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県内初、知的障害者バスケ大会「スマイルカップ」 5月6日 つくばで開催

開催に向けつくばのチームが尽力

知的障害のある人によるバスケットボール大会「スマイルカップ イン つくば(SMILE CUP IN TSUKUBA)」(主催・茨城パラスポーツ協会)が5月6日、つくば市竹園のつくばカピオで開かれる。県内では初の試みとなる大会で、つくばを拠点に活動する県内唯一の知的障害者バスケットボールクラブチーム「スマイル」が開催に向けて尽力した。スマイル代表の福原美紀さん(54)は「知的障害があってもバスケを楽しめる。それを多くの人に知ってもらいたい」と思いを込める。

競技は一般のバスケットボールと同ルールで行われる。国内では1999年に日本FIDバスケットボール連盟が発足し、全国大会「FIDジャパン・チャンピオンシップバスケットボール大会」を主催するなど普及が進められてきた。2025年の第28回大会には全国から男女計36チームが参加した。国際大会には日本代表も出場し、2015年のエクアドル大会では男子が5位、女子が銀メダルを獲得している。一方で、2000年シドニーパラリンピック以降、同競技はパラリンピック種目から外れている。

スマイル代表の福原美紀さん(中央)とキャプテンの會澤心さん(同右)

県内唯一のクラブチーム

福原さんが活動基盤とする「スマイル」は、2011年に発足し今年で16年目を迎える。自身も障害のある子を持つ親として「子どもたちが仲間と笑顔になれる場所をつくりたい。障害があってもやりたいことを諦めないでほしい」という思いで立ち上げたチームだ。

現在は小学生から20代中後半まで約30人が所属し、全国大会を目指す「スマイル強化チーム」と、障害の程度に関わらず参加できる「スマイル育成チーム」の2部制をとる。練習は、つくば市内の体育館で週に2回から3回行われ、つくばを中心に、土浦や常総、水戸、日立など県内各地から「バスケがしたい」という思いでつながる選手が集まっている。

スマイル育成チームの子どもたち

大会開催の背景には、県内の競技環境の課題がある。現在、県内には知的障害者のバスケットボールのクラブチームが「スマイル」しかなく、選手たちは広範囲から通っている。他県では複数チームが存在し地域ごとに大会も開かれているが、県内では「チームを選ぶことすらできない状況」が続いている。

「まずは競技の存在を知ってもらい、チームを増やしたい」。福原さんはこうした思いから昨年6月、茨城FIDバスケットボール連盟を設立。大会開催はその第一歩となる。

大会は、神奈川、千葉、栃木から各県の強豪チームが参加する「チャンピオンシップ部門」と、競技経験の浅い選手たちによる「フレンドリーシップ部門」が行われる。フレンドリーシップ部門には、市内の福祉団体にも呼び掛けて編成した「入門チーム」が参加し、厳密なルールにとらわれず、全員がボールに触れシュートできるようにするなど配慮する。「まずはバスケットの楽しさを知ってほしい」と福原さんは話す。

大会に向け練習に力が入る=同

楽しむ姿を見てほしい

福原さんは「障害があるからできないと諦めてしまう人が多いが、楽しむことはできる。大会を通してその姿を見てもらいたい」と語る。さらに「障害が重かったりルールが分からなかったりして最初から無理だと思われがちだが、バスケは誰でも楽しめるもの。それを子どもたちだけでなく、親や周囲の大人たちにも知ってもらい、その先に各地でチームが生まれ、選手自身が選べる環境につながってほしい」と期待を込める。

監督を務めるつくば市在住の遠藤裕さん(42)は、「県内で開かれる初めての大会であり、チーム名を冠した大会でもあるので優勝したい気持ちは強い。大会を通じてチームとしてもう一段階成長できれば」と話す。

キャプテンで水戸市在住の會澤心さん(24)は「チームメートはこれまでの大会経験で成長してきた。みんな自由だが、やる時はやる。若さと走力を生かして、強いチームにも勝ちたい」と意気込みを語った。(柴田大輔)

◆知的障害者バスケ大会「スマイルカップ イン つくば」は、5月6日(水)午前9時45分から、つくば市竹園1丁目10-1、つくばカピオ・アリーナで開催。入場無料。問い合わせは、茨城パラスポーツ協会に電話(090-2554-1301/090-8963-9296)またはメール(ibaraki.fid@gmail.com)にて。詳しくは大会ホームページへ。

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