火曜日, 10月 6, 2026
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農協よ、どこへ行く─農協全国大会を傍聴《邑から日本を見る》170

【コラム・先﨑千尋】今月18日、東京都内で第30回全国農協大会が開かれたので、末席で傍聴した。農協大会は3年に一度開かれ、今回は全国の農協代表者ら1500人が出席し、2025年から3年間の農協グループの方針を示した決議を採択した。

今大会のテーマは「組合員・地域とともに食と農を支える協同の力─協同活動と総合事業の好循環」。戦略として、食料安全保障への貢献に向けた地域農業の実践、次世代の確保や持続可能な農業の実現、組合員の豊かなくらしの実現、組合員の参画推進、農協・農業への理解醸成などを掲げている。

農協は、経済的には弱くて小さな農家が手をつなぎ、協同の力で所得と暮らしの向上を目指す組織で、消費者の暮らしを守る生協も同じ仲間だ。農協は、農業生産に必要な資材を購入し、生産された農畜産物を共同で販売する。それだけでなく、今では信用(金融)、共済(保険)、農産加工、医療、葬祭など、農家の暮らしに必要なあらゆる事業を行っている。

私はこの農協に約60年前に職員として入り、最後は常勤役員を務めた。これまでの大会議案を所持しているので、その変遷過程を知っている。農協の事業は農業、農政の動きと不即不離なので、その時々の世相と、農協がどう進もうとしているのかが分かる。

今年は、夏に突然、スーパーの棚からコメが消える騒動(?)が起き、消費者をあたふたさせた。原因は、生産費が上がっているのに米価は30年前の半値近くまで下がり、農家の手取りは1時間当たり10円にしかならない、コメを作っては暮らしていけないということにある。

では農協はこの事態にどうするか。急にそんなことになっても(そんなことを言われても)即座に対応できないということなのか、今回の議案はそうしたことには一切触れていない。「食料・農業への貢献」のところで「農業所得の増大と国内農畜産物の安定供給」が方向として示されただけだ。「農協は食と農を支える」という抽象的な文言だけでは、生産者も消費者もどうしていいのか分からない。

大会に参加した茨城県代表者(同)

議論のない大会

前回の大会では「農業者の所得増大」を支え、「消費者の信頼」にこたえる、と決議した。しかし、今回の突然のコメ価格の上昇は農協のおかげではないし、消費者の信頼も損ねてしまった。今回の議案では、農家の手取りがなぜ時給10円にまで落ち込んでしまったのかなどには触れていない。全体として前回の決議を総括していないのだ。

農協はこれまで「決議すれども実行せず」の組織だと批判されてきた。それだけでなく反省すらしない。私のような内部からの批判は異端者の言うことだと極端に毛嫌いされる。

カラフルな大会資料。整然とした進行。ダラダラと長い来賓のあいさつ。意見表明もあらかじめ決められた人だけが行い、異論も闊達(かったつ)な議論もない。

これでいいのだろうか。歌を忘れたカナリア、運動を忘れた農協は、どこへ行く。そう思いながら会場を後にした。茨城県の農協大会は今月30日に水戸市で開かれる。これも、のぞいてみよう。(元瓜連町長)

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