【コラム・山口京子】以下、90歳になる母とかかりつけ医のやりとりです。「歩くのは不自由だが、ほかに悪いところはない。検査でも問題ないし、100歳まで生きるよ」「そんなに長生きしたら大変だ。はやく迎えが来てほしい」。
家に戻って、母は「なんでこんなに長生きなのか。食うや食わずで育ったのに…。ろくな食べ物もなかったし、野良仕事はきつくて、きつくて、つらかった」と、当時のことを語ります。
母の思い出話を聞きつつ、自分のおぼろげな記憶を手繰り寄せると、1960年代前半までの農村は、まだ体を酷使する農作業と、手作業の家事に追われていました。田植えも稲刈りも手作業で、親戚総出の大仕事です。洗濯はタライで洗濯板を使い、ご飯は竈(かまど)。移動は自転車かバイクでした。
それが変わり始めるのが60年代後半です。耕運機が導入され、牛がいなくなりました。家事は洗濯機や炊飯器で様変わりします。70年には街にスーパーができ、様々な商品が並んでいました。テレビに映る米国の生活スタイルがまぶしく見えました。生活が楽にきれいになっていくことは望ましいことだ、と。
いつのころからか、母は「作るより買う方が安い」と言うようになりました。そのころから、ハレ(晴れ)とケ(褻)の食の区別もなくなっていったように思います。
第一次産業が土台にある暮らし
父が農業をやめて働きに出るのが、やはり60年代です。そうして、お金のかかる生活が当たり前になっていくのです。70年代後半からはモノやサービスが行きわたり、消費社会が浪費社会に向かっているような不安を感じました。
消費社会を支える生産システムとはどうなっているのでしょう? そもそも先進国と言われる国々の経済システムは、地球に対して、第三世界と言われた国々に対して、どういうことをしてきたのか? こういったこととしっかり向き合わないと、今の自分たちが抱える問題を解決できないのではないかしら?
なにを土台にして、どう立て直すのか? うまく言えないのですが、産業構造が逆三角形になっているように思えます。産業区分として、第一次産業、第二次産業、第三次産業という分け方があり、経済が高度化するほど、第三次産業のウエイトが増していきます。でも、ほんとうかな?と。
落ち着いた暮らしを望むなら、三角形の土台に第一次産業があってほしいと。たくさんの本にいろいろなことが書かれていますが、人としての良心に支えられ専門家としての責任を果たそうとする人の言葉に学びたいものです。(消費生活アドバイザー)