土浦、つくば両市にあるフラダンスの教室が20日、土浦市大岩田の霞ケ浦総合公園に集結、「ハワイの風景にそっくり」という湖畔の芝生広場を会場に、日がなフラのパーティーに興じる。
ALOHA PARTY(アロハパーティー)実行委員会による2回目の開催。ハワイ語でフラダンス教室の意味になる「ハラウ」8団体が集結する。
実行委員会を束ねる桑名美千代代表によれば「フラダンスのイベントは公民館とか市民会館とかで行われていたけど、コロナ禍以来みんなで集まりにくくなった。やっぱりフラは太陽の下踊るもの。騒ぎが癒えたら、屋外で集まりたいね」とよく話していたという。
そんなとき霞ケ浦総合公園にある国民宿舎水郷「霞浦の湯(かほのゆ)」の2階の窓から見える霞ケ浦の景色にびっくり。入り江の芝生広場が「ハワイの風景によく似ている」と昨年秋、土浦、つくば両市の各教室に呼び掛け、7団体の参加で1回目を開いた。
これが好天にも恵まれ、好評。今回は8つのハラウに拡大した。Kapā Hula O Kulia ikeākea(カパー フラ オ クーリアイケーア)、LANIKEA HULA STUDIO(ラニケア フラ スタジオ)、Hālau Hula ‘O Mino’aka(ハーラウ フラ オ ミノアカ)、Hālau Hula O Wailani(ハーラウ フラ オワイラニ)、Hoa Hele O Kuwana(ホア ヘレ オ クワナ)、Hula O Moana(フラ オ モアナ)、カラニ ハワイ フラスタジオ、土浦フラサークルの8教室だ。
20日は、受け継がれてきたハワイの宝を守る気持ちで踊る「He Lei Aloha」をオープニングに、朝10時から午後4時まで深まる秋の霞ケ浦に「常夏」のパフォーマンスを演出する。
3つのハワイアンバンドが出演するほか、ハワイアンアクセサリーや雑貨のマルシェも開催。出店するキッチンカーもすべてハワイアンフードでの味付けになるという。
桑名代表は「フラを学ぶ子供たち、保護者たちの交流の場として始めたが、地域の人たちにも参加してもらって輪を広げたい。ぜひお越しいただきたい」と呼び掛けている。雨天の場合は「霞浦の湯」で屋内開催となる。(相澤冬樹)
霞ケ浦にハワイを見っけ! フラダンス8教室 土浦に集結
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祭囃子と縁日と、それからラムネ《ことばのおはなし》85
【コラム・山口絹記】つくばに住むようになってから、新型コロナによる中止期間を除いて、なんだかんだと毎年つくばの夏祭りには足を運んでいる。目的はつくば駅周辺で行われるパレードとねぶた、というよりも縁日の方である。今年はこどもたちを連れて2日連続での参加だ。
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毎年の特別なイベントに
こどもたちのラムネの瓶をあけて手渡す。喉を鳴らして飲むこどもたちにつられて、自分も一口飲んでみる。最近のラムネ瓶はプラスチック製なので、なんとなく風情に欠けるような気もするが、猛暑の中で祭囃子(ばやし)を聞きながら飲むラムネはいつの時代でも格別においしい。
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「神経多様性」を妄想する《看取り医者は見た!》44
【コラム・平野国美】非常事態で輝いた自閉症スペクトラムの図書館員の話(前回コラム)から、私の妄想は膨らむのです。人類がまだ獲物を追いかけ、新天地を求めて移動していた時代。その集団の先頭を歩いたのは、神経多動性(ニューロダイバーシティ)という特性を持つ人々だったのかもしれません。彼らの飽くなき探究心と衝動性は、集団を未開の地へと導く力となりました。しかし、その旅もいつか終わりを迎えます。
肥沃な土地に恵まれ、食料を安定して得られるようになったとき、人類は定住という新しいフェーズへと突入したのです。そして、この定住化という歴史的な大転換を支えたのが、「自閉症スペクトラム(ASD)」の特性を持つ人々だったのではないでしょうか。
定住生活の象徴ともいえるのが稲作です。稲作は、広大な土地を移動し続ける狩猟採集とは全く異なる、精密な「システム」でした。いつ種をまくか? 水を引くタイミングは? 収穫の時期は? すべては綿密な計画と繰り返されるルーティンワークによって成り立っています。
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稲作に生きた「守り人」の才能
稲作は、単に作業を繰り返すだけでは達成できません。その年の気候や土壌の状態、稲の成長具合といった、目に見えない無数の情報を読み解き、次の年に生かす必要があります。ASDの特性を持つ人々の中には、人間関係の複雑な「空気」を読むのは苦手でも、特定の分野で驚異的な観察力を発揮する人が多くいます。稲の葉のわずかな色の変化、土の湿り気、病害虫の兆候…。
彼らは、そうした非言語的な情報を誰よりも正確に把握し、集団に伝える「知恵袋」であり、「データベース」だったのではないでしょうか。彼らの緻密な観察力と、それを体系的に記憶する能力がなければ、稲作という文化は次世代へと受け継がれなかったかもしれません。
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除草中に小石跳ね 割れたガラスで幼児がけが つくば市
つくば市流星台、桜庁舎跡地で2日午後3時ごろ、市の委託業者が除草作業中、小石が跳ね、隣接の市子育て総合支援センターのガラス3枚が破損し、割れたガラスの破片で2歳の男児がけがをする事故が発生した。3日、市が発表した。
市公共資産利活用推進課によると、業者が肩掛け式草刈り機で、同支援センターから約2メートルほど離れた場所の草を刈っていたところ、小さな小石が複数個跳ね、同支援センター内の一部ガラス張りの部屋のガラス3枚が破損した。ガラスは1枚の大きさが高さ2メートル、幅80センチの強化ガラスで、3枚にひびが入り、ひびの一部が細かく粒状になって床に落ち、近くにいた市内に住む2歳男児が足の裏に長さ約1センチの切り傷を負った。男児は破損したガラスが当たったか、踏んだかしてけがをしたと見られている。
男児はこの日、母親と同支援センターを利用していた。事故後、母親が病院に連れて行き、男児はけがの治療を受けた。
市こども政策課によると、事故があった部屋は、未就学児と保護者が自由に遊べる「子育て親子のつどいの場(けやき広場)」という部屋で、事故当時、子ども18人と保護者13人が利用していた。
事故原因について市公共資産利活用推進課は、除草作業中、委託業者は飛び石防止ネットを使用することになっているにもかかわらず、事故時、業者は南側の道路側にしかネットを使用しておらず、同センターがある北側ではネットを使用していなかったためとしている。市はけがをした家族に謝罪、今後、業者が被害者への補償と施設の修繕を行うという。
ガラスが割れた箇所は現在、板が張られている。同つどいの場では、床に落ちた粒状のガラス片の清掃が実施されているほか、室内にあるマットやおもちゃなどにもガラス片が付着している恐れがあるため清掃作業を実施し、3日から5日まで利用を停止する。一方、つどいの場以外の一時預かりやラウンジ、他の部屋は引き続き利用できる。つどいの場は6日から利用を再開する。強化ガラスは納品でき次第、設置するが、特殊な製品であることから日数がかかるという。
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紙を折って月に行こう《続・気軽にSOS》164
【コラム・浅井和幸】やりたいこと、やらなければいけないことがたくさんあるのに、ダラダラしてしまう。人生を変えるような大きなイベントがなぜ自分には起きないんだと思う。やる気を出すにはどうすればよいのか、自分のやる気スイッチの場所を知りたいと悩む人もいるでしょう。
そこまでやりたいことではないんでしょ?とか、やらなくていけないことをやらなくても支障がないんでしょ?という突っ込みは、今回は置いておきます。
今回は、素晴らしいこととか、大きなことを成すための動きはやる気が出てからという発想の、逆の方法を試してみてはいかがだろうかという提案です。その方法の一つは、やる気のあるなしではなく、それをやる構造を作る方法です(やらない構造を外す)。二つ目は、大きなまとまりではなく、小さく区切るという方法です。
やる気というのは、何か行動をしてからついてくるものです。大掃除をしようとしても、面倒だし時間もないし、体力も使うしと、行動しない理由が先に出て、掃除は後回しになってしまうものですが、机の上をちょっとだけ拭こうと動いたら、別の汚れも気になって広い範囲の掃除をしてしまうというようなことです。
これを一つ目で言うと、部屋のあちこちにごみ箱や掃除用具を置いておくことです。二つ目では、その掃除用具のある周りを少しだけきれいにするということです。
これだけで、普段見もしない奥の方に掃除用具を閉まっているよりも、ずっと掃除をする習慣がつきやすくなります。ギターの練習をしたい時は、いつも座っているところの脇にギターを置きすぐ触れるようにして、ちょっとだけでも触る構造をつくるというものです。
ダイエットのためにポテトチップを食べないという行動をするのであれば、食べないという行動がしやすいように目の前にポテトチップを置かないこと。手の届かない、取るのが少し面倒な棚の中にしまうだけでも、効果はあります。
ささいなことの積み重ねが大事
理論上、紙を42回折ると月に届くそうです。0.1ミリの厚さの紙を42回折ると、38万キロメートル(地球と月の間隔)を大きく超える暑さになる計算です。もちろん、そんな大きな紙もなければ、そんなにたくさん紙を折り返せないなど現実的には不可能なことらしいです。
今回伝えたいのは、ほんのささいなことの積み重ねが大きな変化になるということです。バットの素振りをする、絵を描く、小さな善行を行う、ささいな工夫をする、笑顔を向ける、知識を得る、筋トレをする、お金をためるなど、ほんのささいなことを続け積み上げることで、どれだけ大きな成果が得られるかは、はかり知れません。
宝くじに当たるなどの明確な大きな一回は感じやすいのですが、ささいなことの積み上げは感じ取りにくいので、ほとんどの人は行いません。ほとんどの人が行っていない、気づいていないからこそ、ささいな積み重ねを長年行うと大きな成果、特別な人というところに到達できる大きな要因になるのです。
不健康になる、不幸になる、嫌な人間になる、そんな積み重ねはしないようにしてくださいね。(精神保健福祉士)