日曜日, 1月 4, 2026
ホームスポーツ追悼・高橋伍郎さん 霞ケ浦横断遠泳の実行委員長

追悼・高橋伍郎さん 霞ケ浦横断遠泳の実行委員長

「霞ケ浦横断遠泳を楽しむ会」の実行委員長をしていた筑波大学名誉教授(体育学)の高橋伍郎さんが6月14日、亡くなった。84歳だった。稲敷市和田岬(旧桜川村)から行方市天王崎(旧麻生町)までの約2.5キロを泳ぐ夏の催し、1987年から2011年まで25回続き、毎回100~125人の泳ぎ自慢のスイマーが参加した。

高橋伍郎さん

ただ24回と最終回は、土浦市の田村町 -大岩田の約2キロに変更された。天王崎にあった国民宿舎白帆荘が閉鎖され、遠泳後の入浴、シャワー、懇親の場がなくなったからという。24回と25回が土浦コースになったのは、大岩田の国民宿舎水郷の施設を使うためだったが、同宿舎も閉鎖され、25回が最後になった。

高橋さんを悼み、遠泳イベントの「言い出しっぺ」鈴木明夫さん(元茨城県歯科医師会会長)、会の事務方を務めた糸山直文さん(元ジョイフルアスレティッククラブ社長)に、遠泳会を率いた「伍郎さん」「伍郎先生」の思い出を話してもらった。

ジョイフル本田会長との出会い

ホームセンター「ジョイフル本田」(本社・土浦市)が1985年、荒川沖店(同市北荒川沖町)のすぐそばに、「ジョイフルアスレティッククラブ(JAC)」をオープンさせた。同社の本田昌也会長(故人)はJACの目玉施設として50メートルプールをつくった。その設計について助言したのが伍郎さん。米国のスポーツクラブはどうなっているのか、本田会長と伍郎さんは米国まで調査に行った。

完成した本格プールで泳ぎを楽しむうち、クラブ会員の鈴木さん(かすみがうら市生まれ)が伍郎さんに「子どものころ遊んだ霞ケ浦で泳がないか」と提案。水質が懸念されたが、伍郎さんが「湖でとれたものを食べているのなら大丈夫」と遠泳会が生まれた。

霞ケ浦=水質の悪い湖のイメージを修正するのにピッタリと、会の発起人グループが竹内藤男知事(当時、故人)を訪ね、茨城県の支援を要請。知事は即決で初回100万円の補助を約束。その後も毎回60~100万円を予算化。1回目は、竹内知事がスタートのピストル合図を担当した。

「水は想像ほど汚くなかった」

遠泳会は競技ではなく、参加費3000円の「楽しむ会」。25人が1組になり、隊形を維持し、各2メートルの距離を取り、対岸天王崎を目指した。最大5班編成と決め、各班に和船が随伴した。報道船、救急船、カヌーも続いた。実行委員長の伍郎さんも一緒に泳ぎ、各班を回って泳者を励まし、安全をチェックした。

遠泳スタートは和田岬から=同

7月下旬~8月上旬に開かれたイベントを両岸の自治体も支援。出発地・和田岬では、出発を天王崎に知らせるために花火を打ち上げた。到着地・天王崎では、泳ぎ手の目標になるようにと連ダコを揚げた。

旧常陽新聞は第8回の様子を「参加者は県内全域から千葉県や東京都などにも及び、年齢も15歳から69歳までと幅広く、親子やカップルの参加者も見られた」「初出場の和知恵子さんは『完泳できてほっとしている。水は想像していたほど汚くなかったが、浄化が進んで魚や水草などが見える状態で泳ぐことができれば、素晴らしいと思う』と語り…」とリポートしている。

プールで水泳マラソン

台風で霞ケ浦横断が無理のときは、JACプールを使う遠泳会に切り替えた。クラブ内に設けられた「筑波スポーツ科学研究所」の所長もしていた伍郎さんは、水球もできる本格プールで、1万メートル、5000メートルの水泳マラソンも開いた。1月1日の正午から2日正午(JAC休館日)まで、6人の泳者が30分交代で泳ぐ「24時間スイム」も企画した。

伍郎さんの泳ぎ好きは半端でなく、猪苗代湖、田沢湖、浜名湖、洞爺湖など、全国の湖に出向いた。那珂川、四万十川などの川上りにもトライ。毎年、ワールドマスターズゲームにも参加した。

「いつも笑顔を絶やさなかった」

掲載写真を接写した「霞ケ浦横断遠泳10周年記念誌」(1997年刊)の編集を担当した亀田優子さん(不動産会社勤務)が、LINEで回覧された筑波大後輩の追悼文を送ってくれた。

「伍郎先生は、どんなときでも笑顔を絶やさなかった。色黒で立派な顎ひげをたくわえた面構えに、初対面の人は面食らう場合もあるだろうが、次の瞬間、人懐っこそうな満面の笑みに触れると、そのギャップもあってか、パッと人の心を開かせる不思議な魅力をお持ちであった」

合掌(岩田大志)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

つくば市には純金小判! ふるさと納税返礼品《水戸っぽの眼》8

【コラム・沼田誠】年末年始は、普段じっくり話せない友人や知人と飲む機会があります。その場でふるさと納税のことが話題に上りました。そこで、自分が住んでいるつくば市はどのような返礼品があるのだろうと、ネット検索してみると、なんと!「純金小判」が出てきました。 ふるさと納税は、本来、応援したい自治体に寄付を届けるという理念で2008年に始まった制度。昨年10月からは、仲介サイトによる「ポイント付与」が原則禁止されました。過熱する自治体間の寄付獲得競争に国が歯止めをかけた形です。 少し話が逸れますが、この制度を自治体のどの部署が担当しているかは、そのまま首長や行政組織(特に財政部門)の考えが反映されるものになっています。制度の趣旨、あるいは自治体間競争の面から考えれば、観光やシティプロモーション担当部署が担うのが自然であるように思います。岐阜県飛騨市では、関係人口創出や移住・定住などを担当するふるさと応援課が担当部署になっています。 私が在職していた水戸市では、税務部門の市民税課が担当しています。ふるさと納税を「税務事務」の範囲内で適正に処理したい―との考え方からです。ところがつくば市は、民間企業との連携やSDGsを担当する企画経営課の持続可能都市・官民連携推進係が担当しています。官民連携を活用した資金調達と、ふるさと納税を捉えているようです。 税収確保のための「防衛戦」? 最先端の研究機関が並ぶ街で、つくば市はなぜ純金小判を返礼品にする必要があるのでしょうか? それは、つくば市が県内でも数少ない地方交付税不交付団体だからだと思います。 つくば市民が他自治体に寄付して流出した住民税(2024年度は約28億円)に対し、国からの穴埋めは1円もありません。これに対し、交付団体である水戸市は、流出額の75%が翌年度以降の交付税で補填(ほてん)されます。つまり、つくば市にとって、ふるさと納税は税収確保のための「防衛戦」なのです。 その防衛戦のためには、一度の寄付額が大きい高付加価値商品をそろえることが合理的―という判断が、純金小判なのではないかと思います。しかし、この防衛戦のコストは軽くありません。寄付額の半分は、返礼品代、ポータルサイトへの手数料、職員人件費などに充当されますから、「毎年10億円ずつ税収が増えている」(2024年10月23日掲載のNEWSつくば記事)とはいえ、「非常にもったいない」と思います。 カタログから他県の特産品を選び、「等価交換」で得をした気分になる一方、その代償として削られているのは、自分が踏みしめる道路の補修費であり、子供たちが通う学校の設備費なのかもしれません。私たちが手にする肉や魚や米は、本来受けるべき公共サービスと引き換えに差し出されたいびつな「等価交換」の結果なのです。 「受益と負担」という地方自治の原則を根底から揺さぶるこの制度について、私たちは一度立ち止まって、そのあり方を考えるべきでしょう。(元水戸市みとの魅力発信課長)

霞ケ浦 土浦港周辺をリゾート地域に 市・県有地を民間の力で整備

土浦駅東口に近接し霞ケ浦に面する土浦港とその周辺約9.5ヘクタールを民間の力で観光・レクリエーション拠点に整備する事業が2026年春にまとまる。土浦市と茨城県は25年10月、同エリアを「観光客が訪れる魅力ある空間」にする事業計画の提案事業者を公募した。12月中旬までに「複数の事業者から関心ありとの返答があった」(同市都市政策部)。市と県は26年3月に整備事業を実施する企業あるいは企業グループを選定し、霞ケ浦湖畔の土浦港周辺リゾート化計画を公表する。 「ラクスマリーナ」は事業者に譲渡 市と県が進めている「土浦港および周辺地区広域交流拠点整備事業」区域は▽A地区:湖底土砂浚渫(しゅんせつ)船などが利用する土浦新港(県施設)約2.7ヘクタール▽B地区:マリーナ(ラクスマリーナのヨットなどの係留・管理施設)と広場(市有地)約3.9ヘクタール▽C地区:「りんりんポート土浦(サイクリスト向け拠点施設)」区画(市有地)約1.1ヘクタール▽D地区:プレジャーボートなどが停泊する土浦港(県施設)約1.6ヘクタール―から成るエリア。 市はこの地域を霞ケ浦観光の拠点にすることを考えてきたが、市が手掛ける整備ではなく、発想や資金が豊富な民間業者に任せることにした。25年10月、複数企業から計画を提案してもらいベスト企業を選定する「公募型プロポーザル方式」で事業主体を選ぶと発表した。市と県は26年3月中下旬、事業者から出される提案内容を審査、同月末に1企業(グループ)に絞り込む。 担当者によると、市有地は選定された企業に売却せず、用地を賃貸する形になる。また、「りんりんポート土浦」は指定管理者制度の活用を想定している。一方、観光船やマリーナを運営する「ラクスマリーナ」(株式の100%を市が保有)については、湖畔整備を担当する企業に4065万円(予定価格)で全株を譲渡する。事業者から見ると、用地は自社所有にならないものの、マリーナ経営の自由度は確保でき、リゾート開発の「絵」は描きやすくなる。 会議場、マーケット、レストラン… 24年11月に市が行った「サウンディング(アイディア聴取)型市場調査」では、「水陸両用飛行機の発着場」(A地区)、「グランピング施設、温浴施設、会議場、スポーツ施設」(B地区)、「サイクルスポーツ施設」(C地区)、「マーケット、レストラン」(D地区)といった活用策が寄せられた。 市有地になっているB・C地区には、かつて、マリーナも経営する土浦京成ホテルが建ち、市を代表する宿泊・宴会・婚礼施設があった。ところが2007年春に経営難で閉鎖。その後、中堅不動産開発会社がホテル用地を買収、リゾート型マンションの建設を計画していた。しかし、2008年秋のリーマン・ショックで同社の計画は破綻。そこで2010年秋、市がラクスマリーナとホテル跡地を取得、霞ケ浦湖畔にふさわしい活用策を探ってきた。 土地取得から15年。市はやっと、①土地は売却せず賃貸②マリーナ会社は完全譲渡③県の2港施設も利用―をセットにした市有地活用案を策定、経営力がある民間事業者に湖畔のリゾート化を進めてもらうことになる。(坂本栄)

定年後の「孤独」は病気ですか?《看取り医者は見た!》48

【コラム・平野国美】私は今、61歳になりました。 訪問診療医として、日々、多くの高齢者の人生の終幕に寄り添わせていただいています。しかし、医師として人の老いを診ることと、自分自身が老いていく実感を持つことは、全く別の体験です。 今後、知力も体力も確実に衰えていくという悲しみ。いつか必ず訪れるリタイアへの怖さ。その時、自分の居場所はどこにあるのだろうか? そんな不安が、ふと胸をよぎるようになりました。 そんな中、私にとって長年の「居場所」であったテニスクラブが閉鎖されてしまいました。 ただ運動する場所を失っただけではありません。仲間と顔を合わせ、笑い合い、職場を離れて一人の人間になれる場所。それらが突然消えてしまった時、私は言いようのない喪失感とともに、社会から切り離されるような心細さを覚えました。 「ああ、孤立とはこういうことなのか」。私は患者さんたちが抱えている孤独の正体を、身を持って理解した気がしました。だからこそ、私は書きたいのです。定年後も尊厳を持って生き、誰かとつながり続けるためには、どんな場所が必要なのか。今回は、医師としての提言であると同時に、居場所を求めてさまよう61歳の男性としての、切実な模索の記録でもあります。 社会的孤立という「見えない危機」 日ごろ、地域の患者さんのご自宅を回っていると、医学的な病気そのものよりも、もっと根深い「ある問題」に直面することがあります。それは「社会的孤立」です。皆さんは、定年退職を迎えた後、家族以外の人と会話する頻度がどれくらいあるでしょうか? 日本には「人との交流が週に1回未満」という高齢者が全体の10~20%も存在すると言われています。これは単に「寂しい」という感情の問題ではありません。公衆衛生上の、れっきとした「危機」なのです。 驚くべきデータがあります。日本において、社会的孤立で早期死亡に至るケースは年間約2万人にも上る可能性があると指摘されています。これは交通事故で亡くなる方の数をはるかに上回ります。「孤独はタバコや肥満と同じくらい健康に悪い」という話を聞いたことがあるかもしれませんが、現場の医師としての実感もそうです。孤立は、うつ病のリスクを高め、認知症やフレイル(虚弱)の進行を加速させます。 これまでも、公民館での集まりやサロン活動など、多くの対策が取られてきました。しかし、「行けば元気になれる」とわかっていても、そこへ一歩踏み出すのは容易ではありません。「知らない人の中に入っていくのが怖い」「話題が合うか不安」といった心理的なハードルがあるからです。また、既存のプログラムは効果が見えにくく、継続的な予算が付きにくいという課題もありました。 さて、孤独な訪問医師、私の居場所はどこかにあるのでしょうか? (訪問診療医師)

読み聞かせの卒業と増えていく書物《ことばのおはなし》89

【コラム・山口絹記】この数年で読み聞かせを卒業した娘の読書スピードがみるみる上がり、休日には厚めの児童書を1冊以上読むまでになった。学校でもよく本を読んでいるらしく、担任の先生との面談でもその旨を「偉いですね」というニュアンスで伝えられ、「はぁ」とか「まぁ」と曖昧にうなずいているのだが、活字中毒患者の真意を伝えるのはなかなか難しいものである。 私自身は学生時代、母親に「本の犬食いはやめなさいよ」「本ばっかり読んでないで」とよく言われたのだが、真偽不明な情報スジによると、小さい頃に抑圧された欲は大人になって暴走することがあるらしい。 なので私は、『100万回生きたねこ』の白猫ように、娘の完読宣言を受けても、そっけなく「そう」とだけ答えている。実際のところ、私の母親もいわゆる本の虫で、口ではいろいろ言っても本当に読書を禁じていたわけではなかったし、ことあるごとに娘にも書籍をプレゼントしてくれるので、まぁつまり、そういうことである。おそらくどうしようもない。 そんなこんなで最近、娘と本屋に行くことが増えた。私が誘うこともあるし、娘が「本がきれたから買いに行きたい」というのでついて行くこともある。個人的には我が子の言動について不安を感じるところである。本が“きれた”という表現が完全に中毒患者のソレだ。おそらくもう手を付けられないところまで中毒症状が進行してしまったようである。 枕元に本が5、6冊 一方で、“きれた”という状況認識ができているうちは健全である、という見方もある。私くらい重篤な患者になると、自分の読書スピードをはるかに上回るスピードで書物が部屋に堆積していくため、目も当てられない。妻もすっかり諦めているようだ。 夜に寝室に入ると、寝ている娘の枕元には本が5、6冊積まれていて、(私も全く同じことをするのだが)客観的に見ると本は同時に1冊しか読めないのに、なぜ積む必要があるのだろうと疑問に思う。自問自答しても理由がよくわからないので、これもおそらく専門家のカウンセリングが必要な案件なのだろう。 あと数年すれば、娘と共有できる書籍もぐっと増えると思われるので、私の部屋と実家の数万冊の書籍が役に立ってくれることを祈るばかりである。(言語研究者)