火曜日, 12月 2, 2025
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草分けの足取りたどる 筑波実験植物園で牧野富太郎企画

国立科学博物館筑波実験植物園(つくば市天久保、細矢剛園長)で29日から、ミニ企画展「牧野富太郎と植物を観る眼」が始まる。現在放送中のNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった植物学者が採集した標本や植物図を通じ、日本の植物学の草分けの足取りをたどる。

牧野富太郎(1862~1957)は94年の生涯で1500種類以上の植物を名付けた近代植物分類学の権威。収集した標本は約40万枚といわれ、その一部は同博物館にも所蔵されている。押し花のように新聞紙を重ねて乾かす手法で作られた押し葉標本と呼ばれるもので、今回は1894年4月に筑波山で採取されたアズマスゲなど4標本が展示された。

手前が筑波山で牧野が採取したアズマスゲの標本=同

標本を葉や茎、花などパーツごと精緻にスケッチした絵は植物図と呼ばれ、解説文書とセットになっているのが特徴。これらを元にした「牧野日本植物図鑑」は牧野の代表作で、現在でも研究者や愛好家の必携の書とされる。同書の初版本(1940年)と手書きの校正原稿、改訂版の「新牧野日本植物図版」が並べられ、その熱の入った仕事ぶりが垣間見られる。 

企画は同博物館植物研究部、田中伸幸陸上植物研究グループ長が「らんまん」の植物監修を務めた縁で実現した。牧野の生地である高知県立牧野植物園(高知市)の協力を得て、合わせてパネル25点、標本類15点を展示した。

担当の同研究部、堤千絵研究員が一押しなのは、つくば市の花にもなっているホシザキユキノシタ。2枚の花弁がユキノシタほど長く伸びないことから、変種として学名をSaxifraga stolonifera Curtis f. aptera (Makino) H. Hara、和名をホシザキユキノシタとして名付けたのが牧野富太郎で、1926年のこと。筑波山だけに生育する固有種だが、同植物園内にある「筑波山の植物」エリアで見ることができる。花期は5~6月なので、会期中に星が咲き開いたような花を見るチャンスがあるかもしれない。

堤研究員は「牧野先生のように文字から学ぶだけでなく、山野を歩いて見て学ぶことが大切なので、植物園内にぜひ足を伸ばしてもらいたい」と語る。植物園では6月4日まで「クレマチス園」公開も行われている。

◆ミニ企画展「牧野富太郎と植物を観る眼」は6月4日(日)まで。入園料は一般320円(税込み、18歳以下と65歳以上は無料)。5月4日(木、みどりの日)と18日(木、国際博物館の日)は入園無料日。6日(土)午後1時30分からは田中伸幸さんによるYouTubeライブ配信「牧野富太郎と植物を観る眼」が予定されている。電話は029-851-5159。

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)