土浦市田村町在住、池田あゆみさん(42)は、生命保険会社の土浦営業部に勤務して8年目の支部マネジャー。チームリーダーとしての仕事に「楽しくてやりがいがある」と笑顔で話す。余裕を感じさせる姿勢は、食いぶちを稼ぐための水商売を振り出しに、幾多の失敗や困難で得た経験によって培われた。
16歳で家出して水商売に
陸上自衛隊の自衛官だった父親の霞ケ浦駐屯地への異動で、小学6年のときに阿見町中央に引っ越してきた。4人きょうだいの末っ子。しつけが厳しく過干渉な母親から逃げたくて、中学3年になるとプチ家出を繰り返すようになった。
「夕方家に帰りたくなくて公園にいることが多かった。お腹が空いて、公園に隣接したコンビニが食べ残しの弁当を裏手の物置に入れるのを見ていたので、こっそり持ち出して食べました。(人の食べ残しに)抵抗はなかった。冬は学校のジャージだけで寒くて辛かった。行く当てはなくて翌朝には家に帰りました」
高校生になっても家は息が詰まり、週末は友だちと土浦の中心街に出かけるのが常だった。当時は駅前通りに大型店の小網屋や西友、丸井があって賑わい、路上でワゴン車に積んだ倒産品などを売る30代の男性、ノリさんと顔なじみになった。
何度もノリさんに「自分で稼いで食べていきたい」と訴え、夏休みが終わる頃、家出してノリさんの住む東京・小岩の高級クラブで働き始めた。クラブを経営していたママはノリさんの知人で、ママが衣装を貸してくれた。年齢は4歳サバを読んで20歳で通した。
水商売は高収入が得られると甘く考えていたが、クラブは「大人の社交場」。世間知らずで知識も乏しく、客と会話が続かず居場所がなくて傷ついた。退職を申し出て阿見町に戻ったのは高校1年の3学期だった。
夜職で稼ぎ高校、短期大学を卒業
挫折したがめげなかった。勉強に遅れをとったし戻りたくないが、ここで高校を諦めたら学歴は『中卒』になる。それは嫌だ。「働きながら一から出直して学歴を手に入れよう」と決めた。
在籍していた普通高校を自主退学して定時制高校昼間部に入学。その後、高卒認定(旧大検)に合格して大学受験の資格を取り、東京文京区にあった女子短大で英語を学んだ。
定時制高校と短大の学費や、土浦に住む友人の部屋に同居してからの食費と生活費は、土浦桜町のスナックで働いて捻出した。
「クラブの二の舞にならないよう、先輩の接客を見習って会話術を身につけました。スナックの閉店は深夜になるのは当たり前で、いつも睡眠不足でした。短大時代は土浦駅で常磐線に乗り込んで座ると同時に爆睡。通学時間が睡眠時間でした」と振り返る。
金銭感覚マヒ? 堅実な暮らしにかじを切る
短大卒業後は旅行会社の準社員として採用されたが、5年先輩の給与が新入社員の自分と変わらないことを知り、希望が見えずに2年で退職して水商売に戻った。
接客スキルが上がって収入は多い月で50万円、日払いなら1万円になった頃、金銭感覚がおかしくなっていることに気づいた。「高額な商品でも〇日働けば手に入ると迷わず買ってしまう。計画を立てるとか、やりくりという考えがなくなっていました」。
「こんな生活を続けていたらサラ金に手を出すようになって自滅する」と実家に帰った。それまでの親不孝を言葉で詫びることはしなかったが、両親は黙って受け入れてくれた。家族で夕食を囲む幸せを実感したという。
堅実な暮らしをしようと派遣会社に登録し、稲敷市にある大手食品・飲料会社の工場に職を得た。工場は常時稼働し、社員は3交代制で操業を支える。
世間に縛られ1人育児で力尽きる
正社員に登用され、社内結婚して実家に近いアパートで暮らし始めた。27歳だった。2年後に長男、翌年次男が誕生。次男の産休を終えて復帰してから過酷なワンオペ育児が始まった。
早朝5時、眠っている2人を布団から車内に移して職場に向かい、工場内の保育所に預けて始業7時に滑り込みセーフ。帰宅後は夕食、風呂、寝かしつけ、翌日の保育園の準備と息つく暇もなかった。
3番目の長女が生まれると、育児疲れから誰とも話したくないなどの産後うつの状態になり、長女が2歳を迎えた頃に力尽きて退社した。
「育児に協力しない夫に不満を抱えながら、『男は仕事、女は家事』という性別役割分業に縛られ、夫は自由でいいなと思っていた」と話す池田さん。「世間の目も気になって良い妻を演じていた」とも。
後輩のキャリアアップと新人教育に尽力
専業主婦になり、中学の同窓会で「働いてみない?」と誘われたことをきっかけに生命保険会社に入社した。当初は「自分にできるか」と不安だったが、水商売で身につけた会話力が武器になった。加えて、お金の大切さを知り尽くした池田さんだからこその提案が顧客に信頼された。
気がつけば入社2年半で新人3人を採用し、着実に営業成績を伸ばしたことで支部マネージャー(チームリーダー)になった。現在、池田さんのチームはシングルマザーを含む6人。主力業務の採用活動をこなしながら、仲間のキャリアアップの支援と新人育成に取り組んでいる。
子育てなどで社会の一線から退いた主婦が、復職した時に立ちはだかるのが顧客とのコミュニケーションだという。池田さんが同行するなど会話力を養う一方で視野が広がり、やがて主婦のレッテルが取れていくという。
池田さんは「営業ウーマンの育成だけでなく、積極的に社会とつながり、女性の立場で堂々と発言できる人を育てていきたい。それが女性たちの生きやすさにつながると思うから」と語ってくれた。(橋立多美)