火曜日, 2月 10, 2026
ホームつくば追憶の「筑波日記」 詩人・竹内浩三との幻の接点を綴る【戦後76年】

追憶の「筑波日記」 詩人・竹内浩三との幻の接点を綴る【戦後76年】

筑波から激戦地のフィリピンに渡り23歳で戦死した詩人・竹内浩三が、終戦から76年目の今年、生誕100年を迎えた。竹内は、青年期にある自身の気持ちを等身大の言葉でみずみずしく表現した詩人で、戦後、その作品群が詩集「戦死やあわれ」にまとめられるなど、たびたび注目されてきた。竹内は戦争末期の1年3カ月あまりを、今のつくば市作谷にあった西筑波陸軍飛行場の滑空部隊で訓練を積んだ。その日々を「筑波日記」と題した日記に記録した。

冊子「ないはずの記憶 竹内浩三がいた北条にて」

竹内とつくばの関係を再考する冊子にまとめたのは、つくば市北条で洋品店「とり文」を営む土子隆輝さん(78)。タイトルは「ないはずの記憶 竹内浩三がいた北条にて」、一昨年に刊行された。

竹内が北条を頻繁に訪れていたことを知ったのが、冊子作成のきっかけになった。冊子では、同時代を生きた父の日記を併記させ、生後間もない土子さん自身の記録とともに、そこにあったかもしれない竹内との接点を「ないはずの記憶」として表現した。

竹内浩三と北条

「戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ 遠い他国で ひょんと死ぬるや」

1945年フィリピン・バギオで戦死した竹内浩三が22歳で入営する直前に詠んだ代表作「骨のうたう」の冒頭の一節だ。竹内はこの詩で戦争の虚しさだけでなく、戦後を想像し、復興の中で世間から忘れられゆく戦死者の心も詠んでいた。

竹内は大正10年(1921)、呉服屋の長男として三重県で生まれた。18歳で上京し、日大芸術学部で映画監督を志すが、戦時体制強化の中、夢半ばで大学を繰り上げ卒業し陸軍に入営する。

竹内が筑波に転属したのは1943年9月。所属部隊が置かれた西筑波飛行場は、1940年10月に現在のつくば市作谷と吉沼にあたる地域に開設され、竹内が所属した滑空部隊の他に陸軍士官学校西筑波分教場が置かれていた。

翌年元日から書き始める日記は、周囲の目を盗み毎晩トイレにこもり書いたもの。手札ほどの大きさの手帳に、以降1日も欠かすことなく筑波での日々を書き綴った。厳しい検閲を逃れるため、分厚い本の一部をくり抜き手帳を隠し、三重の姉に届けた。

土子さんは筑波日記を読み、北条にあった「伊勢屋旅館」など身近な名前が登場することに驚いた。日記には、竹内が休日によく足を運んだ場所として、つくば市吉沼の書店「十一屋」などがあがる。近隣の宗道など下妻市内の地名や店名も頻出している。

父が書き残した日記 つくばとの接点

土子さんが生まれたのは、竹内が筑波に転属する前月。初めての子を得た父親は、喜びとともに息子の成長を日記に書き記した。北条をたびたび訪れた竹内は、土子さんの自宅前を行き来していたことが筑波日記から読み取れる。土子さんの実家は当時、竹内の生家と同じ呉服店を営んでいた。同業者である竹内は、店先で幼い土子さんを見かけると声かけ、その頭を撫で、家族に代わって胸に抱いたこともあったのではないか。筑波日記を読む土子さんは竹内との接点を想像した。

土子隆輝さん。明治36年創業の北条「とり文」の三代目

竹内の魅力を土子さんは、子どもに向ける優しさと、戦時下でも失わないユーモア、率直な感情表現にあるという。その豊かな才能は、「呼吸をするように詩が生まれた」(竹内浩三作品集)という言葉にも表れている。

現存する筑波日記は1944年7月まで。それ以降の記録は残っていない。「竹内なら、外地のことも含めて、その後も記録したはず」と土子さんは考える。冊子は150部作成し、知人を中心に配布した。竹内の地元・三重県伊勢市の竹内に縁がある人々とのつながりも生まれた。「歴史の中で、竹内の物語が北条と繋がったというのは貴重」と話す。

戦争への思い

冊子作成を通して親近感を持った竹内との縁は、互いが学生時代を過ごした町でも繋がった。

「竹内が学生生活を過ごした同じ地域で、私も学生時代下宿していたんですよ。竹内が過ごした20年後のことでした。戦争の前後で、大きな時代の違いを実感しました」

「生きていれば、映画、漫画、詩、様々な分野で才能を発揮したはず。(竹内は)ひょんと死んじゃったんですよね。惜しい人を殺してしまった。こういう殺し方をした戦争というのは、するものではないとつくづく思う」土子さんはそう話す。

三重県庁公報によれば、陸軍上等兵・竹内浩三は1945年4月9日、フィリピン・バギオ北方1052高地で戦死した。享年23。遺骨は、今も見つかっていない。(柴田大輔)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

4 コメント

4 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

デジタル技術を駆使 アニメ、ゲーム、広告デザインなど展示 日本国際学園大

日本国際学園大学(つくば市吾妻)でデザインを学ぶ3、4年生が、日ごろの学習の成果を発表する作品展「2026コンテンツ デザイン エキシビジョン」(同大経営情報学部ビジネスデザイン学科主催)がこのほど、同市吾妻、中央公園内のつくば市民ギャラリーで開かれ、アニメ、ゲーム、メタバースなど最新のデジタル技術を駆使した作品や、想定した架空の店舗や商品のブランド価値を高める広告デザインなどが展示された。 1月31日から2月6日まで開催され、学生17人が作品約40点を展示した。同展は毎年開催され今年で15回目。4年生にとっては卒業制作展になる。 展示されたのは、楽曲に合わせて容姿が変化していくキャラクターを描いたアニメ作品、音楽に合わせてキャラクターや背景を動かすなどデジタルアートの制作過程そのものを映像にした作品、AIを使って小説のシナリオとキャラクターを制作したノベルゲームなど。 広告デザインは、つくば駅近くに架空のカフェがオープンしたと想定し、店舗のロゴやチラシ、缶バッチやシールなどを実際にデザインしたものや、土浦や水戸、常陸太田、龍ケ崎など、県内各地の昭和レトロな商店街を実際に訪ね歩き、それぞれの魅力を紹介したガイドブック、架空の水戸納豆のオリジナルキャラクターや商品パッケージなどをデザインした作品などが展示された。 インターネット上の3次元の仮想空間、メタバースの中で参加者を募り、参加者の分身であるアバターの撮影会や交流会を主催するなど2年間にわたる活動記録をポスター展示した4年の姜翔(きょう・しょう)さん(21)は「メタバースでは、いろいろな人が参加できるように企画を考えてイベント開きコミュニティを引っ張ったが、毎日のように反省点が出てきた」と活動を振り返った。 情報デザインやメディアアートを指導する同大の高嶋啓教授は「4年生にとっては、新型コロナの行動制限が始まった最初の年を1年生として過ごした。表現したいという強い気持ちが現れた作品や、センスが面白い作品があるので、これを引き継いでさらに深めていってくれれば」と話していた。

焼き芋ブームを「食文化」に《邑から日本を見る》191

【コラム・先﨑千尋】「焼き芋がブームになって20年。それを食文化に定着させよう」。今やスーパーの店頭だけでなく、コンビニやドラッグストアでも焼き芋が売られている。その火付け役となったのが「なめがた農協(現なめがたしおさい農協)」だ。 行方市で焼き芋サミット その本拠地の行方市にあるレイクエコーで、1月16日に「全国焼き芋サミット」が開かれ、全国から、焼き芋愛好家や生産者、行政、農協関係者、焼き芋業者、研究者など350人が集まり、焼き芋について熱く語り合った。開催は昨年に続いて2回目。主催は同実行委員会と行方市。 サミットの冒頭、同農協の金田富夫組合長が「農協では約30年前、それまでは主食用だったサツマイモを焼き芋として販売しようと考え、スーパーの店頭で売ることを考えた。しかし、焼き方や品種などで、1年を通しておいしい焼き芋を提供するのは難しかった。工夫を重ね、マニュアルを作り、今では全国約4000店舗で通年販売している。焼き芋をブームで終わらせるのではなく、食文化にしていきたい」と話した。 サミットでは最初、茨城県職員時代にサツマイモの病害虫研究に携わってきた東大大学院特任教授の渡邉健さんが、サツマイモ栽培で問題となっている「基腐(もとぐされ)病」などについて「必要以上に怖がらないように。病原菌を持ち込まない、増やさない、残さないが基本だ」と注意を呼び掛けた。 あるとうれしい⇒あって当たり前 基調講演は、サツマイモに特化したイベント「さつまいも博」を2020年に始めた石原健司さんが「焼き芋を『あるとうれしいもの』から『あって当たり前』に。生活を豊かにするものと消費者が考えられるようになれば、ブームから文化に定着したと言える。そのためには、客層を固定客だけでなく、子供世代やインバウンド(訪日客)などまで視野を広げていく必要がある」と訴えた。 「焼き芋業界のいま、そしてこれから」というテーマのトークセッションでは、龍ケ崎市や行方市の生産者や焼き芋業者らが登壇。それぞれが「原料のイモを安定して供給することが大事。そのためには土づくりが欠かせない。後継者が残れるために外部から呼び寄せることも必要。『焼き芋で笑顔に』を合言葉に、全国各地の百貨店やイベントに出店し、イモの皮まで旨(うま)味や香りを感じる焼き方を、生産者の思いも伝えながら全国の焼き芋ファンに届けている」などと話し合った。 サミットの最後は分科会。参加者が、生産、焼き芋市場・消費トレンド、地域・観光・体験農業、暮らしと女性の視点の4つに分かれて討議した。私が参加した生産の分科会では、基腐病や立枯病などの対策に関する質問や意見が多く出された。 サミット終了後、会場を隣の「なめがたファーマーズヴィレッジ」に移して交流会が開かれ、参加者は、サツマイモ料理や焼酎、いろいろな品種の焼き芋などを味わいながら、焼き芋談義で楽しんだ。(元瓜連町長)

紅梅満開 白梅咲き初む 筑波山梅まつり開幕

第53回筑波山梅まつりが7日、筑波山中腹にある筑波山梅林(つくば市沼田)で始まった。今年の開花状況は例年より1週間か10日ほど早く、紅梅はほぼ満開、白梅は咲き始めているという。1月初旬に満開となったロウバイは見頃が続いている。 7日は雪がちらつく中、開園式が催され、同梅まつり実行委員会の神谷大蔵委員長は「雪の開園式というのは私の知る限りはじめて。今年はずっと暖かったので花が咲き始めている。開催中大きな事故がないように務めていきたい」とあいさつした。式典には関係者約50人が参加した。 梅まつり期間中、がまの油売り口上、つくばのおさけで乾杯!(2月28日と3月1日に開催)、百人きものPresents/青春フォト(3月1日)などのイベントが開かれる。園内をつくば観光ボランティア298が案内する。ご当地土産品販売、筑波山おもてなし館での「梅Café」、梅を使用した期間限定メニュー「梅食」なども用意される。3月7日にはジオパーク企画として認定商品の販売、ジオパークの特設ブースも開設する。さらに隣接のアウトドアパーク「フォレストアドベンチャー」がリニューアルされ、往復180メートルの新ジップスライドが加わった。周辺店舗ではつくばうどん特別企画や、筑波山梅まつり宿泊プランなどが用意されている。 筑波山宮前振興会の渡辺伸一会長は「来た人に満足して帰っていただけるように努力したい。今年は梅食や梅ドリンクなどを用意した。福来みかんの素材を使ったものも、バージョンアップしているので期待してほしい」と話している。 梅まつりは3月15日まで。筑波山梅林は標高約250メートル付近にあり、中腹の斜面に広がる4.5ヘクタールの園内には約1000本の白梅や紅梅がある。

自民 国光氏が議席を奪還 茨城6区 衆院選’26

青山氏 議席失う 解散に伴う衆院選は8日投開票が行われ、高市旋風が吹く中、茨城6区は、自民前職の国光あやの氏(46)が、無所属で前職の青山大人氏(47)ら4氏を破り、小選挙区の議席を奪還して4期目の当選を決めた。無所属の青山氏は議席を失った。 茨城6区 開票結果 確定107,388 国光あやの 自 民 前④104,844 青山 大人 無所属 前23,443 堀越 麻紀 参 政 新 9,902 稲葉 英樹 共 産 新 2,982 中村 吉男 無所属 新 国光氏「皆さんが支えてくださった」 つくば市吉瀬の国光氏の選挙事務所には午後8時前から支持者らが集まり、テレビの開票速報を見守った。午後9時40分、テレビで当選確実が伝えられると、大きな拍手が起こった。間もなく国光氏が姿を見せると、会場はさらに大きな拍手と歓声が上がった。 午後9時55分、国光氏は自民党県議や市議らとバンザイ三唱。、「今回、4回目の選挙になるが、私の力不足で本当に厳しい選挙だった。それを皆さん、私にずっと伴走いただいたり、寒い中、叱咤激励いただいて、駆け付けていただいたり、一緒に歩いていただいたり、皆さんのお陰でこの場にこうやっていられなと、本当に皆さんに感謝しかありません」とあいさつした。 勝因については、テレビのインタビューに答えて「私一人の力ではない。(選挙戦が)始まる前から厳しい状況だったが、皆様が支えてくださった」と感謝を口にし、「突然の解散について、一つひとつ丁寧に説明しながらの選挙戦だった」と振り返った。 今後については「物価高対策に取り組み、賃金上昇を支え、しっかりと責任ある積極財政で取り組んでいく」などと話し、地域の課題については「県南は人口が増えているが、取り残されている課題がある。農業や社会保障など、だれも手を付けてないような取り残された課題に光を当てたい。医療、介護、福祉事業者は厳しい経営状況にある。現役世代の社会保障費の負担など、これ以上負担を求めることのないようしっかり社会保障改革に取り組みたい」などと話した。(鈴木宏子) 青山氏「ふわっとした高市さんの虚像に敗れた」 つくば市西大橋の青山氏の選挙事務所には、五十嵐立青つくば市長、宮嶋謙かすみがうら市長など、約200人の支援者らが集まりテレビモニターから流れる開票速報を見守った。雪がちらつく中、午後9時50分過ぎに国光氏の当選確実の一方が流れると、会場に沈黙が流れた。青山氏は厳しい表情のまま腰に手を当て画面を見つめた。 午後10時5分、トレードマークのスカイブルーのジャンパーを脱ぎ、スーツ姿で登壇した青山氏は、「全ては私の不得のいたすところ」とした上で、無所属で臨んだ選挙戦について、「自分で選択したこと。政見放送がないなど制限があったが、中道の候補者が厳しい状況の中でもここまで善戦することができたのは支援者の皆様のお陰」と感謝を述べ、「今まで以上の大きな反応、声援をいただいた。ただ、それ以上に高市さんの人気があったということ。見えない、ふわっとした高市さんの虚像があった」と選挙戦を振り返った。今後については、「支援者の皆さんとよく相談して考えるが、既存の政党に合流する考えは今のところない」と述べた。会場からは、「よくやった」「頑張ろう」の声が飛び交った。(柴田大輔)