火曜日, 12月 2, 2025
ホームスポーツつくばFCレディース伊東選手 デフサッカー世界選手権に挑戦

つくばFCレディース伊東選手 デフサッカー世界選手権に挑戦

日本代表キャプテン

女子サッカーなでしこリーグ2部のつくばFCレディースで正ゴールキーパー(GK)を務め、セキショウグループのアドバンス・カーライフサービスに勤務する伊東美和選手(22)がこのほど、デフサッカー女子日本代表に主将として選出された。世界選手権出場を前に8日、五十嵐立青つくば市長を表敬訪問した。

出場するのは23日からマレーシア・クアラルンプールで開催される第4回ろう者サッカー(デフサッカー)世界選手権大会。聴覚障害者を対象とした競技で、選手同士はアイコンタクトや手話などでコミュニケーションをとる。今大会、女子は10カ国が参加。予選リーグで日本は米国、イングランド、ネパール、トルコと同じBグループに配された。

「出場するからには優勝が目標。日の丸を背負う責任と結果が求められる。応援してくれる方々に一番見ていただきたいのは、厳しい状況でも全員で必死に最後まで戦い続ける姿。一人でも多くの人に感動と勇気を与え、子どもたちに日本代表を目指してもらえるようなプレーがしたい」と伊東選手。

世界選手権は新型コロナの影響により延期され、開催は7年ぶり。今回、女子チームは11人制のところ8人しかメンバーが選出されておらず、人数のハンデを背負って戦うことになる。これはデフフットサルワールドカップ(11月10日~、ブラジル・ノヴァペトロポリス)と開催時期が近いことが原因。両方に出場する遠征費がねん出できず、一方に絞らざるを得ない選手が多かったという。

ルール上は最低7人いればゲームが成立するが、当然控え選手はおらず、ケガをしてもピッチから下がるわけにはいかない。「どうしても厳しい時間が長くなると思うが、キャプテンとして常にチームを鼓舞したり、一人一人に声掛けしたりして、チームが一番いい状態で戦えるよう準備していきたい」

栃木県出身。小3でサッカーを始め、中2からGKを務める。宇都宮文星女子高で3年次に全国高校選手権出場、卒業とともにつくばFCに入団。仕事ではDr.Driveアドバンスセルフ吾妻店に勤務し、カーメンテナンスなどに従事する。

つくばFCでは現在4年目。今季は背番号1を背負い、開幕から多くの試合で先発出場を果たしてきた。身長は157センチ。なでしこリーグ1部・2部を合わせ60人ほどのGKがいる中で、最も小柄なクラスに入るという。だが持ち前のキック力とビルドアップ能力で最後方からゲームを組み立てる。伊東選手の蹴るロングフィードがチャンスをつくり出すことも多い。

右耳は3歳のとき突発性難聴を患い、左耳も3年ほど前から聴力が落ち始め、半年前から補聴器を装着する。デフサッカーには昨年7月の代表候補選考会を機に挑戦を決めた。つくばFCの試合でも前座イベントとして、子ども向けのデフサッカー体験会を自ら主催するなどの取り組みもしている。

五十嵐市長は「障害者サッカーの体験会は市でも開催したことがあり、子どもたちの視点が変わって良い影響があると思う。機会があればスケジュールの許す限り参加したい」と話すとともに、大会での健闘を祈り、激励金を伊東さんに手渡した。(池田充雄)

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)