【ノベル・伊東葎花】
大好きだったジョンが死んだのは、寒い冬の夜だった。
僕はまだ9歳で、妹は7歳だった。
その夜は、何となく別れの予感がしたのだろう。
僕たち家族は、深夜を過ぎても誰も眠ろうとしなかった。
いつもだったら「早く寝なさい」という母も、眠い目をこする妹を抱きしめていた。
父はウイスキーを飲みながら、覚悟を決めたように何度か息を吐いた。
そしてジョンは、眠るように静かに逝った。
硬くなったジョンの感触は、今でも僕の胸に残っている。
その話をしたら、彼女は泣いてくれた。
「いい家族なのね」と言ってくれた。
「ジョンは、何歳だったの?」
「たぶん、15歳くらいじゃないかな。僕が生まれたときはすでに家にいたんだ。僕と妹が背中に乗っても、ちっとも嫌がらない優しい奴だったよ」
「素敵な思い出ね。でも、15歳なら長生きした方よ」
「そうかな。もっと生きてほしかったよ」
「きっとジョンは幸せだったわね。いいご家族に看取(みと)られて」
「うん。そうだといいね」
「あなたがもうペットを飼いたくないという気持ちは、よくわかったわ」
「でもね」と、彼女は分厚いカバンから、パンフレットを取り出した。
「こちらの商品をご覧ください。最新のペットロボット『愛犬3号』です。毛並みも吠(ほ)え方も肉球も、愛らしい目も、本物の犬とまったく変わりません。その上エサはいらないし、排泄(はいせつ)はしないし、なによりきちんとメンテナンスをすれば、一生あなたの傍らにいますよ。いかがですか? お試しもできますよ」
いろんな種類のロボット犬が、パンフレットの中から僕を見ている。
「どうです? 今なら本革の首輪をプレゼントしますよ」
「いや、でも」
「ジョンそっくりに造るオプションもありますよ。お写真があれば簡単です。ちょっとお値段は高くなりますけどね。まあ、あまりこだわらないのであれば、こちらのゴールデンレトリバーV36型がお勧めです」
やり手のセールスレディは、よどみなく早口で話す。
セールストークのお手本みたいだ。
彼女は、もはや僕とジョンの想い出に興味はない。
頭の中は、一件でも多くの契約を取ることで一杯だ。
僕は丁重にお断りして帰ってもらった。
彼女は、「泣いて損した」と言わんばかりに、僕をにらんで帰って行った。
ちょっと美人だったけど、ペットの押し売りなんてごめんだよ。
そもそもジョンが犬だなんて、僕はひとことも言っていない。
大好きだった亀のジョンは、たった15年で死んでしまった。
一万年生きると信じていたのにさ。(作家)