火曜日, 10月 6, 2026
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自然災害と農協の役割を考える《邑から日本を見る》174

【コラム・先﨑千尋】元日の能登半島地震で始まった2024年はまもなく終わる。「異常」気象が当たり前となり、酷暑の夏だった今年。そして、いつどこで起きるのかが分からない地震と豪雨。まるで昨今の世情をあざ笑うように思える。能登半島では9月に記録的な豪雨となり、河川が氾濫し、豪雨による土石流災害が各地で発生し、仮設住宅も床上浸水。2次被害を被った。

豪雨被害地・秋田を訪問

私は能登半島には足を運んでいないが、今月初めに豪雨災害を受けた「秋田しんせい農協」管内を歩いた。7月末に秋田、山形両県を襲った記録的大雨により、秋田県での農林水産関係の被害額は185億円を超え、犠牲者も出ている。

同農協管内では2000ヘクタールの農地が冠水、浸水して土砂・流木が流入し、全耕地面積の26%になった。被害額は78億円に達し、その他に農協のカントリーエレベーターが稼働できなくなるなどの被害も出ている。

私が住んでいる旧瓜連町の面積は1466ヘクタールだから、それよりもはるかに広い。水害発生時は水稲の出穂時期。水路が崩落し、冠水しない水田でも水が入らなくなった。農協では水田に入水するためのポンプ・発動機を手配し、いもち病防除のために、ドローンによる農薬散布を実施した。

農協ではさらに、国や県、国会議員などあらゆる方面に支援を要請し、激甚災害指定を受けた。復旧工事には95~97%の補助を受けられるというが、いつ始まるのか、いくらかかるのか、見通しが立っていないと、同農協の佐藤茂良組合長は話している。

被災地に入り、被害を受けた山間部の農家の話も聞いた。「土石が水田に入り、農道や水路も寸断され、修復は個人ではできない。被害箇所が多すぎて、由利本荘市役所は何もしていない。復旧には数年かかるだろうが、その間、収入は絶たれる。個人負担もあるが、出せない。土地は本体国のものなので、修復は国がやるべきだ」などの話が聞けた。

農産物自給運動の発祥の地

今年は夏から米価が高騰し、民間業者がコメを買いあさり、農協への出荷が大幅に減っているという。しかし、同農協管内では秋の集落座談会で「困った時こそ助け合いの精神。今こそ協同組合の真価を発揮する時だ。コメを1俵でも多く農協に出荷してくれ」と訴えた。そのため、管内からの流出は出荷契約数量の2%程度にとどまったという。

同農協は合併して28年たつ。その間、米価は半分に下落した。それに合わせるように、管内の農地、農家戸数、組合員が減り続け、農協の販売取扱高も半減した(コメは6割減)。そこで農協では、組合員のために農協をなくしてはならないと考え、支店の統廃合など様々な効率化を図った。その結果、赤字だった営農経済部門を黒字化し、出資配当だけでなく利用高配当もできるようになった。

効率化戦略が一段落したので、農協では成長戦略に舵を切り、地域農業ビジョンを打ち立て、そのための体制も整えた。そうした中での今回の大災害。私はコメの販売戦略、有機農業と学校給食への取り組み、地域の消費者と結びつく直売所の拡充、自給運動など、生活視点での活動の展開を組合長に提案した。ここはかつての農産物自給運動の発祥の地─合併前の「仁賀保町農協」なのだから。(元瓜連町長)

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