火曜日, 6月 30, 2026
ホームつくば28人の当選者決まる つくば市議選

28人の当選者決まる つくば市議選

つくば市議選の開票が27日行われ、28人の当選者が決まった。内訳は現職が18人、新人が10人、政党別は自民1人、公明3人、共産1人、市民ネット4人。定数を18人上回る46人が立候補していた。当日有権者数は19万7088人。投票率は60.97%だった。

【つくば市議選】(定数28)選管確定

当 8634 塚本 洋二 52 自現⑤
当 7643 川久保皆実 38 無現②
当 5123 市原 琢己 32 無新①
当 4407 飯岡 宏之 62 無現⑦
当 4160 川田 青星 25 市新①
当 3867 山中 真弓 46 共現③
当 3399 小森谷佐弥香 50 市現③
当 3399 神谷 大蔵 51 無現④
当 3314 小久保貴史 51 無現④
当 3214 木村 修寿 70 無現④
当 3190 塩田  尚 74 無現⑨
当 3155 篠内 幸代 46 公新①
当 3108 梅沢 尊信 41 公新①
当 3100 青木 真矢 45 無新①
当 3029 川村 直子 52 市現②
当 3001 田代  優 33 無新①
当 2891 木村 清隆 60 無現④
当 2835 小村 政文 30 無現②
当 2802 渡辺 峰子 55 公新①
当 2802 浅野英公子 63 市現②
当 2766 五頭 泰誠 56 無現④
当 2713 酒井  泉 75 無新①
当 2650 黒田 健祐 43 無現④
当 2434 樋口 裕大 36 無新①
当 2426 中村 重雄 54 無現②
当 2290 榊原アリーゼ 29 無新①
当 2212 高野 文男 61 無現③
当 2194 伊藤 文弥 36 無新①

・ 1922 野崎 裕二 37 無新
・ 1861 橋本けい子 70 共現
・ 1756 佐藤せつ子 71 共新
・ 1548 長塚 俊宏 62 無現
・ 1263 桜井 裕基 41 無新
・ 1146 木村 芳美 61 無新
・ 913 齊藤 新吾 49 無新
・ 817 薮下(鎌田)典子 49 無新
・ 793 砂坂 善成 73 無新
・ 653 田島 由紀 39 無新
・ 408 金岡  誠 38 無新
・ 385 藤木  潤 45 無新
・ 306 加藤  豊 62 無新
・ 248 黒崎  博 42 無新
・ 213 荘司 信之 49 無新
・ 212 広石 恒生 57 無新
・ 204 恩田  肇 61 無新
・ 95 山崎 健介 49 無新
 ※政党名は自=自民 公=公明 共=共産 市=市民ネット、無=無所属

【つくば市議当選者一覧】

届け出順(氏名・敬称略、年齢、職業、政党・政治団体、現職・新人・元職の別・過去の当選回数)

塚本 洋二(つかもと・ようじ)52 飲食店 自現④
【略歴】県立土浦産業技術専門学校自動車整備科卒。御食事処三丁目個人事業。社会福祉法人博愛会理事。信輝インターナショナル顧問。つくば市出身。花畑在住
【公約】①近隣自治体との連携した公共バス整備②身近な公園・緑地の整備と遊具の充実
③体育館などへエアコン設置(避難所対応も含め) 

川久保皆実(かわくぼ・みなみ)38 弁護士 無現①
【略歴】東京大法学部政治学研究科修了。つくば市議会議員。弁護士。シンプルウェイ取締役。つくば市出身。松代在住
【公約】①子育て支援を中心とした政策20件の実現②各政策の進歩状況の徹底的な見える化③子育て目安箱・ごみ拾い交流会を通じた広聴

市原 琢己(いちはら・たくみ)32 医師 無新
【略歴】東京医科大医学部卒。医療法人健佑会理事長。つくば医師会理事。社会福祉法人健誠会理事。つくば市出身。吾妻在住
【公約】①教育日本一のつくば②もっと住みたくなるつくば③医療DX化を推進し、安心な街つくばを目指す

飯岡 宏之(いいおか・ひろゆき)62 建設会社職員 無現⑥
【略歴】日大理工学部卒。飯岡建設。元・アイ・エヌ・エー筑波研究所。元・筑波学園企画 つくば市出身。上野在住
【公約】①周辺部と中心部との格差是正②子育て支援の施策に力を注ぎ好循環なまちづくり③緊急通報システム事業の拡大

川田 青星(かわだ・あおる)25 政治団体運営委員 市民ネット新
【略歴】日本大法学部卒。つくば・市民ネットワーク運営委員。元・県内金融機関勤務。つくば市出身。高見原在住
【公約】①相談体制の拡充をはじめ、子育て支援を強化②周辺地域のまちづくりを活性化
③子ども一人ひとりの多様な学びを実現

山中 真弓(やまなか・まゆみ)46 党役員 共現②
【略歴】東京農工大大学院連合農学研究科修了。政党役員。元・ツムラ社員。栃木県市貝町出身。上ノ室
【公約】①学校給食費ゼロ・県立高校増設②水道料金値上げストップ③高齢者へのタクシー・民間路線バスの運賃補助

小森谷佐弥香(こもりや・さやか)50 薬剤師 市民ネット現②
【略歴】富山医科薬科大薬学部卒。保険薬局薬剤師。元・製薬会社MR(医薬情報担当者)勤務。群馬県前橋市出身。研究学園在住
【公約】①情報公開と市民参加をもう一歩前へ②人間にも環境にも健康的なまち つくばへ③TX沿線に市民が集える居場所を

神谷 大蔵(かみや・だいぞう)51 卸販売業社長 無現③
【略歴】霞ケ浦高校卒。つくば観光コンベンション協会副理事長。筑波山地域ジオパーク推進委員会委員長。つくばフェスティバル実行委員会委員長。筑波物産代表取締役。元・つくば市議会議長。元・つくば青年会議所理事長。つくば市出身。沼田在住
【公約】①災害や危険に強い街づくり②誇れる周辺地域の街づくり③子どもや高齢者が明るく元気に暮らせる街づくり

小久保貴史(こくぼ・たかし)51 農業法人代表 無現③
【略歴】八ケ岳中央農業実践大卒。筑波農場代表取締役。つくば市筑波土地改良区副理事長。つくば市監査委員。元・つくば市議会議長。元・つくば青年会議所理事長。つくば市出身。小田在住
公約】①道の駅や産業集積拠点整備で地域活力の向上へ②子供や高齢者がいきいき暮らせるまちづくり③市中心部と周辺地域の格差是正の取り組み

木村 修寿(きむら・しゅうじ)70 元つくば市役所職員 無現③
【略歴】土浦日大高校卒。つくば市議会議員。つくば市島名地区まちづくり協議会会長。つくば市保護司。つくば市・福田坪区画整理審議会委員。総務文教常任委員長。元・谷田部町役場職員。元・つくば市役所職員。つくば市出身。島名在住
【公約】①香取台・みどりの・研究学園地区へ地域交流センターの整備②高齢者・障害者福祉の充実③圏央道地域への道の駅の整備

塩田 尚(しおた・ひさし)74 行政書士 無現⑧
【略歴】神奈川大法学部卒。つくば市議会議員。行政書士。元・谷田部町議会議員。元・茨城県議会議員。愛媛県四国中央市出身。真瀬在住
【公約】①学童保育の待機児童をゼロにする②全ての学校にフリースクールを設置する③ヤングケアラーの子どもを支援する制度を作る

篠内 幸代(しのうち・さちよ)46 政党役員 公新
【略歴】創価大教育学部卒。公明党副支部長。元・美浦村立大谷小非常勤講師。元・つくば市立谷田部東中学校サポーター。つくば市出身。小野川在住
【公約】①幼児期の発達相談体制・多様な学び・学校教員への支援体制の充実②帯状疱疹ワクチンの公費助成③高齢者のゴミ出し等の生活支援

梅沢 尊信(うめざわ・たかのぶ)41 塗装業会社経営 公新
【略歴】筑波研究学園専門学校卒。梅沢塗装工業代表取締役社長。つくば市商工会青年部副部長。つくば市出身。君島在住
【公約】①「車が無くてもどこにでも行ける」街づくり②生活道路・通学路の整備と道路環境整備③区域指定の拡大

青木 真矢(あおき・しんや)45 農業団体代表 無新 
【略歴】京都芸大情報デザイン学科卒。アオニサイファーム代表。ワニナルプロジェクト。ファストユニオン。EAT and kamiGo実行委員会代表。京都府京田辺市出身。島名在住
【公約】①市民全員が住みやすい環境を整備する②観光を通じて街を盛り上げる③幅広い世代が輝ける街にする

川村 直子(かわむら・なおこ)52 社会福祉士 市民ネット現①
【略歴】日本福祉大社会福祉学部卒。つくば市議会議員。元・日本聖公会名古屋学生青年センター主事。新潟市出身。花園在住
【公約】①LGBTQ等生きづらい人が自分らしく生きられる地域づくり②あらゆる場面でのジェンダー平等推進③気候危機対策の積極的推進

田代  優(たしろ・ゆう)33 飲食店職員 無新
【略歴】聖徳大学附属聖徳高校卒。麺屋こうじ。龍ケ崎市出身。学園の森在住
【公約】①教育環境の充実(給食無償化、病児保育の強化)②安全なまちづくり(通学路整備、親子防災)③優しい地域のつながりづくり

木村 清隆(きむら・きよたか)60 団体理事 無現③
【略歴】日本大法学部卒。つくば市議会議員。公益社団法人国際IC日本協会理事。つくば市立豊里中学校評議員。TISつくばインターナショナルスクール学校評議員。元・日本ファイリング。元・日本労働組合総連合会茨城県連合会副会長。元・ものづくり産業労働組合JAM。つくば市出身。上郷在住
【公約】①中小企業振興基本条例を制定し、地域経済活性化に取り組む②教育予算拡充③2025年問題対応、高齢者と共に次世代を大切に考える

小村 政文(こむら・まさふみ)30 観光業 無現①
【略歴】筑波大生物資源学類卒。勝手につくば大使。北海道網走市出身。花畑在住
【公約】①子育て当事者として、産みやすい・育てやすいまちを推進②議会の情報を分かりやすく見える化③筑波大学の存在を活かし、スポーツでつくばを盛り上げる

渡辺 峰子(わたなべ・みねこ)55 政党役員 公新
【略歴】東京スチュワーデス専門学校卒。公明党つくば支部副支部長。元・味の素勤務。元・つくば市立高崎幼稚園勤務。元・ママMATE社。美浦村市出身。高見原在住
【公約】①ワークライフバランスにおける支援政策を推進②防災減災対策を徹底し、安心安全な地域づくり③車がなくても困らない街づくり

浅野英公子(あさの・えくこ)63 元・高校講師 市民ネット現①
【略歴】東京外国語大卒。元・学習塾。元・高校講師。元・オーガニック検査員。富山市出身。吾妻在住
【公約】①市民意見が尊重されるまちに②こどもがホッとできる場をふやす③特に高齢者の生活支援の情報が確実に届くようにする

五頭 泰誠(ごとう・やすまさ)56 建設業 無現③
【略歴】つくば市議会議員。保護司。五頭産業。元・つくば市産業育成協議会代表理事。元・つくば秀英高校PTA会長。元・土浦三高PTA理事長。栃木県小山市出身。吉瀬在住。
【公約】①スマートICによる周辺道路の整備②河川敷に新たなグランド整備③犬と共存共栄の地域づくり

酒井 泉(さかい・いずみ)75 市民団体代表 無新 
【略歴】東北大工学部卒。桜中部まちづくり協議会副会長。つくばのまちづくりを考える会代表。元・福井大学教授。元・高エネルギー加速器研究機構准教授。つくば市出身。上境在住。
【公約】①「科学と教育と集落の緑」つくば市のブランド化②「情報の共有と対等な議論」民主主義の徹底③「個人の尊厳を守る」福祉社会の実現

黒田 健祐(くろだ・けんすけ)43 元会社員 無現③
【略歴】学習院大文学部哲学科卒。つくば市議会議員。元・ネクシィーズ(派遣元フルキャストグループ)、元・シティバンク(派遣元グッドウィルグループ)、元・アンパス勤務。つくば市出身。東平塚在住
【公約】①定住促進(選ばれるまちづくり)②産業創出(強いまちづくり)を進める③持続可能な発展と財政力を維持し、住民福祉の向上に努める(住み続けたいまちづくり)

樋口 裕大(ひぐち・ゆうだい)36 ファイナンシャルプランナー 無新
【略歴】敬愛大学国際学部卒。Doitプランニング社ファイナンシャルプランナー。千葉市出身。みどりの南在住
【公約】①高校進学の不安を解消します②こどもたちの安心・安全の確保③みんなが主役の居場所作り

中村 重雄(なかむら・しげお)54 米穀店代表 無現①
【略歴】東洋大附属牛久高卒。つくば市議会議員。中村米穀店代表取締役。つくば市商工会理事。つくば市消防団谷田部支団指導員。つくば市出身。谷田部在住
【公約】①消防団の組織強化と地域防災力の強化②農商工の連携をはかり地域経済の好循環③安心安全な教育環境の実現

榊原アリーゼ(さかきばら・ありーぜ)29 政治団体代表 無新
【略歴】水戸南高校卒。政治団体縁粋会代表。元・タクシー運転手。元・運転代行。かすみがうら市出身。中根在住
【公約】①子育て・教育支援の充実②高齢者支援の強化③安全で安心な街づくりと市民還元

高野 文男(たかの・ふみお)61 損害保険代理店代表 無現②
【略歴】県立藤代高卒。損害保険代理店代表。牛久茎崎ライオンズクラブ監査。つくば中央倫理法人会相談役。くきざき夢まつり実行委員長。つくば市出身。上岩崎在住
【公約】①子育て支援と教育環境の整備②防災・災害対応に充実した街づくり③農業環境の充実と新たなる産業の創出

伊藤 文弥(いとう・ふみや)36 農業福祉法人代表 無新
【略歴】筑波大理工学群科学類卒。NPO法人ユウアイフィールドつくば代表理事。保護司。元・NPOつくばアグリチャレンジ副代表理事。愛知県碧南市出身。並木在住
【公約】①障害のある人の就労支援と環境整備②特別支援教育の充実と教育環境の改善③学校給食の地産地消化推進

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

62 コメント

62 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

日本の「安全の父」蒲生俊文《安全の窓》1

【コラム・佐々木哲美】日本では毎年7月1~7日が「全国安全週間」に設定され、今年で99回目を迎えます。私たちが職場で当たり前のように行っている「KY(危険予知)活動」「ヒヤリハット」「リスクアセスメント」「安全教育」などは、100年以上前に1人の技術者が抱いた疑問から始まりました。その人物は「日本の安全の父」と呼ばれる蒲生俊文(がもう としふみ、1883~1966) です。 なぜ同じ事故が繰り返されるのか 1910年代の工場は、今では考えられないほど危険な環境でした。機械にカバーはなく、作業手順も統一されていません。事故が起きても「運が悪かった」で片づけられた時代です。東京電気(後の東芝)で働いていた若い技術者・蒲生は、毎日のように起きる事故を見て、「なぜ同じ事故が繰り返されるのか」と強い疑問を抱きました。この問いが、日本の安全文化の出発点になりました。 1914年、東京電気で、日本初の本格的な安全運動が始まります。蒲生は事故を記録・分析し、傾向をつかむという当時としては画期的な方法を導入しました。「事故は偶然ではなく必然であり、必然なら防げる」という彼の考え方は、現代の安全工学そのものです。危険箇所の改善、作業方法の統一、安全掲示、安全教育など、今につながる取り組みを次々と形にしました。 その後、蒲生は企業の枠を超え、1917年に「安全第一協会」の設立に関わります。後の中央労働災害防止協会(中災防)の源流となる団体で、蒲生は機関誌「安全第一」を通じて安全思想を全国に広めました。さらに、1920年代以降の官製安全運動にも知見を提供し、制度づくりにも影響を与えました。 制度ではなく「人」で安全を語れ 一方、アメリカのUSスチールでは、トップのエルバート・H・ゲイリー(1846-1927)が「Safety First(安全第一)」を掲げ、安全文化を社会に広げました。ゲイリーが世界的に知られているのに対し、蒲生が日本でさえ知られていないのは、日本の安全史が制度中心で語られ、人物が表に出にくい文化にあると思います。安全活動が企業内の改善にとどまり、物語として語られなかったことも、若手が安全に誇りを持ちにくい理由の一つです。 黎明(れいめい)期には他にも小田川全之、内田嘉吉、戦後には三村起一など人物がいましたが、いずれも広く知られてはいません。本来、安全の歴史は制度ではなく、「人」で語られるべきものです。現場で考え、行動し、仲間を巻き込み、社会に広げた人々の物語こそ、安全文化の根を育てます。 日本の安全は、1人の技術者が「このままでいいのか」と問い続けたところから始まりました。その最初の火をともしたのが、蒲生俊文です。(労働安全コンサルタント) 【ささき・てつみ】盛岡工高卒。中堅ゼネコンに入社し、千葉県、茨城県を中心に29年間、土木工事の現場、アグリプロジェクトを担当。定年前7年間は安全担当。土浦市の区画整理事業を担当したことをきっかけに、1991年に土浦市へ移住。そこで「NPO宍塚の自然と歴史の会」と出会い、30年以上、同会の活動に参加。土浦労働安全コンサルタント事務所代表。2023年まで暮らした土浦市が第2の故郷。現在は東京都昭島市在住。1952年生まれ、盛岡市出身。

長屋門と暮らし《デザインを考える》33

【コラム・三橋俊雄】私たちは歴史的な建物を見るとき、その形や古さ、造りの美しさに目を向けがちです。もちろんそれらは大切な価値ですが、私たちが守り、受け継いでいくべきものは建物だけではありません。そこに人が住み、働き、家族を育み、地域の人々と交わりながら積み重ねてきた暮らしの記憶こそ、大切な財産ではないでしょうか。 つくば市には、現在200門を超える長屋門が残っています。建築の視点からの調査は進み、構造や年代、意匠の特徴は明らかになってきました。しかし、その長屋門の内側で営まれてきた「暮らし」や「生活文化」については、まだ十分に語られていません。 長屋門は単なる建築物ではなく、農家の仕事場であり、地域の人々が行き交う交流の場であり、家族の暮らしを守る境界でもありました。門の奥には農具の音や馬のいななき、子どもたちの笑い声が響き、冠婚葬祭の出入り口として、地域の記憶もまた長屋門を通って刻まれていきました。 今こそ、私たちに求められるのは、建築物としての価値だけでなく、長屋門を中心に広がっていた生活の風景を掘り起こす調査ではないでしょうか。 生きた文化財 筆者が行った、長屋門(写真左上、右上は主屋)の主人であるG氏の生き方に関する調査は、長屋門を単なる出入口ではなく、農作業、家族の営み、地域の往来が交差する生活の舞台として捉えるものでした。その門をくぐる人々の姿や交わされる言葉、季節ごとの農作業のリズムまでを含めてこそ、長屋門を「生きた文化財」として捉えることができると思います。 長屋門の東側の部屋では、餅つきや醬油(しょうゆ)搾り、味噌(みそ)造り、たくあんや白菜などの漬物づくりが行われていました。一方、西側の部屋は大豆や落花生の倉庫として用いられていました。西側の最も大きな部屋(写真左下)には農機具が収納され、さらに製茶用に土で固めた焙炉(ほいろ:下で火をたき、その上で蒸した茶葉をもみながら乾燥させる装置)も備えられていました。村には必ず一人、手もみ製茶(揉捻:じゅうねん)を担う人がいて、G家もその人に製茶を依頼していたそうです。 また、1943(昭和18)年の金属類回収令により、居宅の鉄格子や刀剣数十振りとともに、長屋門の門扉に付けられていた「乳金物(ちちかなもの)」や「入八双(いりはっそう:魚尾形の飾り金物)」(写真右下)の装飾金具も、すべて供出させられたとのことでした。 暮らしのデザイン G氏の生き方をたどることは、彼女が長屋門とどのように向き合い、そこにどんな価値を見いだしてきたのかを明らかにする営みでもあります。農作業の段取り、家族の役割分担、地域とのつながり、そして門を守るという誇り。そうした一つひとつの行為の積み重ねが、長屋門を中心とした生活文化を形づけてきたのです。 筆者の調査は、建物そのものを測るだけでは見えてこない「暮らしのデザイン」を掘り起こす作業でした。長屋門の先に広がる、つくばの歴史を受け継ぐための大切な視点がそこにあると思います。(ソーシャルデザイナー)

土浦の花火100年の紡ぎ⑹《見上げてごらん!》53

【コラム・小泉裕司】観客動員数の推移について、「土浦の花火オフィシャルカレンダー2026」の6月のページには、「第14回(1946年)の35万人(当時人口の約7倍)から順調に増加し、第77回(2008年)には過去最多の80万人を記録した。当時は土浦駅に入場規制がかかるほどの混雑ぶりだった。その後は70万人ほどで推移している」とある。 2025年(第94回大会)の観客動員数は65万人。この数字の変遷は、大会が歩んできた発展の歴史そのものといえる。こうした発展の裏には、これまであまり功績を紹介されてこなかった業界の著名人がいる。 東大卒の花火師が土浦に 東京帝国大学文学部を卒業した花火師、武藤輝彦氏(1921~2002)は、日本の近代花火を語る上で欠かせない先駆者の1人だ。前回(5月17日掲載)紹介した通り、武藤氏は、かつて「土浦火工」とともに、土浦の花火産業の両輪を担った「昭和火工」の専務として、北島義一氏と共同経営にあたっていた。 その工場は土浦市上高津にあり、玩具(がんぐ)花火を幅広く取り扱いながら、東京浅草橋の事務所を拠点に全国へ営業を展開していたのである。 花火史に残る武藤氏の功績 昭和火工の再興から5年後の1961年、花火を文化財の対象にすべく「日本煙火芸術協会」が設立されると、武藤氏は事務局長に就任した。その事務局は、浅草橋の昭和火工事務所内に同居する形でスタートしている。大学卒業後にさまざまな職を歴任したという彼の多様な経験と広い視野が、この精力的な活動を支えたに違いない。 翌1962年には、花火の安全保安に寄与するため、北島氏とともに「日本煙火協会」の設立にも専務理事として深く携わった。花火師として35年余のキャリアを誇る一方で、武藤氏は生来の文才を生かし、日本の花火を「知」として編み上げた人物でもある。『ドン!と花火だ』や『日本の花火のあゆみ』といった多くの著書がそれを物語る。 かつて、土浦市立博物館が「花火を歴史としては捉えてこなかった」と省みたように、煙火業界において花火はそれまで「門外不出の秘伝や口伝が多く、学術的記録にしにくい芸術」とされてきた。それを丹念に文章化し、歴史、技術、文化を後世に書き残した功績は極めて偉大だ。 花火は安全が絶対条件 武藤氏の歩みは、土浦の地にとどまらない。後に、北海道で廃業の危機にあった火工品会社の経営再建を引き受け、1976年には「海洋化研」(札幌市)を起業した。同社は1978年に初めて第47回土浦全国花火競技大会に出品し、今や常連だ。武藤氏の没後も、北海道唯一の業者として創造花火の部に出品し、今なお土浦の夜空を彩り続けている。 土浦の花火史に大きな足跡を残した武藤氏のモットーは「花火は、安全が絶対条件」であった。それは、北島氏が掲げた「安全なくして花火の発展なし」という信念と、まさに響き合うものだったに違いない。本日はこれにて打ち留めー! (花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「日本煙火協会参拾年史」(日本煙火協会、1993年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「新訂現代日本人名録2002」(紀伊國屋書店、2002年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「HaNaBi 第4部」(朝日新聞秋田版、2024年6月20~22日)

梅仕事《宍塚の里山》137

【コラム・西川菜緒】春、梅の花が咲き終わると、実が少しずつ大きくなります。花が全て結実してくれるとうれしいのですが、残念ながら、今年は例年と比べ実の数が少なめでした。枝をじっくり観察してみると、実が付いている枝と、付いていない枝があるので、受粉が足りなかったのだろうか?それとも、剪定(せんてい)する枝の選び方が良くなかったのだろうか?など、よく観察して次の冬の剪定に備えます。 5月後半から、青梅の収穫が始まります。実が青いうちは、葉の色と混同して見つけづらい上に、今年は、まばらな梅の実を眺め、少し遠慮気味に収穫しました。青梅は、梅シロップや梅酒に加工します。梅シロップは、氷砂糖で漬けるとスッキリした味わいに仕上がり、きび砂糖やてんさい糖で漬けるとコクが出ます。毎年、種類の違う砂糖をブレンドし、配合を変えながら味を楽しんでいます。 6月に入ると、完熟梅の収穫が始まります。宍塚にある梅の木は大木が多く、手の届かないところにたくさんの実が付いているので、台風や嵐の後は収穫のチャンスです。落ちた梅を拾いに、梅林に向かいます。収穫の際、木から梅をもぎ取る作業は、なんだか申し訳ない気持ちになるのですが、逆に、落ちている梅を拾う作業は「一粒たりとも無駄にしてはならない! ありがたくいただかなくては!」という気持ちに変化します。 ジャム、梅みそ、梅干し 落ちて少し傷みや虫食いのあるものは、ジャムに加工します。完熟梅のジャムは、梅の酸味に加え香りが良いです。みそと砂糖で漬け込む、梅みそもオススメです。生野菜、豆腐、蒸し鶏などにトッピングすると、夏場の食欲のない時期でも、スッキリとした味わいになり食べやすいです。傷のないキレイな梅は、梅干し用にします。梅は、そのままでは食べることができず、一手間かかるのですが、この一手間が保存食として長く楽しめる秘訣です。漬けた梅干しからできる、梅酢も優秀な保存調味料です。しば漬けや、醤油と合わせて梅ポン酢にして楽しみます。 振り返れば、今年もたくさんの梅を収穫することができました。梅雨が明けたら、梅干しの土用干しが始まります。夏の日差しを浴びる、梅干しの景色が楽しみです。(宍塚の自然と歴史の会 会員)