5年前の12月、つくば市内の子ども食堂の運営者から、不登校やいじめなどの教育相談に取り組む同市の穂積妙子さん(73)に相談が持ち掛けられた。穂積さんは民間団体「つくば子どもと教育相談センター」の代表を務める。相談は「いつも来ている姉妹がいて、姉が妹の勉強を見てやっているが他の子どもと交流はなく、どこか違う。不登校の疑いもあるが、他にも事情がありそうで気がかり」というものだった。
同センターの相談員を務める元教員が子ども食堂を訪れ、姉妹と一緒に食事を取った。この時も姉妹の脇には教科書とノートが置かれていた。温かい食事に気持ちがほぐれた姉妹に「勉強熱心でえらいね」と話しかけたことをきっかけに、相談員の問いかけに姉がとつとつと話し始めた。
勉強を見てやっていたのは19歳の姉で、不登校の中学3年の妹の高校受験を案じてのことだった。シングルマザーの母親は入退院を繰り返していて、生活保護を受給していること、ホームヘルパーの生活援助を受けているが頼れる親戚はいないこと、姉は高校に進学しなかったこと、姉妹の下に小学6年の弟がいることが分かった。相談員は、姉の話に耳を傾けながらヤングケアラーだと直感した。
ヤングケアラーは、ケアを必要とする家族がいて、病気や障害の親のケア、きょうだいの世話、祖父母の介護など、大人が担うような家事や家族の世話、介護などを引き受けている子どもをいう。ヤングケアラーとなることで、遅刻や早退、欠席、成績の低下が生じ、進学もあきらめざるを得ない状況になるなど、子ども自身の生き方に影響を及ぼすことが問題視されている。
母と妹弟の暮らし支える
姉は小学校高学年の頃から、家事を一手に引き受けながら妹と弟の世話、母親の看病や見守りまで4人の暮らしを支える役割を担っていた。ホームヘルパーの生活援助は当事者である母親へのサービスのみで、同居家族の食事作りや家族の部屋の掃除や洗濯などは含まれなかった。
やがて姉は、家事や家族の世話に追われて学業に充てる時間が取れなくなって成績は低下、友だちとの交流もなくなって中学2年から不登校となり、高校進学を諦めた。妹と弟もいつしか不登校になっていた。
真剣なまなざしで姉は「妹を私のように中卒にさせたくない。生活保護を受けながら高校に通学できますか」と問いかけてきた。相談員の元教員が「生活保護費には高等学校等就学費という制度があって、認められたら高校に行ける。きっと大丈夫」と答えると、ほっとした様子で表情が明るくなったという。
その後、穂積さんや元教員との相談を繰り返し、姉妹は志望校を定時制の県立高校に絞り、高校進学を諦めた姉と妹2人が共に入学できないかと志望先の校長に相談した。一方、高校進学を希望したことで福祉事務所から高等学校等就学費が給付されることになった。
翌年春、20歳になった姉は成人特例で面接のみで入学が許可され、中学3年の妹は一般受験で合格した。働きながら学ぶことのできる定時制高校は1日の授業時間が短い。姉妹は空いた時間を母親の世話や家事に充てながら勉強し、2人そろって4年後に同校を卒業した。
穂積さんは「姉は頼る人も相談する人もなく、家族を支えることを負わされていた。子ども食堂の運営者からの連絡がなければ彼女たちの存在すら知らなかった。子ども食堂は、運営に携わる大人が子どもが発するSOSに気づくことができる大切な場所だと思う」と振り返る。「定時制高校には知り合いの先生がいてスムーズに連絡がとれた。高校の不登校生徒に対する迅速で丁寧な対応もありがたかった」と話す。(橋立多美)
続く