まつりつくばで大獅子が披露
つくば市教育委員会は22日、毎年7月に小田地区で催されている民俗行事「小田の祇園祭(ぎおんまつり)」を同日、市の無形民俗文化財に指定したと発表した。江戸時代に始まった小田八坂神社の行事で、①神輿(みこし)の巡幸②大獅子の巡幸③神輿と大獅子がせめぎ合う「顔合わせ」④お囃子(はやし)の演奏から成る。特徴的な行事や芸能を備えることなどから指定された。
市無形民俗文化財の指定は合併前の1986年2月以来、9件目。市文化財の指定は85件目。23、24日、つくば駅周辺で開催される「まつりつくば」の23日夕方のパレードで、同祇園祭の構成要素の一つである「小田の大獅子」が披露される。
市文化財課によると、小田地区東部にある八坂神社は江戸時代初期の1651年に創建された。江戸時代中期の文書に神輿の巡幸や太鼓の使用が確認できることから、祇園祭は創建のころから実施されていると推測されるという。現在は7月の第3土曜日に開催され、小田東部区、八坂神社お囃子保存会、小田大獅子保存会の3団体が担っている。
神輿の巡幸は、昼間から夕方に小田地区東部を巡行し、夕方までに東部の一時休憩場所である御仮屋(おかりや)に戻る。神輿の巡幸は現在、東部区が担当している。

大獅子の巡幸は、獅子頭に続く長さ約10メートルの大きな胴体を約30人で上げ下げし、蛇行させながら、小田地区中部を昼間から夕方に練り歩く。起源は不明だが、江戸時代末期の1865年に獅子頭が寄贈されており、それ以降、始まったとみられている。大獅子は毎年、獅子頭に胴体とたてがみを付けて作られる。たてがみは栃木県の鬼怒川中流域で毎年、水草のササバモを採取して作られ、神聖な魔除けとして巡幸の際などに各戸に配られる。大獅子は、戦国時代の小田城最後の当主、小田氏治(うじはる)が戦勝祈願をした姿だとする言い伝えがある。巡幸する大獅子は、江戸時代末期に寄贈されたものが現在も使われている。小田大獅子保存会が伝承している。
東部の神輿と中部の大獅子がせめぎ合う「顔合わせ」は、祇園祭の大きな山場となる。東部と中部の境界で夜8時ごろから5回行われる。大きな歓声が沸き上がる中、神輿と大獅子が4~5メートルの高さに持ち上げられ、高さを競って張り合う。江戸時代末期から近代に間に始まった行事だと推測されるが、古事記や日本書紀の神話、スサノオノミコトとヤマタノオロチの争いを模したものと言い伝えられ、荒ぶる力のぶつかり合いと対抗で災厄を撤退させる夏の鎮送儀礼といえる。
顔合わせの後、神輿は八坂神社に帰り、本殿に収められる。この宮入りの間、荒ぶる魂を鎮めるお囃子「御神輿(ごじんこ)囃子」の演奏が続けられる。江戸時代中期の文書に太鼓を使用した記載があることから、この頃に起源をもつと推測される。お囃子の伝承と顔合わせ等、夕方以降の東部での行事は八坂神社お囃子保存会が主に担当している。
市無形民俗文化財の指定について市文化財課の石橋充課長は「地域の方々が伝統的な民俗行事を残していこうと努力しているところなので、市としても未来に継承できるよう支援していきたい」と話している。
➡小田祇園祭の過去記事はこちら(2018年2月25日付、23年7月15日付)