【コラム・オダギ秀】写真の世界にも、人を傷つけないためのマナーがある。年寄りのたわ言と思わずに、聞いてくれ。だって、写真の世界だけでなく、マナーを無視する世の中になったからなあ。
昔は、ということになるのだろうか。写真家やカメラマンが撮影のためにカメラを用意していると、絶対にその前には立たなかった。プロだけの世界なのかも知れないが、何かを狙う時、ベストの位置を撮るために、写真家やカメラマンは、何時間も前にその位置を確保することがある。すると、次に来た者は、必ずその後ろに位置を取った。前に来た者の前に出ようものなら、三脚でぶん殴られた。三脚は、そんな時の、立ち回りの道具でもあった。先に来た者の熱意が最優先されたのだ。
もちろん怪我(けが)もしたが、殴る方もちゃんと心得ていて、それなりの殴りになった。そんな時代だったのだ。殴られた者は、殴られた重大性を知り、ああこれは厳しいマナーなのだなと納得し、次からは絶対守らねばならないマナーとして身に着けた。それがなんだ、なんだなんだ。今はスマホ片手に平気で先に来たカメラの前に伸び上がる。周りを見ろ、前に出るな、コンチキショウ、と思うのはボクだけなのだろうか。
写真展をしていると、来場していながら芳名帳に署名しない奴(やつ)もいる。写真でも絵でもどのような作品展でも、作者は心を見せ、心の中を晒(さら)している。その会場に入るということは、いわば家の中に踏み込み、心の中を覗(のぞ)くのと同じなのだ。
だから、何処の何々と申します、拝見します、と名乗るために、芳名帳に記名するのは、当然のマナーだと思う。ボクは、ボールペンで署名するのも失礼だと思って、そのような時の記名のためだけの万年筆を用意しているが、古い人間なのだろうか。もっとも、ゴム印を持って来て、ペタンと名前住所と宣伝文句を押したのがいた。こんなのに二度と来てほしくないと、しみじみ思った。
「えぬえちけえけえ?」
名乗ると言えば、撮影を始めると、そこにいる人々から「えぬえちけえけえ?」と声を掛けられることが時折ある。むかし、地方新聞の名前や撮影依頼先の名前を言ったら説明が面倒になったので、それからは簡単に「そんなもんだあ」と答えるようになった。すると相手はそれだけで納得し、何も言わない。後で、落ち着いてからちゃんと名乗るのだ。名乗るマナーの大切さは心に沁(し)みていたが、その放送局の名前の、そこのけそこのけの強さには、恐れ入ったものだった。
石仏など撮影するために寺院の境内に入らせていただくことが多い。寺院などは撮影のための施設なのではなく宗教施設なのだから、先ず本堂に伺い、ご本尊にご挨拶することがマナーだと思い、写真教室ではそのように教えている。般若心経の数行を唱えるだけでもいいではないか、と思うのだ。ボクのような年寄りは、言うこと、やることが面倒かなあ。だがちゃんとご挨拶すると、ご住職がお茶淹(い)れてくれたりスイカ切ってくれていたりした。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)