火曜日, 10月 6, 2026
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行方市で初の「焼き芋サミット」《邑から日本を見る》177

【コラム・先﨑千尋】今は「第4次焼き芋ブーム」。2000年頃から続いている。その火付け役となったのは従来のツボ焼きや引き売りとは違うスーパーなどでの店頭販売だ。始めたのは、茨城県行方(なめがた)市にあるなめがた農協(現なめがたしおさい農協)。その行方市で1月17日に全国初の「焼き芋サミット」が開かれた。

主催したのは同市と実行委員会。沖縄から北海道まで全国から、焼き芋ファンや焼き芋業者、サツマイモ流通業者、加工業者、生産者、農協・自治体関係者、研究者など約200人が集まった。会場は同市宇崎の鹿行生涯学習センター「レイクエコー」。

同市は昨年11月に、市役所だけでなく、農協や生産者、流通業者などを加え、サツマイモに特化した官民連携の「行方市さつまいも課」を発足させた。同課は、サツマイモの商談やイベント開催など様々な問い合わせにワンチームとなって対応する。行方市の強みをかたちにしたもので、実在の課があるわけではない。事務局は市ブランド戦略課が担当している。

同市のサツマイモ生産金額は約90億円で、茨城県鉾田市、千葉県成田市に次いで全国で第3位(2022年)。栽培面積は約1000ヘクタール。

今回の焼き芋サミットは、さつまいも課発足後最初のプロジェクトで、焼き芋専門家やファンの交流・学びの場とすることが狙い。講演や事例紹介、トークセッションなど多彩なプログラムが用意された。

まず、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)北海道農業センターの片山健二さんが、焼き芋はなぜ甘くなるのかについて品種改良の歴史を踏まえて説明し、あまはづき、ゆきこまち、ひめあずまなどの新品種や、海外輸出、寒冷地の北海道での作付けなど幅広い解説をした。

スーパー店頭でも販売

続いて、なめがたしおさい農協の金田富夫専務が、同農協でスーパー店舗内での焼き芋販売を始めた動機や苦労話、販売戦略、地域の農林水産物や食品を保護する農水省の地理的表示(GI)保護制度登録と、海外輸出、焼き芋販売戦略と地域活性化が評価され、日本農業賞と天皇杯を受賞したことなどを紹介した。

同農協は、焼き芋をスーパーで手ごろな値段で1年中おいしく販売できるスタイルを全国に先駆けて確立した。海外への輸出は17年から始め、タイ、カナダ、香港、シンガポールなどに輸出している。金田さんは話の中で「ただイモを販売するのではなく、イモに関する情報をイモに載せないとダメ」だと強調した。

同農協は、農家で生産されたサツマイモをキュアリング低温冷蔵庫で保管し、1年中いつでも甘くておいしい焼き芋を提供するため、サツマイモの特性を生かした品種リレー出荷を行っている。また、焼き芋マニュアルを作成し、味のばらつきがないように焼き方をマニュアル化し、品質の安定化を図っている。同農協の焼き芋が食べられる店舗は、現在では4000店以上に伸びている。

トークセッションでは、冷やし焼き芋の可能性やアフターコロナの焼き芋屋事情、新産地北海道の現状というテーマで、焼き芋屋や流通業者、青果市場担当者などが、冷やし焼き芋の現状と可能性、コロナ禍での休業、イベント出店、近況などを伝え、会場からも質問や意見などが出されて、さながら焼き芋交流会のようだった。

サミットの最後に、鈴木周也行方市長は「今回のサミットを契機に、焼き芋で多くの人とつながり、焼き芋の可能性を探り、国内だけでなく世界に向けて焼き芋文化を発信して、盛り上げていきたい」と抱負と決意を述べた。(元瓜連町長)

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