日曜日, 6月 1, 2025
プロモーション
ホームつくば現金取扱でつくば市が虚偽報告、県「非常に悪質」 生活保護 特別監査

現金取扱でつくば市が虚偽報告、県「非常に悪質」 生活保護 特別監査

つくば市の生活保護行政に関する不適切な事務について、県が同市に対し異例の特別監査を実施している問題で、昨年末、県が特別監査結果を同市に通知し、現金の取り扱いについて、同市が県の監査に虚偽報告を行っていたとして「非常に悪質」「誠に遺憾」だと指摘していたことが情報開示請求で分かった。

特別監査の結果は昨年12月25日に同市に出された。総括的事項として①現金の取り扱いに関する一般監査での虚偽報告のほか、②誤支給に伴う保護費返還決定事務の遅延③生活保護費返還金の不適切な債権管理の3点について指摘している。

①現金の取り扱いに関する一般監査での虚偽報告ついては、同市が生活保護費を受給者に支給するにあたって、2019~23年度にかけて現業員(ケースワーカーなど)が現金の取り扱いを組織的に行っていたにもかかわらず、市は県に提出した同年度の監査調書に虚偽の回答を行い県に提出していた、さらに23年度の事務監査でも事実と異なる説明をしていたとし、市に対し「監査において虚偽の報告を行う行為は非常に悪質であり、生活保護行政に対する社会的信頼を損なうものとして誠に遺憾」だと指摘、「二度と同じ過ちを繰り返さないよう対策を講じ」、要因を分析した上で改善に向けた取り組みを報告するよう求めている。

現金の取り扱いに対しては、会計検査院が2007年度決算検査報告で、実地検査した全国212の福祉事務所のうち42カ所で現業員が生活保護費を取ったり、失くしたりしたなどがあったことから是正改善を求め、厚労省は現金の取り扱い手順や決済権者を明確にした事務処理規定の整備や、現業員の出納業務への関与の縮減や事務処理方法の見直しなどを求めていた。

市によると、内部規定はあったが組織内に周知徹底されず、引き継ぎもされなかったため適切に運用されなかったとしている。昨年1月、県から確認があり、その後是正したとしている。

特別監査で県が指摘した②誤支給に伴う返還決定事務の遅延に関しては、県の指摘を受け同市が昨年7月に発表した、一時扶助による障害年金の診断書料の誤支給、障害者加算の誤支給、重度障害者加算の誤支給などの(24年7月20日付)その後の対応について、保護費の返還決定事務が遅延している例があるので「返還決定事務を遅滞なく行い、返還金にかかわる国庫負担金を適切に精算する」ことを求め、遅延の要因を分析した上で、改善に向けた取り組みを報告するよう求めている。

➂生活保護費の返還金の不適切な債権管理については、同市が昨年8月に発表した生活保護費の過支給分の返還金にかかわる不適切な事務などについて(同8月21日付)、期限までに過支給分を返還できなかった受給者などに対し行うこととされている催促や催告にかかわる記録がない例、受給者など死亡した場合の相続人調査が適切に行われていない例が認められたほか、不納欠損にかかわる事務が遅延している例が認められたなどとして、厚労省の通知に基づいて適切な債権管理を実施し、さらに不適切な債権管理の要因を分析した上で、改善に向けた取り組みを報告するよう求めている。

特別監査結果について県福祉人材・指導課は「継続して指導中の案件」だとしている。(鈴木宏子)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

63 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest


最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

63 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




Advertisement
spot_img

最近のコメント

最新記事

ドストエフスキーに魅せられて 清水正さんの軌跡《ふるほんや見聞記》5

【コラム・岡田富朗】元日本大学芸術学部教授の清水正(まさし)さんは、1949年に千葉県我孫子市に生まれました。清水さんが<批評>に目覚めたのは、小学生の頃と言えるかもしれません。時計の読み方を理解できなかったことがきっかけで、「<時間とは何か>を考えるようになった」そうです。 この頃から、本を読んで知識を得るのでは無く、あくまで自分の頭で考え、自分の納得のいく解答(解釈)を求め続けるタイプで、それは現在も変わらないそうです。 清水さんは17歳の時、太宰治の『如是我聞』に出合い、太宰作品に深く没頭します。死が親しいものとなり、「これが文学というものなら、わたしも一生を文学に賭けてもいいな」と思い、最初の小説『青蜻蛉(トンボ)』を執筆しました。そのテーマは<芸術と死>でした。 本気で小説家を目指しましたが、同じ年にドストエフスキーの『地下生活者の手記』を読んで衝撃を受け、以来、ドストエフスキー文学の研究にのめり込むことになります。清水さんにとって<読む>ということは批評するということであり、ドストエフスキーに関する作品批評は膨大なものとなりました。 ドストエフスキーについての初の著書『ドストエフスキー体験』を20歳の時に刊行し、19歳の時にはすでに『白痴』についての論考を書いていました。 怒りと悲しみを抱えて かけがえのない人の死に立ち会いながら、怒りと悲しみを抱えて書き続けてきた清水さんが語った「書くことは祈りである」という言葉には、人生そのものを賭けて文学に向き合ってきた重みがにじみ出ています。 そして今、誰も成し得なかった偉業『清水正・ドストエフスキー論全集』全11巻を完成させた清水さんは、なおも筆を執り続けています。ドストエフスキーという偉大な山を登りながら、そこから見渡す風景の中で、現代文学にも目を向け、鋭い批評を続ける著書は一読に値します。 清水さんは、大正4年(1915年)に我孫子に移り住んだ志賀直哉をはじめ、宮沢賢治、林芙美子などの批評も行っています。そのほか、「つげ義春を読む」「阿部定を読む」「世界文学の中のドラえもん」「今村昌平を読む」「宮崎駿を読む」「土方巽を読む」など、多岐にわたる著書を執筆されています。(ブックセンター・キャンパス店主)

卸業者がコメ2トンを土浦市に寄贈 子ども食堂や生活困窮者へ

コメの高騰が続く中、米穀卸売業の田島屋(土浦市上高津、田嶋光夫社長)が30日、2024年産の県産コシヒカリ2トンを土浦市に寄贈した。2キロ入りを1000袋用意し、同市社会福祉協議会を通じて市内の子ども食堂や生活困窮者に手渡される。 同社はコロナ禍の2021年と22年にも2キロ入り1000袋などのコメを同市に寄付し、コロナ禍で外出が難しい一人暮らしの高齢者や生活困窮者に配布された。 今回は創業170周年を迎えたことから、3回目の寄付となった。田嶋社長(75)は「40数年やってきて、これだけ値が高くなったのは初めて。今、備蓄米の話が出ていてどうなるかなと思っている。きちんとしたコメを皆さんに届けて、いろいろな場面でお使いいただけたら」と話す。 受け取った小林勉副市長は「21年、22年にも1000袋をいただいた。歴史がある田島屋様からおコメをいただけたことは本当にありがたい。コメの話は高騰、不足、備蓄米等々あるが、2024年産の新米のコシヒカリを、生活困窮者等、工夫させていただきながら、市民に温かい気持ちをお伝えしたい」と述べた。 7月6日、ひとり親家庭フードパントリーで配布 今後は、市内12の子ども食堂や、食品を無料で配布するフードパントリーやフードバンクを運営する団体などに要望を聞きながら、配布先や配布量を決める予定。コメは田島屋の冷蔵倉庫に保管し、配布が決まったらその都度届ける。 手始めに、市社協とシングルマザーを応援する「ママのホップ・ステップ・ジャンププロジェクト」が共催し、7月6日、市総合福祉会館で開く「ひとり親家庭フードパントリー付き大相談会」での配布を予定している。 田島屋は江戸時代末期の1855年創業。米穀卸売、精米加工、炊飯業、倉庫業などを営む。全国から集めたコメを保管、精米し、関東一円の小売店や飲食店などに卸している。土浦市上高津とつくば市上広岡に精米設備、つくば市寺具に精米設備と倉庫がある。今回、小泉進次郎農相が小売店やネット事業者などに販売する2021年と22年産の備蓄米に関しては、大手のスーパーから同社に精米の依頼がきているという。(鈴木宏子) ◆「ひとり親家庭フードパントリー付き大相談会」は7月6日(日)午前10時~午後3時、同大和町9-2 ウララ2ビル 市総合福祉会館4階で開催。参加希望者は6月2日~20日に申込を受け付ける。詳しくは土浦市社会福祉協議会のホームページへ。

茨城リーグ選抜が準優勝 全日本選手権、奮闘ぶり強い印象

少年硬式野球 挑戦の軌跡振り返る 5月の爽やかな青空の下、牛久運動公園野球場でひときわ輝いていたのは、悔しさをにじませながらも胸を張る茨城リーグ選抜の少年たち14人の姿だった。 少年硬式野球の「JA共済杯第13回インターミディエット全日本リトルリーグ野球選手権大会」が10、11日に同運動公園野球場で行われた。茨城代表チームは選抜メンバーを編成して大会に臨み、堂々の準優勝。あと一歩で優勝を逃したものの、その奮闘ぶりは、多くの関係者に強い印象を残した。 大谷翔平も 世界目指す第一歩 リトルリーグは、国内にとどまらず世界を目指せる数少ない小中学生の硬式野球組織。メジャーリーガーの大谷翔平や鈴木誠也もこの舞台から世界に羽ばたいた。 インターミディエットのカテゴリーはリトルリーグの中でも、走者リードやけん制が導入され、より本格的な野球が展開される。対象年齢は小学5年から中学2年まで。全日本選手権優勝チームは6月に台湾で開催されるアジア・パシフィック大会に日本代表として出場。同大会に優勝すれば8月に米国で開催される世界大会の出場権を与えられる。 冬の戦いから始まった 全日本選手権に向けて茨城リーグは、県内6チーム(牛久、常陸太田、常陸大宮、竜ヶ崎、友部、小美玉)からの選抜編成で臨んだ。 2月、まずは4日間の総当たり戦で腕試し。最も勝ち星を挙げた牛久スラッガーズのスタッフ陣が、選抜チームの指揮を託された。 そして3月。中学1年(当時)の4月~8月生まれを中心に4度の合同練習を経て、3月30日、14人の茨城代表が決まった。顔ぶれは、中1が12人、小6が2人。各所属チームで主力を張る選手たちが集結し、新たなチームが動き出した。     茨城リーグ選抜メンバー1 眞壁 陽大 中1 牛久スラッガーズ2 飯塚龍一郎 中1 龍ケ崎スターズ3 中島直太郎 中1 牛久スラッガーズ4 後藤 桜雅 中1 常陸太田山吹5 長島  岳 小6 牛久スラッガーズ6 萩原 唯月 中1 牛久スラッガーズ7 鈴木 心明 中1 牛久スラッガーズ8 朝  隆晟 小6 牛久スラッガーズ9 小澤 優智 中1 友部ジャイアンツ10 瀧本  渚 中1 友部ジャイアンツ11 戸塚 大智 中1 小美玉ジャイアンツ12 御鳴佑太朗 中1 常陸大宮レッドスピリッツ13 瀧  龍信 中1 常陸大宮レッドスピリッツ14 阿部 俊太 中1 常陸太田山吹 千葉と前哨戦 4月中旬、千葉リーグ選抜との東関東連盟代表順位決定戦が行われた。全5試合で2勝3敗。あと1勝が届かず、茨城は東関東連盟第2代表として全国大会に臨むこととなった。 だがこの経験はチームにとって決して無駄ではなかった。対千葉で痛感した「個の力と総合力の差」を乗り越えるため、選手たちはその後の練習にさらに熱を入れた。 決勝まで快進撃 5月10日。予選リーグ初戦の相手は九州北部。先発を任された戸塚大智(小美玉)が粘りの投球で試合をつくると、阿部俊太(常陸太田)、瀧龍信(常陸大宮)へと継投し、4-2で勝利。大きな初戦白星を手にした。 続く第2戦、相手は関西の強豪・兵庫。ここで主将の萩原唯月(牛久)が覚醒する。3安打3打点の大活躍で6-3と突き放した。投げては眞壁陽大、瀧本渚(友部)が“翌日も登板可能な20球までのリレーで3回まで2失点と試合を作った。4回から7回までは中島直太郎(牛久)がロングリリーフで試合を締め、予選リーグを2勝で通過した。 そして11日、晴天スタジアム美浦で行われた準決勝では、ワイルドカードで勝ち上がった兵庫と再び激突。御鳴佑太朗(常陸大宮)の2ランなど、打線が奮起し11-1の5回コールド勝ちで決勝へと駒を進めた。 決勝は再び千葉 午後、決勝戦の舞台は牛久運動公園野球場に戻る。相手は、前哨戦で惜敗した千葉選抜。投手陣総動員で挑んだが、千葉の強力打線を前に苦戦を強いられた。 結果は4-13の敗戦。準優勝という結果は、輝かしい戦績であると同時に、“あと一歩”の悔しさがにじむものでもあった。 監督の吉田明宏(牛久)は試合後「千葉の投手力は折り紙付き。どう打ち崩すかを考え、練習してきた。差を見せつけられた形になってしまったことが残念」と語った。主将の萩原も「一緒に台湾に行きたかった」と言葉を詰まらせながらも、「もうちょっとできたかなという思いがある」とチームメートを見つめた。 今回の全国大会では、14人すべてが打順に組み込まれる全員連続オーダー制での戦いが求められ、限られた打席とチャンスの中で結果を出す難しさと向き合った。 茨城の底力見せつけた 準優勝は、悔しい結果に違いはない。しかし茨城リーグ選抜は、結成からわずか1カ月半という短期間でここまでチーム力を高め、強豪千葉に真っ向勝負を挑んだ。その軌跡は、彼らの努力と結束、そして“茨城”の底力を見せつけるものだった。 敗れても、夢は終わらない。この舞台を踏んだ14人が、再び“世界”を目指す日が、きっとやってくる。

おさがり《短いおはなし》39

【ノベル・伊東葎花】 お気に入りの金魚の浴衣を畳みながら「来年は着られないね」とママが言った。私が着られなくなった服は、近所に住む従妹(いとこ)の物になる。従妹の楓は2つ下の6歳で、楓のお母さんの幸子おばさんは、ママの妹だ。楓は男の子みたいに乱暴で、私が大切に着ていた服をすぐに汚す。フリルがついたワンピースも、チェックのスカートも、全部泥だらけ。あまりにひどいので「もう楓ちゃんに服をあげないで」とママに言った。 「まあ、どうして?」 「だって、楓ちゃんすぐ汚すもん。それに、全然似合わないよ」「そんなことないわよ」 「そうだ。ネットで売れば? ねえママ、そうしよう」 「唯、そんな悲しいこと言わないで」 「じゃあ妹が欲しい。ママ、妹を産んで。私の服は妹のために取っておく」 「いい加減にしなさい」 ママが、珍しく大きな声で怒った。その夜、ひとりで泣いているママを見て、私はすごく反省した。その後、楓は叔父さんの転勤で遠くの町に行くことになった。 「お姉さん、唯ちゃん、今までありがとう」 幸子おばさんが楓を連れて最後の挨拶に来た。 「おばちゃん、バイバイ」 楓はママの胸に顔をうずめて泣いた。 「あらあら、甘えん坊ね」 幸子おばさんはママから楓を引き離すと、「じゃあ行くね」と背を向けた。 「唯が着られなくなった服、送るね」 ママが声をかけると、幸子おばさんは立ち止まった。 「お姉さん、おさがりはもういいわ。楓には、自分の好きな服を選ばせるわ」 何だか冷たい言い方だった。ママは「そうね」とうつむいた。 その日、ママはやっぱりひとりで泣いていた。ママの涙の理由を知ったのは、法事で親戚が集まった6月のこと。久しぶりに楓と会った。楓は1年生になっていた。大人たちの会話に飽きた私たちは、別の部屋でゲームをしていた。奥の部屋からボソボソと話し声が聞こえた。話好きの本家の大おばさんたちだ。 「楓ちゃんはすっかり幸子の子供だね」 楓の名前が聞こえて、思わず襖に耳を近づけた。 「それにしてもねえ、いくら妹に子供が出来ないからって、自分の娘を養女に出す? 犬や猫の子じゃあるまいし」 「よほどの事情があったんだろうね」 「そうだとしても、あたしは嫌だね。お腹痛めて産んだ子を養女に出すなんて」 「そうね。よく平気だね」衝撃的な内容に、私の心臓はバクバク動いて、気づいたら襖を開けていた。 「あ、あら、唯ちゃん、いたの?」 「しまった」と顔を見合わせる大人たちに、私は言った。 「平気じゃないよ。ママ、泣いてたよ。楓ちゃんの引っ越しの日、泣いてたよ」 言いながらぽろぽろ泣いた。大人たちはバツが悪そうに早足で部屋を出て行った。「養女って、なに?」 あどけない顔で楓が私を見た。 「知らない。楓ちゃんは知らなくていいことだよ」 私は、楓の手をぎゅっと握った。梅雨が明けたら、金魚の浴衣を楓にあげよう。きっと似合う。だって私の妹だから。 (作家)