火曜日, 10月 6, 2026
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満開の桜の下 東京で「百姓一揆」《邑から日本を見る》193

【コラム・先﨑千尋】「この閉塞状況を水戸の力で突き抜ける。あきらめず、新しい農村、農業を作っていこう!」。3月29日に東京都心で行われた「令和の百姓一揆」。トラクターと軽トラが出発する前に開かれた集会で、茨城県代表として発言した常陸農協の秋山豊組合長が檄(げき)を飛ばした。

昨年に続いての百姓一揆が北海道や沖縄など全国18カ所で開かれ、東京の会場となった青山公園には、トラクター7台と軽トラ21台、1200人の農家や消費者らが集まった。

山形県長井市で米を作っている令和の百姓一揆実行委員会の菅野芳秀代表は「昨年の百姓一揆から1年。状況は変わっていない。羊羹(ようかん)をスパッと切ったように日本から農民がいなくなり、食の供給がぷつんと切れる。そうなってから騒いでも遅い」と強調した。

集会で訴える菅野芳秀代表

集会では、トラクターと軽トラの参加者と、全国から集まった米生産者や酪農家、野菜農家、消費者が、農業では生活できない現状や国への要望、国産の米が食べたいのに高くて買えない、などとそれぞれの思いを訴えていた。

食料自給率は10%を切っている

東京大学の鈴木宣弘特任教授も会場に駆け付け、「食料自給率は38%と言われているが、肥料や種子、動物の飼料は大半が輸入だ。だから実質の自給率は10%を切っている。生産者はコスト高で辞めていき、消費者も所得が減って苦しい。農家への所得補償をすれば両者のギャップが埋まり、自給率も上がるのに、国はやらない。地域ごとに農作物をみんなで作ってみんなで食べる取り組みを進めよう。植えるか、飢えるかだ。各地にローカル自給圏を構築し、食と農の自立を広げていこう」と提案した。

午後4時に声援に送られてトラクターと軽トラが出発。1時間後、ほら貝の合図で、提灯(ちょうちん)やのぼり旗を掲げた人の行進が始まった。コースは、桜が満開の青山公園から表参道、原宿駅前を通って代々木公園までの約3.5キロ。

参加者は「国産の米や野菜を食べよう。農家に所得補償を。日本の農業を守ろう。未来の子どもに国産の農畜産物を残そう」などと訴えながら、ゆっくり行進した。道を歩く人たちからも注目を集め、拍手が起き、「ガンバレー」などの声援も飛んだ。スマートフォンで撮影する人の姿もあった。

令和の百姓一揆実行委員会は、農業、農村の衰退を止め、国産の食料を守ることを目的に全国各地の有志が立ち上がり、現在では26都道府県で実行委員会が結成されており、百姓の声を国民に伝える取り組みが行われている。農村では耕作放棄地が増え、山林も放置され、熊やイノシシなどが人家近くまで出没し、農村の衰退が進んでいる。一方では、スーパーの棚から米が消える「令和の米騒動」が起き、消費者の生活が苦しくなっている。こうした状況を打破しようというのが百姓一揆の狙いだ。(元瓜連町長)

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