水曜日, 12月 3, 2025
ホームコラム世代間不公平という肩車型の脅し 《ひょうたんの眼》45

世代間不公平という肩車型の脅し 《ひょうたんの眼》45

【コラム・高橋恵一】少子高齢化を語るとき、1人の高齢者を働き盛りの年齢層が何人で支えるかを解りやすく表現するのに、イラストなどを用い、騎馬戦型(3人で1人)や肩車型(1人で1人)と呼んだりする。昔は4人で1人だったのに、今は2人弱で1人、将来は1人で1人を担ぐ肩車型になってしまい、世代間の不公平が進むなど、社会保障費の抑制を求める理由とされたりしている。特に、テレビや新聞などのメディアが安易にこの理論に乗ってしまっている。

元々、「年齢3区分別人口割合」は、国連が各国の人口構成をまとめたもので、開発途上国の現状や世界規模での高齢化を予測した統計である。生産年齢人口を15~64歳としたのも、途上国の現状を踏まえたものだ。65歳以上人口の割合が7%以上を高齢化社会、14%以上を高齢社会、21%以上を超高齢社会という。

しかし、この人口区分が現実と符合しないことは、お分かりだろう。日本の15~18歳は、大枠で就労人口に組入れられるだろうか。女性の就労率や、再雇用賃金の面から64歳まで生産年齢人口に換算できるのか。65歳以降の就労など、年齢人口区分の生産年齢人口と、就労・所得の人口割合とは、性格が異なるのだ。

さらに、生産年齢人口に対して、年少人口と高齢人口を合わせたものを従属人口と言う。つまり、騎馬戦の3人は、高齢者1人と年少人口3人を乗せていたのだ。肩車型では、高齢者1人と年少人口1人しか乗せないのだ。世代間負担の理屈は、年少人口の激減を考えなければ、それこそ不公平なのだ。

必要配分と応能負担の原則

高齢人口割合の上昇は、平均寿命の延びと年少人口割合の減少によるもので、日本の場合は、急激な出生人口の減少である。平均寿命の延びは、食糧事情の改善や生活環境の改善、医療水準の飛躍的発展、社会福祉サービスの向上などがあり、世界的にいえば、戦争や治安の悪化により理不尽に命が奪われることのないことだろう。

少子化については、生活水準の向上により、個人の時間や経済と出産・育児のバランスから、少子化はやむを得ない現象であり、人類社会の発展過程で、女性あるいは夫婦が最善の選択をした結果である。

少子高齢化を「国難」と言った総理大臣がいたが、個人の最適な生き方選択の結果が少子化であれば国難ではあるまい。長生きを遠慮させる国策などありえないだろう。

少子化の進行が人口をゼロにしてしまうわけではない。高齢化も無限ではなく、団塊の世代の山が、2040年くらいには平準化し、日本の人口は将来的には7000万人くらいで落ち着くはずだ。現在のドイツやフランス、英国並みの水準になり、人口密度は少々高めだが、海に囲まれ森林が豊富なので、安定した生活を維持できるだろう。

高度な福祉国家を維持する財源はどうするのか。世代間の負担の不公平はどうするのか。答えは簡単だ。「必要配分と応能負担の原則」。少子高齢化の波を正面から受け止め、安心で平和な政策と、それを正しく助長するメディアを望む。(地図好きの土浦人)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

土浦市に本格的自家焙煎の店 5日オープン

【PR】土浦市藤沢に本格的自家焙煎の店「COFFEHOUSE BLUE」(コーヒーハウス・ブルー)が5日オープンする。栽培から流通まで品質管理された「スペシャルティコーヒー」を提供する。焙煎機は茨城県初上陸のトルコから取り寄せたBESCA(べスカ)製品を使用する。 コーヒー豆の販売のほか、店内に7席が用意され、カフェとしても営業する。煎りたてのコーヒーを味わうことが出来、ホットサンドなども準備する。 コーヒー豆はインドネシア、エチオピア、メキシコ、パプアニューギニア、グアテマラ、コスタリカ、ブラジル、コロンビア、エクアドル、ニカラグアの10種類、同店で作るオリジナルブレンドもある。 焙煎機にBESCA製品を選んだ理由として「高品質で細部まで考え抜かれた設計で比較的手に入れやすい」ということから直接輸入した。国内でも20機ほどしかないという。 開店するのは野口雄太郎さん(38)。土浦市木田余で生まれた。当初はミュージシャンを目指し、音楽の専門学校に通った。ドラム奏者として活躍し、自主制作のCDまで作ったが、コーヒー職人の道を目指すことになった。 東京・浅草の老舗店「ロイヤル珈琲店」やコーヒー好きが通う神保町の「豆虎」などで5年間働き、コーヒーに関する技術や知識を身に付けた。新規店舗では、コーヒーのおいしい淹れ方などの相談にも乗る。 同店は旧国道125号線沿いにあり、大叔父が1987年から2013年まで営業していた喫茶店「ブロートツァイト」を改装して開業する。地域の喫茶店として幅広いファンがいたが、22年間空き店舗になっていた。店舗面積は約70平方メートル。 野口さんは「コーヒー好きの人だけでなく、コーヒービギナーの人にも来店してもらい、ゆっくりとした時間をコーヒーとともに味わってほしい」と語り「手に取りやすい価格でおいしいものを提供するのがモットー」と話す。 ◆「COFFEHOUSE BLUE」は土浦市藤沢3560-2、電話029-846-0744

サイン本コレクター 中山光昭さん《ふるほんや見聞記》11

【コラム・岡田富朗】今年30周年を迎えた「アートウェーブつくば」。その初期から参加し、長年にわたり作品を発表してきたのが、中山光昭さん(70)です。アートウェーブつくばは、つくば市周辺で活動する作家による展覧会で、日本画・洋画・立体・平面・書・彫刻・工芸・写真など、幅広いジャンルの作品が一堂に会します。 1985年のつくば万博をきっかけに始まり、現在も毎年開催されている地域密着の美術イベントで、5年に一度は五浦の県立天心美術館(北茨城市大津町)でも展示が行われます。アート制作のかたわら、中山さんはつくば市文化協会の芸術副部長を務め、さらに筑波山神社の氏子総代としても地域に寄り添ってこられました。その活動の幅は実に多岐にわたります。 中山さんは、サイン本のコレクターでもあります。2〜3年かけてご自身の足でコツコツと集められたサイン本は、実に300冊を超えるとのこと。古本屋やリサイクルショップで偶然出会ったものから、サイン会に足を運んで手に入れたものまで、収集の方法はさまざまです。 今回12月9日から3日間、つくば市民ギャラリーにて、コレクションの中から50冊前後のサイン本を見ることができる展示が開催されます。写真に写っているサイン本だけでも、谷川俊太郎(詩人)、永六輔(放送作家)、ピーコ(タレント)、神田伯山(講談師)、柳生博(俳優)、桂三枝(落語家)、中島潔(画家)─と、実に多彩な顔ぶれが並びます。 著名人の人柄を感じられる 古いものや骨董にも関心があったという中山さんに、サイン本の魅力について伺いました。 「サイン本との出会いは偶然が多く、たまたま気になって手に取った本にサインが入っていることがよくあります。まるで本に呼ばれているかのように感じることもあります。サイン本と一口に言っても、サイン会で書かれたもの、作家が贈呈のために記したもの、編集者への推薦として他者の著作に署名したものなど、実にさまざまです。サインに絵が添えられていたり、言葉が書き加えられているものもあります」 「また、どのような経緯で、誰から誰へと渡ってきたのかを想像すると、その本が歩んできた“時間”を感じることができます。現在は手書きのものも少なくなりつつあり、著名な方々の人柄を感じられるサインは、とても貴重で魅力的なものだと思います。今後も自分が納得できるまでは、サイン本の収集を続けていくつもりです」と語ってくださいました。(ブックセンター・キャンパス店主) 中山光昭コレクション サイン本展・他(仮)・会期:12月9日〜12月11日・会場:つくば市民ギャラリー(つくば市吾妻2-7-5、中央公園内)・時間:午前9時〜午後5時

愛犬ミミの自然死《くずかごの唄》153

【コラム・奥井登美子】戦時中の小学4年生の時、かわいがっていた犬を愛国婦人会のおばさんたちに連れていかれてしまってから、私はショックで、しばらく犬の顔が見られなかった(10月23日掲載)。 結婚して東京から土浦に住むようになり、舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)の介護に振り回された。国の介護制度が整っていなかった時代だったので、ご近所の人や医療関係の友達に助けていただいて、何とか家族の危機を乗り切ることができた。 それから何十年か経ち、介護の苦労もすっかり忘れたころ、孫が犬の赤ちゃんをもらって来て、ミミと名付けた。わが家のアイドル犬ミミは特別元気な犬で、庭の中を駆け回って昆虫を追いかけるのが大好きだった。力が強く、つながれた鎖を引きちぎってしまったこともある。 犬の自然な寿命はよく分からないが、15歳くらいらしい。赤ちゃんの時にもらわれてきたミミは、18歳で歩くことができなくなってしまった。 人間は歩けなくなってしまっても、言葉で意志を通じることができるので、介護の人が適切に動いてくれれば生活できる。しかし犬は困る。ワンワンという言葉しかしゃべらないから、歩けなくなったイラダチをどう表現するのかわからない。何を考え、何を望んでいるのか、飼い主にも見当がつかない。 歩けなくなってしまったミミ 歩けなくなった犬はどうしたらいいのだろうか…。 難しい問題である。私は犬の自然死を体験してみるのも、自分の死に方に参考になるのではないかと思った。人間も明治時代前は自然死に近かった。漢方医など医者はいたが、かかれない人も多く、薬の成分はほぼ天然由来の植物や鉱物ばかりだった。 ミミを日当たりのよいサンルームに移動し、鎖は金属で重いから、軽い布のひもに取り替えた。排泄物はどこでどうするのかわからない。サンルームにゴザを敷き、その上にオシッコでぬれても構わない色々な種類のカーペットを敷き、ミミがその日に自分の気にいった場所を選べるようにしてみた。 難しいのはドックフード。今はいろいろな種類のドックフードを売っている。何種類か買ってきて、別々の容器に入れて何を食べてくれるのか試してみた。スープと水と漢方薬もお湯で溶いて、何種類か置いてみた。 歩けなくなってしまったミミは、私の作った犬介護ベッドで108日間生きていた。最後の一週間は何も食べなくなり、私の胸に抱かれながら、静かに満足そうな顔をして息を引き取った。(随筆家、薬剤師)

隣国・中国を視察して《令和樂学ラボ》38

【コラム・川上美智子】水戸市は、中国 重慶と友好交流協定を25年前に結んでいる。重慶は、上海、北京、天津と並ぶ中国四つの直轄市の一つであり、面積も人口も世界最大で、3200万人超の人々が住んでいる。日本では、広島市と水戸市の2市が友好交流都市となっており、水戸市と重慶は定期的に相互の国を表敬訪問し友好関係を深めてきた。 10月15~19日、水戸市は、団長・髙橋靖市長、副団長・綿引健市議会副議長とする総勢33名の友好交流25周年記念親善訪問団を仕立て、5日間の視察を行ってきた。私自身は、8年前に次いで2回目の訪問であったが、その後の重慶の発展ぶりを見たいという強い思いで参加した。 現在、高市早苗首相の衆議院予算委員会の答弁が発端で、日中関係が目まぐるしく変化し、気になるところであるが、日本にとっては大切な隣国である。本視察は今後の日中関係を考える上でも、学びの多い有意義な5日間であった。 中国は、私の長年の研究対象<茶>の故郷であることから、30代のころより研究や学会発表などで訪問し、隣国の移り変わりを見てきたが、超高層ビルが林立する重慶に迎えられて、今回ほどその発展ぶりに驚かされたことはなかった。また、日本文化のルーツでもある中国の歴史文化のスケールの大きさに触れる貴重な機会にもなった。 訪問2日目の公式行事で、重慶市人民政府外事弁公室を表敬訪問した。訪問では、沔子敏(Feng Zimin)副主任と日本国駐重慶総領事館の高田真里総領事、横山理紗副領事がお出迎えくださり、歓迎レセプションが開かれた。 沔副主任は、団員一人ひとりとシャンパンで乾杯を交わされ、名刺交換の際には、子(Zi)という字が私の名前にも入っていることを見つけられ、同じだねと喜んでくださった。本当に丁寧にもてなされて、一同感激し、友好を深められたことを喜んだ。また、日本の外務省に所属する女性官僚2人が領事、副領事を務められ、国際社会の前線で活躍される姿に頼もしさを感じた。 両国友好こそが平和維持に不可欠 水陸の要所であり、一帯一路の中心に位置する重慶は、習近平が掲げる「中国を世界の工場にする」との方針のもと、世界的な工業都市として発展を続けてきた。私たちは重慶九州神鷹通航公司と重慶長安汽車工場を視察した。 重慶九州神鷹通航公司は、ドローンやヘリコプター、プライベート飛行機などの利用拡大のための施設で、機器の貸し出しや操縦指導などの支援を行っていた。広大な領土を有する中国ならではの空の利用促進を狙ったものとなっていた。 重慶長安汽車工場は、中国でBYDや吉利汽車、テスラ中国に次ぐ、販売台数シェア第4位の最先端の電気自動車工場である。ラインのロボットアームが金属板の切断、曲げ、溶接、塗装、組み立ての一連の作業を行い、タイヤをはめるのと最終チェックだけを人が関わっていた。その場で360度回転する車や、センサーを多用した車など、利便性の面では日本車より遥かに先端を行っていた。 中国には59のユネスコ世界遺産があるが、その一つ、大足石刻を訪れ、丘陵石窟に彫られた仏教、儒教、道教の1万体の石像も見学した。唐代から宋代まで500年間かけ造られた壮大な芸術群に驚かされた。今回の視察は、中国がもつ底力や未来への伸び代を理解する上で大変意義深いものであった。 今年、日中国交正常化53年目を迎えたが、両国間の友好こそが平和維持に不可欠であることは言うまでもない。(茨城キリスト教大学名誉教授、関彰商事株式会社アドバイザー)