月曜日, 1月 26, 2026
ホームつくば日本写真協会新人賞受賞、田川基成さん つくばで「海の記憶」展

日本写真協会新人賞受賞、田川基成さん つくばで「海の記憶」展

今年、日本写真協会新人賞を受賞した田川基成さん(37)による写真展「海の記憶」が、10月7日からつくば市天久保のギャラリーYで始まる。田川さんは長崎県出身。受賞作品である故郷、長崎の島々の暮らしを4年にわたり記録した作品群「見果てぬ海」から、同名の写真集収録作品を含む18点が展示される。

同新人賞は将来を期待される有能な新人写真家に贈られる。受賞理由として「『見果てぬ海』は、大航海時代にポルトガル人やスペイン人がキリスト教を伝えた記録から、隠れキリシタンの歴史を掘り起こし、長崎の風景、豊かな海、人々など様々な視点で捉えており、単なる一地方の記録に収まらない。スケールの大きな作品」などと評された。

田川さんは、同テーマの展示を全国5都道府県で開催してきた。県内では初めての開催となる。「海の記憶」に込めた思いについて「長崎自体が持つ歴史、行為、物語、それらを包み込んでいるのが海」「写真は見る人の記憶を呼び起こすメディア。見る人、土地によって感じ方は変わる。会場で、何かを感じてもらえたら」と話す。

初めて訪ねた五島列島から故郷の島を眺める(同)

魔法がかかる

ないだ群青の海。水平線に浮かぶ島影を、雲間から差す光が照らす− 

30歳を迎えた田川さんが、初めて訪ねた長崎県沖の五島列島から、本土に近い自身が育った島を見た日の写真だ。子どもの頃に故郷から見ていたのは、遠く西の海に浮かぶ五島の島々。大人になり、初めてその地に立つと、子どもの頃は知り得なかった海の向こうに広がる「もう一つの世界」を感じ、不思議な気持ちになったという。

写真集「見果てぬ海」には、田川さんが長崎の島々を旅し、出会い直した風景が収められる。新緑の山が包むグラウンドで聖母マリアを囲む人々、部屋の隅に積まれた布団に差す夕日、豊富な海の幸が並ぶ食卓、漁港に立つ男性。どれも島では日常の光景だ。

田川さんは、長崎県西海市の離島・松島で海に親しみ15歳まで過ごした。長崎には600を超える島がある。一帯は、16世紀に欧州から伝わったキリスト教が時代を超え地域に根付く。しかし、その土地の特殊性のみを強調しない。淡々と並ぶ、田川さんの目を通した日々の光景が見る者を惹きつける。その理由は「写真の魔法」だと話す。

「いい光をとらえた写真には魔法がかかる。見慣れた光景が現実から離れていく。現実だけど、幻のよう。僕はそれが『写真の魔法』だと思っている」

五島市福江島の5月第2日曜日に行われる聖母祭(同)

旅人にしか見えないものがある

幼少期、田川さんは海で釣りをし、父の船で海を行き来した。中学校へは町営の船で通学した。高校は本土の長崎市内へ進学。島を離れ下宿した。その後、北海道での大学時代、東京での社会人生活を経て昨年12月に九州に戻った。今は福岡県で、妻、2人の娘と海辺の町で暮らしている。

これまで南米を1年間旅するなど世界50カ国以上を訪ねた。旅することで世界を知り、思考を深めた。「旅人にしか見えないものがある。僕はそれを写真に撮っている」と話す。

30歳で始めた故郷の撮影も「旅」にこだわった。多くの島、長く複雑な海岸線を持つ長崎は移動に制約が多い。「ここなら国外と同様の旅ができる」と感じたという。東京を拠点に1、2週間の滞在を繰り返す「旅」は4年に及んだ。「過ぎ去る一瞬、その場所で2、3日しか見えない景色。長崎に住んでいたら、絶対に撮れない写真」だった。

「海の移動」という視点

故郷で再発見したのが「海の移動」という視点だ。東北出身の知人の言葉を引き合いに出す。

「その人は『長崎の島は、険しい山を越えなければ次の村に行けず、大変』と話していた。でも、それは陸を中心にした見方。島の人は山を越えずに海から行く。長崎には、船で渡る方が早い場所がたくさんある」

「海」の視点は、以前に訪ねたブラジル、ポルトガルでの出会いともつながる。大西洋を挟んだ両国で引かれたのは、海を見渡す入り江の斜面に広がる街だった。平地が少なく、斜面に家が密集する長崎と同じ視点でつくられた街であると気がつくと、「どうしてこんな斜面に人が住まなければならないのか?」という長崎市に感じていた疑問が解けた気がした。各地に通じるのは、交易で栄えたポルトガル人がつくったということ。彼らが見ていたのは、海の向こうの世界だった。

五島市福江島(同)

500年前の大航海時代の最中、ポルトガルの港から帆船で海へと出た人々がいる。長い航海を経てブラジルのリオ・デ・ジャネイロや長崎となる入り江と出会った時、「彼らは祖国の風景を思い出し喜んだのではないか」と田川さんは想像する。また、ポルトガルにある地名と同名の土地が現在のブラジルにもあることを知ると、「もう帰ることのない故郷を思うポルトガル移民が名づけたのかもしれない」と思いを寄せる。

移民への思いは、15歳で故郷の島を離れ、他の土地で暮らしてきた田川さん自身の記憶と結び付く物語でもある。

つくばでの展示と同時開催するのが、東京・新宿区にあるオルトメディウム(Alt_Medium)での写真展「サッポロ スノースケープ(SAPPORO SNOWSCAPE)」。田川さんが学生時代の6年間を過ごした札幌を撮影した新作だ。大学入学前、18歳で初めて立った札幌で目にしたのが一面の雪景色。長崎との違いに「外国のよう」だと感じた。撮影は、今後、数年かけ北海道全域を対象に進めていく。長崎と北海道。見る人は、ふたつの展示を通じて新たな視点と出会うかもしれない。(柴田大輔)

◆写真展「海の記憶」は10月7日(金)〜16日(日)、つくば市天久保1-8-6 グリーン天久保201、ギャラリーYで開催。開館時間は午前11時から午後7時、最終日のみ午後5時まで。入場料300円。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

2 コメント

2 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

万葉人は蛍に関心が無かった?《文京町便り》48

【コラム・原田博夫】このところ「常陽藝文」センター(つくば教室)で、高校・大学の同級生、糸賀茂男氏(常磐大学名誉教授、土浦市立博物館長、専門は常陸中世史)氏の講座を継続的に受講しています。昨年10月から始まった講座(全10回)は、石岡国府の話題です。 茨城・石岡国府の場所は? 石岡には、相当な期間、国府が置かれていましたが、その場所は必ずしも固定されていたわけではなく、おおむね3期(始源国府<7世紀末~10世紀>、茨城=ばらき=国府<11世紀~12世紀末>、石岡国府<13世紀初め~14世紀中葉あるいは末>)に分けられるなど、これまでの漠然とした認識を改めさせられることの多い、有意義な講座です。 同時に、在庁官人の一部はどうやら、国衙(こくが)から西方で筑波山東麓の、恋瀬川(旧志築川)を挟んだ志築地区(徒歩では約30分)およびその周辺に居住していたのではないかとの推測をうかがうと、(祖父<母方>が志築村<現かすみがうら市>村長だった)当方としては、勝手に妄想が膨らみました。 万葉歌人、高橋虫麻呂の歌 筑波を詠んだ8世紀半ばの万葉歌人・高橋虫麻呂は、次のような歌を残しています。以下は、佐竹昭宏他校注『万葉集(三)』(岩波文庫、2014年)の読み・解釈に従います。 「草枕 旅の憂へを 慰もる 事もありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花(おばな)散る 師付(しつく、志築)の田居(たゐ)に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治(にいばり)の 鳥羽の淡海(あふみ)も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の 良(よ)けくを見れば 長き日(なげきけ)に 思い積み来(おもいづみこ)し 憂へは止みぬ」(巻第九「雑歌」1757)。 ここでは、都からの長旅の疲れが晩秋の筑波山からの風景で慰められています。 前後して、夏、筑波山に検税使(けんせいし)大伴卿を案内して登山した際の、「衣手(ころもで) 常陸の国の…(中略)…夏草の 繁くはあれど 今日の楽しさ」(巻第九「雑歌」1753)には、都から来訪した上司の希望した筑波登山と宴会を晴天で行えたことの喜びがあふれています。その時期は、奈良時代・天平期のようです。 高橋虫麻呂が、筑波山から詠んだ風景にあえて地名・師付(しつく)を入れたのも、当時の石岡国衙の在庁官人たちにこの地が(居宅地の一つとして)馴染(なじ)みがあったからではないか、と妄想するわけです。 日本人の美意識に変化? 他方、蛍への言及が無いのは、不思議です。というのも、私自身、学齢前の数年間は、石岡市内に居住・転居(守横町や守木町)していて、初夏の夕暮れ、両親とともに、石岡と志築の間を流れ、北西方向に筑波山を望む恋瀬川に、蛍狩りに出かけたことを思い出すからです。その時に見た蛍の演舞する様は、優雅かつ幻想的だったことを、子供心に覚えています。 というよりも、万葉人はどうやら、蛍への関心は無かったのかもしれません。岩波文庫『万葉集』(全5冊、2013~15年)の「索引」にも見当たりません。これは、11世紀初頭には成立したとされる『源氏物語』全五四帖の第二五帖が「蛍」巻とされていて、光源氏と玉鬘の関係をめぐる白眉であるのに比して、大いになる疑問です。 この間に、日本人の美意識に変化があったのでしょうか。地名・志築からの勝手な連想を、たくましくしてみました。(専修大学名誉教授)

投票所入場券 間に合わず つくば市 衆院選’26

解散に伴う衆院選が27日公示、2月8日投開票で行われる。解散から投開票まで16日間と戦後最短となり時間的余裕がない中、つくば・土浦両市の選挙管理委員会も準備に大わらわだ。有権者数が20万2093人(昨年12月1日現在)と県内で2番目に多いつくば市では、投票所入場券の交付が遅れ、有権者の手元に届くのは30日以降になる見通しだ。入場券の交付遅れは全国各地で起こっている。 30日以降 有権者の手元に つくば つくば市では、投票所入場券の交付が、期日前投票が始まる公示日翌日の28日に間に合わない見通しだ。ただし投票所入場券が無くても選挙人名簿に登録があれば投票できる。市選管は、本人確認ができる運転免許証やマイナンバーカードなどがあればスムーズに投票できると話す。 投票所入場券は公職選挙法施行令で「選挙期日の公示日以降できるだけ速やかに交付するよう努めなればならない」と規定され、各自治体の選管は、期日前投票が始まる公示日翌日までには有権者の手元に確実に届くよう努めてきた。 市選管によると今回つくば市では、入場券を印刷する印刷所の確保、印刷工程の都合、校正などで遅くなり、投票所入場券の発送が公示日翌日の28日になる見込みだ。 選挙ポスター掲示板の設置は順調に進んでいるという。例年の選挙同様、市内448カ所に設置され、27日の公示日前までには設置が完了する見通しだ。ただ進捗状況は、複数の業者に地区ごとに割り振って設置を依頼しており「進捗状況は(地区ごとに)バラバラ」という。 投票所については、期日前投票所は、例年同様、つくば市民センター・コリドリオなど市内9カ所に設置する予定だ。期日前投票の期間は公示日翌日の28日から投票日前日の2月7日までだが、このうち商業施設イオンモールつくば(同市稲岡)では期間中の全日程ではなく「あくまでも会場が押さえられる日数に絞って開設予定」という。具体的な日程は現在調整中としている。一方、別の商業施設イーアスつくば(同市研究学園)での期日前投票は「今回は会場の確保が難しく、設置しない」という。 投票日の2月8日の投票所については例年同様、市内76カ所に開設する。ただし各投票所の立会人などの確保については「調整中」(23日時点)と言い、人員確保にまだ苦心している。 開票は8日夜に例年同様、同市金田の桜総合体育館で実施されるが、もともと別の予約が入っていた。市選管によると「予約を調整して使えるようになった」という。 ほかに、今回の選挙では投票啓発グッズを制作依頼する時間的余裕が無いため、投票啓発はSNSを中心に実施していく。 投票啓発の横断幕制作は業者に依頼しており、市内に掲示する予定だ。 開票所「譲ってもらった」 土浦市 一方土浦市は、投票所入場券の交付について、郵便局の協力を得て、公示翌日の28日におおむね有権者の手元に届く見通しだ。同市選管は「遅くとも29日頃には届く予定」だという。投票所入場券が無くても選挙人名簿に登録があれば投票ができる。 選挙ポスター掲示板については例年同様、市内340カ所に設置され、27日の公示日前までには設置がすべて完了する見通しだ。同市では一つの業者に設置を依頼しており、業者が複数の班に分かれて市内各所で設置に当たっている。 期日前投票所は例年同様、イオンモール土浦(同市上高津)と土浦ピアタウン(同市真鍋新町)の商業施設2カ所を含めた市内6カ所に設置する。 2月8日の投票日当日の投票所は例年同様、市内50カ所に開設する。各投票所の立会人については「滞りなく確保が進んでいる」という。 開票作業は例年同様、同市大岩田の水郷体育館で実施する。開票日の2月8日には別の団体が予約を入れていた。今回、「『選挙だから』ということで(団体から)譲ってもらった」と市選管は明かす。 (崎山勝功)

4年間の里山活動を振り返る《宍塚の里山》132

【コラム・谷本旭陽】私が宍塚の里山を初めて訪れたのは2022年7月のことです。幼いころから磯遊びや虫取りなど自然の中で遊ぶことが大好きだった私にとって、この活動は自分の好きなことを追求できるものでした。しかし大学のサークルという今までと全く違う環境、そして同期生が少なく内向的な性格だったことから、最初はとても緊張していました。 初めての活動は外来種であるセイタカアワダチソウの駆除でした。その作業中、先輩たちは歌いながら楽しそうに駆除を進めており、その和やかな雰囲気に驚きました。1年生で初参加の私にも気さくに話しかけてくれ、自然の中で誰一人として孤独にならず、みんなで夢中になって作業を楽しむ光景が印象的でした。 印象に残った3つの活動 この経験がきっかけとなり、私は毎回のように活動へ参加するようになりました。 特に印象に残っている活動が3つあります。 1つは、宍塚大池の保全活動(2022年8月)です。池の中に入り、熊手でヒシを駆除し、日光が届くようにする作業は、自然を守る手応えを感じられるものでした。 2つ目は、地元の子どもたちとの交流(2023年11月)です。ひたすら鬼ごっこをして、学生たちの方がバテバテになったのも良い思い出です。里山はただ活動する場所だと思っていましたが、地元の方々との交流やウォークラリーなど、いろいろな楽しみ方があることも知りました。 3つ目は、階段プロジェクト(2025年12月)です。森林内の坂道となっている箇所に階段を造ることで、安全に通れるようになりました。1日中の土木作業で筋肉痛や腰痛でしんどかったですが、大学卒業前に大きなプロジェクトを終えることができ、うれしかったです。 私の人生の貴重な財産に 里山活動の魅力は自然を満喫できるだけではありません。先輩、NPOの方々、地元の方々と、長期的な交流ができます。人見知りだった私にとって、こういった方々と関われたことは、社交性を培う良い機会でした。 また実践的な学びがあるところも魅力です。セイタカアワダチソウ、カシナガキクイムシ、ヒシなどの問題について、座学ではなく現場でその実態を知ることができました。 最後に、直接的な貢献が実感できます。月に一度の活動が里山保全につながっているという実感が励みになりました。 何となく参加してみた活動が、結果として私の興味や関心を深め、知識を広げ、人間的な成長をもたらしてくれました。この4年間で得た学びと経験は、私の人生においてかけがえのない財産だと思っています。(法政大学キャンパス・エコロジー・フォーラム4年)

ごみピット内で出火 一時白煙が充満 土浦市清掃センター

21日午後3時ごろ、土浦市中村西根、市清掃センターで、集められた可燃ごみを一時的に貯蔵する可燃ごみピット内から出火し白煙が発生、ピット内は一時白煙が充満した。 施設の運転管理委託業者が初期消火活動をしたが白煙の発生が止まらず、午後3時2分に119番通報。駆け付けた消防隊員が水をかけるなどして消火活動を実施し、午後4時55分に鎮火が確認された。けが人はいない。 同清掃センターによると、ピット内でごみの一部がくすぶった状態になり、白煙によりピット内を目視するのが難しいほど充満したという。 どのくらい焼けたかや、出火原因は現在のところ特定できていない。鎮火後、ピット内の可燃ごみを調べたところ、ごみ自体に大きな焼け跡などはなかった。ごみ処理施設の設備や建物の躯体にも損傷はなく、同センターは、22日以降のごみの受け入れや処理に支障はないとしている。