【コラム・浅井和幸】朝、ちょっとした想定外のことが重なり、約束の時間にギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際。少しでも早く着かないかと焦る気持ち。思わず、電車の中でそわそわしてしまう体験はあるでしょうか。
事故なのか、道路工事が重なったのか、渋滞している道路が多く、遅刻してしまいそうだ。すぐ次の信号で止まらなければいけないのに、スピードを出したり、車間距離を短くしたり、体をハンドルの近くまで前のめりで自動車の運転をしたことはあるでしょうか。
そんなことをしても目的地に早くつくはずがないのに、早く前に進みたいという意識が体を前に突き動かし、心臓を早く脈打たせるものです。
そして考えます。あれさえ無ければよかったのに、これさえ無ければよかったのにと、過去のことを。挙句の果てには、そもそも日本の電車のシステムや道路の造り方がいけないのだと、イライラを募らせてしまいます。
間違いなく、上記のそわそわした感覚を持ち、もう少し早く家を出ればよかったと嘆いて、疲れるほど努力をしていることなのかもしれません。日本がいけないのだと考えるのも、とても崇高な考えで素晴らしいのかもしれません。
確かに、目的地に着いたら謝ろうとか、目的地の手前の階段を駆け上がろうとか、早く書類を提示できるようにしようとか、対策は考えにくいものではありますが、この対策を考える方が目的に即しているでしょう。
頑張れと言われれば言われるほど、頑張ることを強制されれば強制されるほど、頑張ることを自分で考えれば考えるほど、この目的とは別の手段で頑張ってしまい、疲れるし、憂鬱になってしまうものです。
「頑張る」→「適当にやる」
相談の約束をすると、会えなくなる人がいました。約束をすると、数日前から心構えなどの準備を始めてしまい、約束の当日にはくたびれてしまって会えなくなるのです。そこで、約束をせずに突然訪問するという方法を約束して、会えるようになったケースがあります。
引きこもって家で特にやらなければいけないことは無いと、家族や支援者からは見えるけれど、いろいろな不安や世界の脅威、何かが起こったときの対応を忙しく考えている人もいます。
ビジネスマンでも、大きな未知の仕事を抱えると身動きが取れなくなるという経験をした人もいるかもしれません。頑張れというと、頑張っているのにもっと頑張らなければいけないのかというやり取りもあるでしょう。
そのときの疲労の程度で休む必要もあるかもしれません。そのときは休むことを頑張る必要があります。しかし、それと同じぐらい、今の頑張りを抑えて、目的に即した手段を頑張る必要があるかもしれませんよ。
あえて頑張ると書きましたが、上記の文章の「頑張る」をすべて「適当にやる」に変えて読み替えても面白いですよ。(精神保健福祉士)