【コラム・斉藤裕之】2人の娘も家を出たし、コロナ禍のステイホーム期間に不要なものを処分して、家の中は大分すっきりした。食べるものも着るものも、普段通りのもので充分だ。カミさんも特にぜいたくを言うことはなく、強いて言えば、たまに甘いものを食べるくらいのことだ。
例えば、寒くなるとホームセンターに出店する大判焼きの店。クリームの入ったやつがお気に入り。それから、しばらく前から盛んに「鳩サブレー」が食べたいと言うのだが、ここら辺りでは売っていない。似たようなお菓子ならあると思うのだが、「鳩サブレー」でなければ嫌だという。
さて、平熱日記展も友人知人がぽつりぽつりと足を運んでくれて、無事に終えることができた。その中にある同級生がギャラリーを訪ねてきてくれた。
今思えば、私の通った大学には後に頭角を現す才能豊かなやからがうろうろしていて、この男も当時からオーラを放っていた1人だ。今も、越後妻有(えちごつまり)のトリエンナーレをはじめ、野外を舞台に作家として実にエネルギッシュに活動しているのだが、男気のあるロマンチストで人望も厚い。
そんな彼がわざわざ私のちっぽけな作品を見に来てくれるのには、正直ちと気が引けたが、今年でギャラリーが閉まることもあり、遠路はるばるやって来るという。
母校「大浦食堂」の「扉」
ところが、現れた彼の手には白いギブスが。にぎわうカフェでパスタをほおばりながら、彼は近況を報告。90を超えたご両親の面倒をみていること。これから高校に入る息子さんのこと。道の真ん中に立っていた標識に単車で突っ込んで骨折したこと。次の作品に意欲を燃やしていること。大変なことも楽しいことも淡々と語る彼。話を聞くうちに、痛々しいはずのギブス姿がなぜかたくましく思えてくる。
そんな彼がこのエッセイを毎回楽しみしているという。また私の作品に興味を持ってくれたのがうれしかった。中でも「扉」という作品が気に入ったと言う。それは我が家の玄関の扉を描いた絵なのだが、30年近く前に美術館建設のために取り壊された母校・東京芸大の「大浦食堂」の扉をもらい受けて、我が家に取り付けたものだ。
その後も美術館内で営業を続けていた大浦食堂は学生や教官に愛されていたのだが、多分コロナ禍の影響もあったのだろう、今年、その長い歴史に幕を下ろした。豆腐のバター炒め丼、通称バタ丼という名物があって、彼はいよいよ営業が終了すると聞いてわざわざ食べに行ったらしい(私達夫婦の結婚パーティーもここで開いた)。そんな思いを募らせながら、彼はこの絵を見ていたのだろう。
「おやじたちの晩飯作りに帰らなきゃ!」と言って、名残惜しそうに彼は家路についた。後日、「扉」の作品を彼に送ってやった。宛先の住所は鎌倉。実は彼は生粋の鎌倉人。「お代は鳩サブレーで!」という手紙を添えた。(画家)