【コラム・原田博夫】今回は、私が米国および英国で経験した軽微な(体力勝負でない)アウトドア活動についてです。2度目の米国滞在中(1993年、ワシントンDC近くのバージニア州フェアファックス)、バードウォッチングの会に何度か参加しました。
土曜日の早朝(日の出直後)、大西洋岸の河口あるいは(バージニア州西部の)シェナンドー・バレー麓などの適当な駐車場に15名程度が集合した後、リーダーの誘導で、防水対応のシューズと携帯双眼鏡を片手に、森林、灌木(かんほく)や草地に静かに分け入るのです。
この経験で私が得たポイントは、鳥を探すにはむやみに辺りに目を向けるのではなく、さえずりや羽音のする方向に体と視線と双眼鏡を向ける、ということでした。
ベテランになれば、鳥のさえずりでその鳥の姿と名前を当てることができます。私も、カセットテープを入手して、車の運転中、語学テープをヒヤリングする要領でチャレンジし、帰国後も少し続けてみましたが、残念ながら、とてもその域には達しませんでした。要するに、鳥のさえずりは聞き分けられませんでした。
米国のバードウォッチングでは、もう一つ得難い体験をしました。熱心な会員の中には、自宅を野鳥の住み家にしつらえている方が少なくない、ということです。
そうした会員のお誘いで、ご自宅に案内されたとき、そのご自宅はさほど広いわけではないものの、家屋内部も庭もきちんと手入れされているだけでなく、いたるところに巣箱と水辺が配置されていて、野鳥がこれらを目指して絶えず飛来するのです。当家の方は日ごろからそれを眺め、かつ1年を通じた変化を楽しんでいるのです。
しかも、同好者に自分たちの「作品」を披露することで、それぞれの満足感・好奇心を高めているのです。
自宅を限定的に開放する試み
自宅を限定的ながらも開放するという試みは、英国でも、ガーデニングやフラワーアレンジメントの会で体験しました。
元々、かつての領主の館や庭園などはナショナルトラスト運動の対象になっていることもあり、広大でかなり解放されているのですが、それほどの由緒・来歴を持たない一般庶民のささやかな家屋や庭でも、こうした公開対象になっているのです。それは、自然およびその移ろいを楽しんでいる自分たちの「作品」を、同好者に見てもらいたいという気持ちの発露でもあります。
したがって、維持管理が行き届かなくなり、基準に達せずユニークさに欠けると判断されると、公開リストから外されてしまいます。
日本でも、野鳥の会、盆栽、菊づくりなど、歴史と伝統を誇る文化的なアウトドア活動は数多くあります。茶の湯の野点なども、そうした趣向かも知れません。古民家をカフェ・レストラン・宿泊施設などに改修し、こうした歴史的文化遺産の管理・説明を地元ボランティアが交代で担当することなども、地域資源や人材の再生・掘り起しにつながり、有意義でしょう。
しかし、それぞれの自宅などをいわば「作品」として(日にち・時間・対象者を)限定しながらも開放するという静謐(せいひつ)な試みも、地域再生という観点からももう少し普及してもいいのかもしれません。(専修大学名誉教授)