【コラム・平野国美】私は今、61歳になりました。 訪問診療医として、日々、多くの高齢者の人生の終幕に寄り添わせていただいています。しかし、医師として人の老いを診ることと、自分自身が老いていく実感を持つことは、全く別の体験です。 今後、知力も体力も確実に衰えていくという悲しみ。いつか必ず訪れるリタイアへの怖さ。その時、自分の居場所はどこにあるのだろうか? そんな不安が、ふと胸をよぎるようになりました。
そんな中、私にとって長年の「居場所」であったテニスクラブが閉鎖されてしまいました。 ただ運動する場所を失っただけではありません。仲間と顔を合わせ、笑い合い、職場を離れて一人の人間になれる場所。それらが突然消えてしまった時、私は言いようのない喪失感とともに、社会から切り離されるような心細さを覚えました。
「ああ、孤立とはこういうことなのか」。私は患者さんたちが抱えている孤独の正体を、身を持って理解した気がしました。だからこそ、私は書きたいのです。定年後も尊厳を持って生き、誰かとつながり続けるためには、どんな場所が必要なのか。今回は、医師としての提言であると同時に、居場所を求めてさまよう61歳の男性としての、切実な模索の記録でもあります。
社会的孤立という「見えない危機」
日ごろ、地域の患者さんのご自宅を回っていると、医学的な病気そのものよりも、もっと根深い「ある問題」に直面することがあります。それは「社会的孤立」です。皆さんは、定年退職を迎えた後、家族以外の人と会話する頻度がどれくらいあるでしょうか? 日本には「人との交流が週に1回未満」という高齢者が全体の10~20%も存在すると言われています。これは単に「寂しい」という感情の問題ではありません。公衆衛生上の、れっきとした「危機」なのです。
驚くべきデータがあります。日本において、社会的孤立で早期死亡に至るケースは年間約2万人にも上る可能性があると指摘されています。これは交通事故で亡くなる方の数をはるかに上回ります。「孤独はタバコや肥満と同じくらい健康に悪い」という話を聞いたことがあるかもしれませんが、現場の医師としての実感もそうです。孤立は、うつ病のリスクを高め、認知症やフレイル(虚弱)の進行を加速させます。
これまでも、公民館での集まりやサロン活動など、多くの対策が取られてきました。しかし、「行けば元気になれる」とわかっていても、そこへ一歩踏み出すのは容易ではありません。「知らない人の中に入っていくのが怖い」「話題が合うか不安」といった心理的なハードルがあるからです。また、既存のプログラムは効果が見えにくく、継続的な予算が付きにくいという課題もありました。
さて、孤独な訪問医師、私の居場所はどこかにあるのでしょうか? (訪問診療医師)






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