金曜日, 5月 1, 2026
ホームコラムはつゆきさん《短いおはなし》9

はつゆきさん《短いおはなし》9

【ノベル・伊東葎花】

はつゆきさんと出会った日、僕はまだ小学生だった。

遊び過ぎた帰り道、肌を切るような冷気に、思わず身を縮めた。

「そこのぼうや、早く帰りなさい。雪が降るわよ」

見上げると木の枝に、透き通るような白い女性がいた。

「雪? まだ11月だよ」

僕が言うと、彼女はほほ笑んで白い指をくるりと回した。

途端に、空から無数の雪が舞い落ちてきた。

灯りがともり始めた夕暮れの町が、幻想的な冬景色に変わった。

「わあ、おねえさん、すごい」

はしゃいで見上げると、木の枝に彼女はいなかった。

僕は彼女を「はつゆきさん」と呼んだ。

はつゆきさんは、初雪の季節になると必ず現れた。

ほんの一言、言葉を交わしてすぐに消える。

年に1度、わずかな時間を過ごすだけなのに、僕にとって彼女はかけがえのない存在になった。

僕は20歳になった。

寒さが足元からじわりと伝わる。今日、初雪の予報が出ている。

いつもの場所に向かうと、やはりいた。

はつゆきさんは、木の枝で静かにほほ笑みながら僕を待っていた。

「今年も会えたね」

「今夜は冷えるわ。温かくしてね」

はつゆきさんはいつものように、白い指を空にかざした。

「ちょっと待って!」

彼女が指をくるりと回す前に、僕は慌てて声をかけた。

「こっちに降りてきなよ。もっと話したい」

はつゆきさんは、戸惑いながら枝を離れ、僕の隣にふわりと舞い降りた。

子供の頃はずいぶん大人に見えたけど、今はまるで可憐な少女だ。

その細い肩に触れようとしたら、彼女はひらりと身をかわした。

「触れてはだめ。溶けてしまうわ」

彼女の身体は雪と同じだ。

僕たちは少し離れてベンチに座った。

時々話して、風に踊る枯葉をながめた。

そして明日も逢う約束をして別れた。

その日、初雪は降らなかった。

それから僕たちは、毎日逢った。

天気予報に雪マークが並んでも、雪は降らない。

やがて、はつゆきさんは少しずつ痩せていった。時おりつらそうに息を吐く。

もう限界だ。これ以上引き留めることはできない。

「今日で最後にしよう」

はつゆきさんは、悲しい瞳で僕をじっと見た。

そしてすっかり細くなった手で、僕の手を握った。

僕の体温が、はつゆきさんの方に流れていく。

「だめだよ。溶けちゃうよ」

はつゆきさんは首を横に振り、僕にそっと寄り添った。

溶けてしまう…。溶けてしまう…。

わかっているのに、離れることができない。

「さようなら」小さな声が風に消えた。

はつゆきさんは、木枯らしのベンチに僕を残し、きれいな水になってしまった。

はつゆきさんが消えた翌日、今年初めての雪が降った。

彼女の代わりの誰かがやって来て、雪を降らせたのだろう。

その姿は、僕には見えない。

きっと、やがて彼女と恋に落ちる、どこかの少年にだけ見えるのだろう。(作家)

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