日曜日, 6月 8, 2025
ホームつくば事故原因巡りNEXCO東日本とつくば市が裁判 5年前の常磐道斜面崩落

事故原因巡りNEXCO東日本とつくば市が裁判 5年前の常磐道斜面崩落

一審敗訴、議会に控訴を提案

5年前、谷田部インターチェンジ(IC)近くのつくば市今泉、常磐道下り車線で、道路脇の斜面が崩落し、一時通行止めになった事故で、斜面が崩落したのはつくば市が高速道路脇の市道の側溝の管理を怠り、雨水を高速道路の斜面に流出させたためだなどとして、高速道路を管理するNEXCO東日本がつくば市を相手取って、斜面の復旧工事費の一部など計約1450万円を損害賠償請求し、裁判になっていることが分かった。

今年2月4日、一審判決が東京地裁(高木勝己裁判長)で出され、つくば市側が全面敗訴し、市に対し同額をNEXCO東日本に支払うように命じる判決が出された。市は判決を不服として13日、同日開会の市議会2月定例会議に一審判決の取り消しを求め東京高裁に控訴する議案を提案。同日開かれた市議会都市建設委員会は全会一致で控訴について同意した。14日開く本会議で改めて審議し、議決が得られれば市は東京高裁に控訴する方針だ。

側溝の管理に瑕疵

斜面が崩落する事故は、2020年1月29日未明に発生した。幅3メートル、高さ10メートルにわたって崩れ、高速道路の路面にも土砂が流出した。同日午前4時25分に通報があり、その後、谷田部インターチェンジからつくばジャンクション間が4時間半にわたって通行止めになった。NEXCO東日本は計約9440万円かけ斜面をさらに強固に復旧した。そのうち事故前の状態に復旧する工事にかかった費用など約1450万円を市に支払うよう求め、市と協議、しかし双方かみ合わず、2023年5月、NEXCO東日本は国家賠償法に基づきつくば市を相手取って東京地裁に損害賠償請求を起こした。

一審でNEXCO東日本は、高速道路脇の市道の側溝(幅72センチ、深さ80センチ)に土砂が堆積し、側溝の排水機能が十分に機能していなかったことから、前日の1月28日夜から29日未明にかけての降雨で市道が冠水し、市道から高速道路の斜面に雨水が流入して斜面の表土が徐々に削り取られ、特に削り取られやすい砂層部が短時間にえぐられたことが原因で斜面が崩落したと主張。高速道路脇の市道は通常あるべき安全性を備えておらず、つくば市の管理に瑕疵(かし)があったなどとした。

これに対し市は、崩落した高速道路の斜面は夏季は草が覆い茂っているが、事故が発生した冬季は草が枯れ、雨水が表土を侵食する機能が大幅に失われていた、冬季は大雨になることはまれで、予見することはできず、崩落事故は不可抗力で発生したものなので、市は国家賠償法上の責任を負わないなどと主張。さらに一級建築士が調査した責任の所在についての見解書を証拠として提出し、集中豪雨による自然災害だったなどと主張した。

一審判決は、市の主張を全面的に退け、事故はやや強い雨が1時間程度継続し、市道の路面から雨水があふれて斜面に流れ込み、土砂を含む雨水が斜面の表面を削り取ったことによって生じたとした。やや強い雨という程度だったにもかかわらず流れ込んだのは、市道の側溝に隣接の農地から流出した土砂が堆積し、排水機能が十分機能しない状態にあったためで、側溝が有すべき安全性を欠いており市の管理に瑕疵があったとした。さらに2018年に同一箇所で小規模な斜面崩落事故があり、その際NEXCO東日本はつくば市に対し側溝の土砂を撤去するよう依頼しており、NEXCO東日本に責任はない、などとした。

2年前、現場確認のみ

13日開かれた市議会都市建設委員会では、2020年の事故の2年前の2018年に市が、NEXCO東日本から側溝にたまった土砂を撤去するよう依頼を受けていたことについて質問が相次いで出された。市道路管理課は、当時、担当職員が現場確認を実施したが、どうするか検討し、2年後に事故が起こるまで側溝の土砂撤去を実施していなかったなどが明らかにされた。同課によると、事故直後の2020年1月29日から約400メートル区間の側溝の土砂を撤去し、撤去後、側溝の排水機能は回復したという。(鈴木宏子)

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【コラム・平野国美】疎開先の長野県松本で捕まえた1匹のオケラから、この少年の物語は始まります(コラム40)。それからは山を歩き回り昆虫を捕まえる日々でした。夜は、それらを観察しながら遊ぶ日々。授業中も校庭に出て虫を探す日々。不思議なことに成績は良く、母の助言もあり昆虫学を究めていくのです。 大学院を出て、それからはつくば市の研究所の日々。海外へも視察に出かけ、虫と戯れる日々。若いころの博士を知る人に尋ねると、「仕事と趣味が一致していて、あんな幸せそうな人は見たことがない」と。学術的なことは分かりませんが、博士が執筆した一般向けの新書を読むと、虫に対する愛情とウイットに富んだ表現が魅力的です。 こんなやり取りもありました。「博士、生まれてくるのが早かったですね。あと50~60年遅かったら、昆虫のかぶり物を着て『こんちゅう君だよ!』ってテレビに出るか、YouTubeで人気が出たかも知れませんね」。「私は4本の手足しかありません。昆虫になるには6本が必要です。最近の虫を擬人化する動向には賛成できません」とお怒りになりました。 奥様によると、定年後、研究仲間の逝去を聞くと、気力が落ちていくのが分かり、見ていて辛かったそうです。最近の診察に際しても、その寂しさを嘆いていました。 博士を信じる母、支える奥様 「悠仁さまも筑波大に御入学されたわけで、お呼びがかかるかも知れません。授業の準備でもされたらどうですか」と聞くと、現役時代に皇室に何度か出向かれ、皇室の方がつくばに視察に来られたときにもお話をしているそうです。奥様は「菊の御紋の入った盃(さかずき)をいただいたこともあります。夫はあまり関心を示しませんでしたが、姑(しゅうとめ)が涙を流して喜んでおりました」と話していました。 この姑さんが博士の母で、夫が原子力や医学分野への進学を進める中、息子が昆虫の道に進むことを勧めた方です。博士が大成したのは、彼を愛して信じる母と、その後を支える奥様の愛情が重要なのだと思われます。 子供時代のさかなクンと母の関係について、こんな話を聞いたことがあります。学校の先生が「もっと授業に集中してもらいたいです」と母に伝えても、母は「いや、うちの子は魚が好きで、絵を描くのが大好きなので、それでいいのです。みんな勉強ができて、みんな同じように育ったら、ロボットみたいじゃないですか」と言ったそうです。 ここまで言える母親はなかなかいませんね。私には教育に口を出す資格はありませんが、現代の金太郎飴(あめ)を製造するような教育は、限界にきているのではないでしょうか。(訪問診療医師)