火曜日, 1月 13, 2026
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環境研、つくばこどもの森保育園など 自然共生サイトに認定

環境省の新たな取り組み「自然共生サイト」に、つくば市内から申請していた国立環境研究所(同市小野川、5月3日付)とつくばこどもの森保育園(同市沼崎、22年3月30日付)、戸田建設筑波技術研究所(同市要)の3カ所が認定を受け、25日認定証が授与された。

環境研とこどもの森保育園の両者は今後、環境研究機関と幼児教育・保育の専門家というそれぞれの強みを生かし、生物多様性とその恵みを次世代に伝える取り組みを連携して進めていくという。

自然共生サイトは、2030年までに地球上の陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全するという国際目標「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」に貢献するため、民間の取り組みなどによって生物多様性の保全が図られている区域を認定する制度。広大な原生自然だけでなく、公園や事業所緑地などの身近な自然も認定対象としている。

ノウハウ共有も評価

今では希少になってしまった秋の花、ツリガネニンジン=国立環境研究所内

環境研では、構内の敷地面積約23ヘクタールのうち、5.1ヘクタールを「つくば生きもの緑地in国立環境研究所」と名付け、植生保全優先区域とした。創設50周年を迎える同所は、構内緑地としてアカマツやコナラなどの雑木林を残しており、研究学園都市ができる前からの里地里山の自然が維持され、希少な動植物の生息も確認されている。

今回の認定では、同所が中心となって取り組んでいる「つくば生きもの緑地ネットワーク」の取り組みも高く評価された。つくばの研究機関や事業所などの構内にある緑地を、保全・管理のノウハウなども共有しながら適切に守り、地域の生物多様性の保全に貢献しようというものだ。「重要なのはきれいに管理しすぎないこと。刈ってしまうと花が咲かなくなる植物もある。区域の特徴によって草刈りの頻度を変えたりすることで、多様な生き物が住みやすくなる」と、同所生物多様性領域主幹研究員の石濱史子さん。

教育システムが評価

つくばこどもの森保育園では、0.2ヘクタールの園庭ビオトープが認定を受けた。同園は2012年の開園当初から、隣接する「豊里ゆかりの森」との有機的なつながりを基に、日常的に自然環境の中で生き物と触れ合って遊び学べる「ビオトープがある保育園」を特色としてきた。農家や造園家、樹木医らの協力を受け、職員もビオトープ管理士などの資格を取得して維持管理に励み、21年の全国学校・園庭ビオトープコンクールでは環境大臣賞を受賞した。

園庭ビオトープのプレゼンをする古谷野園長=環境研内

「今回の認定では、原体験活動を通じて自然や人への思いやりの気持ちを育くむ教育システムが特に評価された。今後も人と自然が上手に共生できる考え方や仕組みを醸成できるよう、地域の関係者有志と連携し、子どもたちの未来につながる持続的な活動をしていきたい」と、園長の古谷野好栄さん。

同園の自然共生サイトへの申請にあたっては、環境研側から声掛けがあった。「環境保全には活動する人を育てることが必要。環境教育が大事だと考えており、園の取り組みを見て素晴らしいと感じた。われわれは子どもに教える専門家ではないので、例えば危険な生き物への接し方など、どうすれば子どもたちにうまく伝わるか、園から学ばせていただきたい」と石濱さん。「環境研はわれわれと違って規模も大きいし、専門家が大勢いることが心強い。いろいろと勉強させていただきながら連携を進めていきたい」と古谷野さん。

民間などが管理する緑地が自然共生サイトの認定を受けるメリットとしては、取り組みが「見える化」することが最大の効果だと、石濱さんは話す。「活動支援企業とのマッチングもしやすくなり、持続性向上も期待できる。他の研究機関などにも登録を呼び掛けており、われわれの経験を共有して促進したい。つくばは身近な公園などにもいい自然が多い。保全の方法を伝えて管理に役立てていただきたい」と、今後いっそう活動を広げていきたい考えだ。

戸田建設筑波技術研究所(同市要)は、在来植物で構成されるビオトープを核とする0.4ヘクタールの緑地が認定を受けた。(池田充雄)

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映画「倭文-旅するカジの木」を見て《邑から日本を見る》190

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