【コラム・冠木新市】1月25日、『雨情からのメッセージⅢ/空の真上のお天道さまへの旅』をつくば山水亭(つくば市小野崎)で開催した。参加者は84名(出演者20名を含む)。山水亭のオ一ナ一の東郷治久さんからは「もっと話(講演)が聞きたい。次もまたやりましょう」とうれしい言葉をいただいた。1週間過ぎても参加者から感想が届き、これもうれしく思っている。しかし、反省していることが多々ある。
実は『水戸歩兵第二連隊歌』には、2つの歌詞があるのだ。『皇国をまもり 満洲に』と『なほ満洲の 建設に』。『死なば護国の 鬼となり』と『死なば護国の 神となり』。『名は徒(いたづら)の ものなりや』と『名は天地に輝かむ』。どちらを取るかで印象が変わる。2つの歌と言っては言い過ぎだろうか。講演では前者、詩劇コンサ一トでは後者を採用した。この謎を話せなかったことが心残りだった。
また『土浦小学校校歌』(映画探偵団28)では、歌詞に土浦小学校のフレ一ズが一度も出てこない。このことを少ししか語れなかったのも悔いが残った。
さらに、詩劇コンサ一トで雨情三姉妹を登場させたが、全体で21曲唄うために時間が不足し、キャラクターの表現がおろそかになってしまった。
雨情に興味を持ち、『雨情からのメッセージ/筑波節と筑波小唄の世界』(2010年)を開催後、『Ⅱ/幻の茨城民謡復活コンサ一ト』(2013年)、『Ⅲ/水戸歩兵第二連隊歌への旅』、『Ⅳ/土浦小学校校歌への旅』、『Ⅴ/空の真上のお天道さまへの旅』の5部作を計画した。
今回の企画は、ⅢとⅣとⅤを一緒にしたものである。なぜこんな無理をしたのか。雨情没後80年と筑波節誕生95周年が重なり、一気に進めようとしたことが原因か。いや、そうではない。日本映画の影響を受け、5部作構成が性に合っているのに、3部作仕立てにしたのが原因である。
中村錦之助主演の『宮本武蔵』
日本映画の5部作シリーズは意外に少ない。1950年代の『紅孔雀』『里見八犬伝』、1960年代の『宮本武蔵』『陸軍中野学校』、1970年代の『仁義なき戦い』。中でも、1年1作で製作された吉川英治原作、内田吐夢監督、中村錦之助主演の『宮本武蔵』はよく知られている。
第2部『宮本武蔵/般若坂の決闘』(1962年)の冒頭で『孤剣。(略)これを魂とみて常に磨き、どこまで人間としておのれを高めうるか』と武蔵は独白し旅立つ。だが、第5部『宮本武蔵/巌流島の決闘』(1965年)完結篇のラスト、佐々木小次郎を倒し、小舟の中で血に染まったおのれの手を見つめ、激闘の人生を振り返り、『しょせん、剣は武器か』と、これまでの旅路を否定するつぶやきをもらす。
大どんでん返しの結末であった。観客としては微妙な違和感が残るのだが、やはりそれで終わりではなかった。
6年後、内田監督は遺作となる『真剣勝負』(1971年)を中村錦之助主演で公開する。これも吉川英治原作の宮本武蔵を主人公にした物語で、鎖鎌を使う宍戸梅軒との決闘を描いたものだ。宮本武蔵5部作に組み込んでもおかしくはない。この作品も不思議な終わり方をする。武蔵と梅軒の決闘の途中、『殺人剣 即 活人剣』と出て、炎の中に赤文字で『剣は 畢竟(ひっきょう) 暴力』と出て終わる。
曖昧模糊(あいまいもこ)としたラストだった。撮影現場で監督と出演者たちと剣の解釈で、もめたようである。
結局、雨情をアピールするため『雨情からのメッセージ』3本を1つにまとめてしまったが、やはり5部作でやるべきだった。いやそれでも、雨情とアジアの謎の話が残る。内田監督がもう1作つくった気持ちが分かる気がした。新たなる旅立ちが始まる。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)
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