水曜日, 10月 21, 2026
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今こそ日本の食と農を守ろうー東京で緊急総会《邑から日本を見る》183

【先﨑千尋】今から100年以上も前の1918(大正7)年に起きたホンモノ(?)の米騒動。米不足と日本軍のシベリア出兵に伴う投機で米価が高騰し、富山県魚津町での騒動が全国に波及し、一部では地主や米穀商への打ち壊しなどが行われ、軍隊も出動、死者も出た。

では「令和の米騒動」はどうか。騒動と言うけれど、どこでも騒動は起きていない。小泉農相の一声で始まった価格破壊の備蓄米放出で、5キロ2000円の米を買うのに朝早くから行列。買えた人は喜び、買えなかった人は落胆する様子がテレビで放映されている。喜んだり悲しんだりするのではなく、怒るべきではないのか。国民はなぜ怒らないのか。

「米作り農家は、時給10円では生活できない」と、3月に東京など全国14か所で「令和の百姓一揆」が繰り広げられたが(コラム181)、その後も米価は下がらず、日米関税交渉で農産物の輸入拡大が焦点になってきている。これは大変だと、百姓一揆実行委員会と日本の種子(たね)を守る会、農協有志連合の呼びかけで、6月4日に東京の参議院議員会館で緊急集会が開かれ、全国から100人が集まった。

生産者の声を聴いて!

報告する常陸農協の秋山組合長

集会では、常陸農協の秋山豊組合長ら9人が、現地からの報告や消費者からの提言を行った。秋山組合長は「米不足だというのに、現在でも農家は35%の減反を強いられている。そのことを消費者は知らないでいる。米の価格が急騰したのは異常気象により政府の需給見通しが狂ったからなのにもかかわらず、それを政府は認めず、転作を緩めなかったからだ。

政府が備蓄米を放出しても、7月から9月までの絶対量は57万トンも足りない。米作り農家が生産を維持できる適正価格は、玄米60キロ当たりで2万4000円、消費者価格では5キロ3420円(いずれも税抜き)。消費者価格をそれよりも下げるには政府の対応が必要になる」と、現状とこれからの見通しを述べた。

静岡県の米農家 藤松泰通さんは「周りでは耕作放棄地が増えている。また、大規模農家や米の業者の倒産、廃業も続いている。肥料などの生産資材や石油、種子などは大半が輸入に頼っており、それが入らなくなったら日本の農業はアウトだ。食料も海外依存。止められたらどうするのか。それでいいのか」と、怒りをあらわにしていた。

新潟県の石塚美津夫さんは「かつては水路や農道の整備は集落ぐるみで行っていたが、ムラ社会が崩壊し、それができなくなっている。政府はスマート農業や大型の圃場整備を進めているが、その補助金はメーカーや土木業者に行くだけではないか」と訴えた。

その他、「消費者もマスコミも価格だけに目が向き、生産者の顔や声が見えない、聞こえない。輸入米を増やす話があるが、農薬漬けで恐ろしい。食べ物は水や空気と同じで、商品ではない。米の問題は農政ではなく、生産者、国民に対する社会保障政策と考えるべき。EUやアメリカなどのように生産者への所得補償政策を進めなければ、農業生産は維持できない。5000億円の予算があればできる」などの声が出された。

最後に、令和の百姓一揆実行委員会代表の菅野芳秀さんが「百姓一揆の行動はこれからも連続して続ける。有史以来の危機なので、命がけで行動しよう。国会議員も一緒にやろう」と呼び掛けた。(前瓜連町長)

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米価格の高騰と反落を語る JA水郷つくばの油原組合長【キーパーソン】

1年前は米の小売価格が高騰し、店頭に並ぶ標準米の5キロ入りが4000円台半ばになった。ところが今年は反落し、最近では3000円以下で推移している。消費者にとって「昨年は困惑、今年は歓迎」の構図だが、日本人の主食が1年の間に1袋1500円も動くのは尋常でない。そこで、4カ月前にJA水郷つくば(本部土浦市小岩田西)の代表理事組合長に就任した油原正明さんに、生産者の立場から米の価格問題を語ってもらった。今年の急落の原因をつくった農林行政に対する苦言はかなり厳しい。 咋年米が残り新米が倉庫に入らず ―今年産米の価格が下落しているが、その現状と背景は? 「最近、商社系の米集荷業者が撤退あるいは廃業しているとの記事を目にした。事実、高値で買い集めた2025年産米の在庫が重荷になり、事業撤退や廃業に追い込まれた業者も少なくない。仕事を続けている集荷業者も、26年産新米の集荷に二の足を踏み、今年は農家が生産した新米が行き場を失っている状態だ。 JAは予約契約を結んでいる稲作農家の米は例年通り集荷しているものの、価格交渉は厳しく、苦戦している。消費者にとって価格が安いことはうれしいと思うが、今後の稲作農家の経営を考えると頭が痛い。 価格が高騰した昨年は、政府から『JAもリスクを取って買い取りなさい』との指導があった。昨年は集荷業者との高値買い取り競争もあり、1俵(60キロ)3万5000円まで高騰したが、今年は1俵2万円以下でも、需要先に売るのが難しい状態だ。咋年産米が倉庫に山積みになり、今年産の新米が倉庫に入らないといった事態も発生している。 価格上下の責任は、米の需給を見誤り、政府備蓄米を大量に放出した政府にある。当時の小泉農相は『米をジャブジャブにする』と発言し、備蓄米の追加放出を断行した。こうした政策のしわ寄せが、今、生産農家にきている。生産者が安心して生産ができ、消費者は安定して購入できる―政府はそういった価格体系に持っていかねばならない」 生産者と消費者が納得できる農政を ―米価の安定、価格の平準化に向け、どうしたらよいか? 「JAは農家組合員で構成される団体だから、当然、生産者米価を意識している。ここ数年の資材高騰で、今後も農業経営が継続できるか、米農家は心配している。肥料や農薬など原料を海外に依存しているものが多く、中東情勢や米大統領の行動がもたらす悪影響に一喜一憂している。 田んぼ1~3ヘクタールを耕作する農家の1俵当たり生産費は2万535円と、公益社団法人 米穀安定供給確保支援機構は先に発表している。JAは1俵2万円台の価格で農家から買い上げ、消費者に届けたいと考えている。しかし、咋年産の売れない在庫米が多く残っており、今年の価格はJAが目標とするレベルになっていない。 昨年、当時の小泉農相が『米の適性価格は消費者の購入価格だ』と発言したが、これには頭をガーンと叩かれたような思いだった。消費者だけでなく、生産者も納得がいく―そういった落としどころを探るのが政府の役割ではないか。国の安全保障が大切なように、国は主食である米の安定生産・供給、つまり食料安保も図らなければならない」 【ゆはら・まさあき】1981年、東京農業大学卒、茨城県経済連(現JA全農)に入る。2016年、水戸中央青果(株)常務。2020年、JA水郷つくば常務理事。同代表理事専務を経て、2026年6月から代表理事組合長(前組合長の池田正さんはJAグループ茨城5連会長に就任)。高校野球、プロ野球、米大リーグのファン。1958年、龍ケ崎市の農家に生まれ、現在も同市在住。 【インタビューを終えて】昨年のトンデモ米価は、商社系の集荷会社が米は不足すると読んで買い集め、その動きが流通経路に広がり形成されたと聞く。つまり、流通経路で起きた経済事件だった。原油由来のエネルギーや製品素材、米のような価格は流布情報に影響される。政府備蓄米操作は価格平準化の一策だが、うまく運用しないと需給バランスを崩す。消費者物価に連動するぐらいにコントロールする賢さが必要だろう。(坂本栄)

原子力のメッカ、東海第2原発の未来は《黄昏の原子力》1

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つくばの記憶 1970年代の竹園と千現《デザインを考える》37

【コラム・三橋俊雄】京都では「先の戦い」と⾔えば、「応仁の乱のこと」だといいます。そこには、⻑い歴史の延⻑線上に今の⾃分がいるという感覚があるのかもしれません。では、つくばに暮らす私たちは、このまちの歴史と今の⾃分とを、どこかで重ね合わせて感じることがあるでしょうか。 私は以前から「つくばの根っこ」を知りたいと思い、つくばの語り部の⽅々から話をうかがってきました。今回は、研究学園都市の建設が始まった1970年代の⽵園や千現での暮らしについてのお話です。 道路はぐちゃぐちゃだよ つくばに移ってこられた人たちが、どのように買い物をし、⼦どもたちはどこで遊び、住⺠同⼠はどのような関係を築いていたのか。そこには、今では⾒ることのできない⾵景や暮らしがありました。その1ページを、EHさんの記憶からたどってみたいと思います。 EHさん⼀家は1972年、⽵園の公務員宿舎101棟に⼊居しました。翌年、108棟に移り、1978年には千現に家を建てました。この分譲地に家を建てたのは、EHさん⼀家が最初だったといいます。 前年の1971年、初めて現地を訪れたときのことを、EHさんはよく覚えています。⼟浦から来て「倉掛」でバスを降りたものの、周囲には何もありません。遠くに公務員宿舎らしき建物が⾒え、⾏き⽅を尋ねると、「奥さん気をつけな、道路はぐちゃぐちゃだよ」と⾔われました。農道のようなぬかるんだ道を歩いて⽵園までたどり着きました。当時、まだつくば市は存在せず、市が誕⽣するのは1987年のことです。 1972年に⼊居したころも、101棟にはまだ2家族ほどしか住んでいませんでした。街灯もなく、夜になると真っ暗でした。造成中の東⼤通りでは、住⺠の⼥性たちが⾃転⾞の練習をしていました。⾵が吹けば⼯事現場の埃が舞い、初夏にはカエルの声が聞こえました。 買い物も不便でした。研究所から⼟浦へ買い物⽤のマイクロバスが週に2回ほど出たほか、現在も銀⾏の建物が残る付近には、⼟浦から⾁屋などが出張販売に来ていました。倉掛にあった吉⽥商店も貴重な店でした。 じゃあここに住もうか しかし、不便だったからこそ、住⺠同⼠のつながりは強かったといいます。農協から野菜や鶏をまとめて買い、みんなで分けました。洗濯物を干している家には「⾬が降ってきたわよ」と知らせたり、「たくさん買ったから半分分けるわよ」と声を掛け合ったりしました。⼦どもたちは棟の前に出したビニールプールで⼀緒に遊び、⺟親たちは習字やピアノ、英語など、⾃分のできることを近所の⼦どもたちに教えました。 保育所がなかったため、住⺠たちは桜村の村⻑に掛け合い、保育所をつくってもらいました。⽣活に必要なものを、住⺠⾃⾝が声を上げながら、ひとつずつ実現していった時代でもありました。 EHさん⼀家が千現に住むことになったきっかけも、当時のつくばの様⼦をよく伝えています。⽵園に住んでいたころ、息⼦を二の宮のプールへ連れて行く途中、辺りには松林が広がり、ウグイスが鳴いていました。息⼦が「とってもいいところだね」と⾔い、その⼀⾔をきっかけに「じゃあここに住もうか」と、千現に家を建てることを決めたといいます。 まちは変わり、それを覚えている⼈たちの記憶もやがて失われていきます。⼀⼈ひとりが⼼に刻む「つくばの暮らしや⾵景の1ページ」を集め、未来へ⼿渡していく。それもまた、今を⽣きる私たちだからこそできる、わがまちの歴史を紡ぐ営みではないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)

各国で収めた人々の暮らし 石川多依子さん写真展「一期一会2」

土浦在住の写真家、石川多依子さんが海外で出会った人々や印象に残った光景を写真で表現する「一期一会2」展が、20日から土浦駅西口前の土浦市民ギャラリー(同市大和町)で開かれる。今回はグアテマラ、ポルトガル、オマーンの3カ国で撮影した写真が並ぶ。 カラフルな民族衣装に刺激 グアテマラ 石川さんの「一期一会」展は、旅先で出会った人たちの普通の姿や、その国の日常のありふれた様子を撮ったもので、年1回のシリーズを予定している。昨年の第1回では11の国と地域をそれぞれ4~5枚の組写真で紹介した。今回の第2回ではもっとじっくり見てほしいと、3カ国に絞り、各20枚ほどで構成する。 石川さんがグアテマラを訪れたのは2002年。メキシコ・グアナファート大学の文化祭でパッチワークキルト展を開催した際、せっかく来たのだからと、3週間の滞在期間のうち1週間を隣国のグアテマラへ足を延ばした。 「マヤ文明のピラミッド型神殿で知られるティカル遺跡付近の山中では、火を焚いて古いマヤの宗教儀礼が行われていた。高山地帯の美しいアティトラン湖畔の村々の女性の衣装は村ごとに異なっていて、少女からおばあさんまでが赤や藍色を基調とした同じ模様の民族服を着用。村でも街でも女性の民族衣装のカラフルで独特な色遣いにとても刺激を受けた」と石川さん。 迷路のような街並みを歩く ポルトガル ポルトガルの旅は2018年。リスボンの旧市街アルファマは丘の中腹にあり、迷路のような路地や坂道が続く趣のある街。ただでさえ狭い道に自動車も路面電車も走り、車に路上駐車されると電車は通れないので、運転手は電車から降りて車の持ち主を探しに行くという。 ここでの石川さんの目当ての一つは、伝統的装飾タイルのアズレージョ。「首都リスボンでも建物の外壁や床、天井など至るところに飾られている。古い時代のものは青一色の幾何学模様だが、フリータッチの筆遣いや子供が好きなメルヘンチックなアズレージョにも遭遇した」 もう一つの目当てはファド。「ポルトガルギターの伴奏で情感たっぷりに歌う伝統歌謡で、アルファマはファド発祥の地としても知られ、夜になるとあちこちのバーやレストランからファドの生演奏が漏れ聞こえる」 廃墟と灌漑に魅せられる オマーン オマーンのオアシスの街、ビルカット・アル・マウズを訪ねたのは2019年。ここにファラージと呼ばれる灌漑システムがある。紀元前にはすでに使われていたといい、山から湧き出た水が水路を勢いよく流れ、人々の生活用水になったり、デーツ(ナツメヤシ)林を潤している。ビルカット・アル・マウズから車で20分ほど離れた二ズワの街は、ファラージが世界遺産になっている。 「ビルカット・アル・マウズには3つの廃墟がある。ここを拠点としていた人たちは、1950年代の内乱のとき空爆を受けて村を離れたのだそうだ。廃墟の中を歩いてみると、ドアが取り付けてあったり洗濯物が干されていたりなど、今でもあちこちに生活の気配がある。時代が経ても利用され、住んでいる人がいることに驚かされた。二ズワの廃墟も同様に再利用されていた」 (池田充雄) ◆石川多依子写真展「一期一会2」は20日(火)~25日(日)、土浦市大和町1-1、アルカス土浦1階、土浦市民ギャラリーで開催。開館時間は午前10時~午後5時(初日は午後1時から、最終日は午後4時まで)。入場無料、駐車料金は2時間無料(駐車券を事務室に提示)。問い合わせは電話029-846-2950(同ギャラリー事務室)