【コラム・岡田富朗】元日本大学芸術学部教授の清水正(まさし)さんは、1949年に千葉県我孫子市に生まれました。清水さんが<批評>に目覚めたのは、小学生の頃と言えるかもしれません。時計の読み方を理解できなかったことがきっかけで、「<時間とは何か>を考えるようになった」そうです。
この頃から、本を読んで知識を得るのでは無く、あくまで自分の頭で考え、自分の納得のいく解答(解釈)を求め続けるタイプで、それは現在も変わらないそうです。
清水さんは17歳の時、太宰治の『如是我聞』に出合い、太宰作品に深く没頭します。死が親しいものとなり、「これが文学というものなら、わたしも一生を文学に賭けてもいいな」と思い、最初の小説『青蜻蛉(トンボ)』を執筆しました。そのテーマは<芸術と死>でした。
本気で小説家を目指しましたが、同じ年にドストエフスキーの『地下生活者の手記』を読んで衝撃を受け、以来、ドストエフスキー文学の研究にのめり込むことになります。清水さんにとって<読む>ということは批評するということであり、ドストエフスキーに関する作品批評は膨大なものとなりました。
ドストエフスキーについての初の著書『ドストエフスキー体験』を20歳の時に刊行し、19歳の時にはすでに『白痴』についての論考を書いていました。
怒りと悲しみを抱えて
かけがえのない人の死に立ち会いながら、怒りと悲しみを抱えて書き続けてきた清水さんが語った「書くことは祈りである」という言葉には、人生そのものを賭けて文学に向き合ってきた重みがにじみ出ています。
そして今、誰も成し得なかった偉業『清水正・ドストエフスキー論全集』全11巻を完成させた清水さんは、なおも筆を執り続けています。ドストエフスキーという偉大な山を登りながら、そこから見渡す風景の中で、現代文学にも目を向け、鋭い批評を続ける著書は一読に値します。
清水さんは、大正4年(1915年)に我孫子に移り住んだ志賀直哉をはじめ、宮沢賢治、林芙美子などの批評も行っています。そのほか、「つげ義春を読む」「阿部定を読む」「世界文学の中のドラえもん」「今村昌平を読む」「宮崎駿を読む」「土方巽を読む」など、多岐にわたる著書を執筆されています。(ブックセンター・キャンパス店主)