火曜日, 10月 6, 2026
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故郷を思うウクライナの子どもたちの絵を展示 筑波学院大

ロシアの侵攻により避難生活を送る子どもたちが描いた絵、約40点を紹介する展覧会「ウクライナの子どもたちの絵画展」が17日まで、つくば市吾妻のつくば市民ギャラリーで開かれている。筑波学院大学が主催し、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)と日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)が共催する。

紹介されている絵は、ウクライナ南部のドニプロなどから、同国西部のウジホロドや近隣国のポーランド、ブルガリアに避難した子どもたちが描いたもの。ミサイル爆撃の恐怖から逃れ、多少落ち着きを取り戻したものの先は見えない状況の中で、さまざまな思いを絵に託している。

展示作品より

明るく鮮やかな色彩でウクライナの暮らしや自然豊かな様子を描いた作品がある一方、モノトーンで暗い印象を与える作品も少なくない。母と子だけで故郷を離れる様子を描いた絵には、静けさが感じられる列車の車内とは裏腹に、窓の外には不吉なミサイルの影が描き込まれている。神や天使に平和への祈りを捧げたものも多い。

展覧会スタッフの一人で同大3年の矢治竜乃介さん(21)は「一つ一つの絵から、それぞれの子どもたちの思いが確かに伝わってくる。戦争を経験しながら、その中でただ生き抜くだけでなく、信念をもって生きていることが分かる。作品を通じ、現地の子どもたちの思いに触れてほしい」と話す。

展示作品より、レミャコバ・ミロスラーバさん(5歳)の作品「花咲く私の国」

支援のお礼に

これらの絵はJCFに対し、避難民の子どもたちから支援のお礼として送られてきた。今年6月以降、日本全国を巡回している。

つくば展は、同大ビジネスデザイン学科の野田美波子講師および野田ゼミの学生らの呼び掛けにより実現した。同ゼミでは以前からJIM-NETと連携し、難民支援のためのポストカードのデザインに係わるなどの活動もしていた。

「戦争では、弱い立場の子どもたちが一番つらい思いをしていると思う。その彼らが、自分なりにできることはないかと考え、絵を描いて送ってくれた。そこには故郷を守りたいという思いがあふれており、ぜひ多くの人に見てもらわなくてはいけないと思った」と野田さん。

展示風景

会場ではポストカードの販売や、募金の受付なども行っている。また最終日の17日は、トークイベントも開催され、午前10時からは「日本で暮らすウクライナ人学生の現在」と題し、同大に留学中のトロプチン・ニキタさんらが、祖国を離れて暮らす心境や、ウクライナの現状などについて話す。午後1時からは「ウクライナ/イラク/子どもたち」と題し、JCF理事長の神谷さだ子さんとJIM-NET海外事業担当の斉藤亮平さんが支援の様子について話し合う。(池田充雄)

◆会場はいずれもはつくば市吾妻2-7-5、つくば市民ギャラリー。入場無料。

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