも、花火競技大会賞の最高位とされる内閣総理大臣賞が授与されるのは、秋田県大仙市の「大曲の花火」と土浦の全国花火競技大会の2大会だけである。2000年から両大会に同賞が授与されている。
今回は、25年以上前に「土浦の花火」の運営に携わった湯原洋一氏(元土浦市教育部長)のインタビューを中心に、大曲と土浦のつながりを紹介したい。湯原氏は退職後も地元ケーブルテレビなどの中継解説に出演し、「土浦の花火」の魅力を伝えてきた一人だ。

内閣総理大臣賞授与の裏話
「大曲と土浦のつながりを語る上で、真っ先に浮かぶのが内閣総理大臣賞です」。湯原氏によると、2000年8月、「大曲の花火」に内閣総理大臣賞が授与されるとの情報が、大曲商工会議所の小西龍一氏から土浦市にもたらされたという。
小西氏は約40年にわたり「大曲の花火」の運営に携わり、県外からの観客がまだ少なかったころには、観客を呼び込もうとキャラバン隊を結成して東奔西走した。開催当日は打ち上げ現場との連絡役を務めるなど、大会を陰から支えた人物であった。当時の口癖は「土浦に追いつけ、追い越せ」。
情報が伝わると、当時土浦市産業部長で「花火太郎」の愛称で親しまれていた菅沢秀男氏をリーダーに、「土浦の花火にも内閣総理大臣賞を」と、当時の通商産業省(現経済産業省)に働きかけた。しかし、「賞は1カ所にしか出せない」と、なかなか認められなかったとのこと。
そこで。小西氏が国に対し「大曲と土浦の両方に内閣総理大臣賞を出してもらえないか」と申し入れたのだという。
小西氏には、そうする理由があった。1961年、土浦火工の北島義一氏の尽力により、土浦で通商産業大臣賞が授与されることになった。その後、北島氏の後押しもあり、1964年から「大曲の花火」にも同賞が授与されるようになったのである。
その経緯を知る小西氏は、「大曲が通商産業大臣賞をもらえるようになったときの恩を、仇(あだ)で返すようなことはできない」と国に働きかけたという。
時を超える花火の絆
こうして、かつて土浦から大曲に贈られた「恩」が、時を超えて大曲から土浦へ返された。両者の花火文化の発展に懸ける思いが、2000年の内閣総理大臣賞の両大会への授与につながったのである。
大曲から土浦へ、土浦から大曲へ。競い合いながらも、互いに学び、支え合ってきた両大会。その絆が、今日の日本の花火文化を支えてきたのかもしれない。
湯原氏は最後にこう語った。「両大会の関係者の皆様には、将来にわたって交流を深めていただき、全国の花火ファンの皆さま方から愛される両大会の運営に努めていただくことを心から願っています」。本日はこれにて打ち留めー!(花火鑑賞士、元土浦市副市長)
<参考文献など>
「大曲の花火 100年の魅力」(秋田魁新報社、2010年)
「花火と土浦」(土浦市、2018年)
「土浦と大曲の友情物語」(コージーセレクション、2023年製作)
※青字部をクリックするとYouTube動画が見られます。






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