火曜日, 3月 24, 2026
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つくばの市街地に咲く「絶滅危惧種」 私はどうすればいい?

4月、NEWSつくばに読者から「絶滅危惧種の『キンラン』がつくば市街地に自生している」というメールが届いた。

その場所は、つくば駅に近いセンター地区の市街地。後日、メールの差出人に案内されると、ある企業の私有地に、黄色く小さな花をつける1本のキンランがあった。一見、どこにでもあるような普通の植物。周囲の雑草と見分けがつかず、探すのに時間がかかった。

「絶滅危惧種」がなぜ市街地に生えているのだろう? 希少な植物に出合ったとき、私たちは一体どうすればいいのだろう? 湧き上がるいくつかの疑問を胸に、専門家に話を聞いた。

キンランとは?

そもそもキンランとはどのような植物なのか。

キンランは、日本に約300種あるとされるラン科の植物の一つ。多年草で、ブナ科やマツ科の樹木の根もと近くに生育し、30センチから70センチほどの高さになる。これらの樹木の根に寄生する菌類が作る養分を、キンランは取り込み生きている。こうした菌類との共生関係を必要とし、単体では生きられないのも大きな特徴だ。

かつて雑木林に群生するキンランを見ることは珍しくなかった。しかし近年、個体数が減少し将来的な絶滅が危惧されることから、環境省は「絶滅危惧II類」に、茨城県も独自に「準絶滅危惧」に指定している。

なぜ「絶滅危惧種」に?

では、なぜキンランは個体数が減ってしまったのか。

県自然博物館(坂東市)で学芸員を務める伊藤彩乃さんは、減少の理由の一つとして、かつて人の暮らしに欠かせなかった雑木林の手入れが行き届かなくなったことを指摘する。 

「かつてキンランは、私たちにとって身近な植物でした。雑木林にはコナラやクヌギといった、キンランの生育に必要なブナ科の樹木が多くありました。それらの樹木を、まきや炭として利用するために定期的な伐採や下草の刈り取りを行っていました。しかし、生活の変化によって放置される林が増え、下草が密集し伸びると、背丈の低いキンランに光が届かなくなり、光合成ができず生育できなくなったと考えられます」

手入れが行き届かなくなった雑木林

つくば市で環境保全活動をする「つくば環境フォーラム」の田中ひとみさんも同様の指摘をした上で、「キンラン以外にも絶滅の危機に瀕する動植物が、人との関わりが停止した雑木林を含めた『里山』に多く存在している」と話す。

「里山」とは、農林業など人の生活を通じてつくられた、農地や集落を含めた広い生活圏のことを指す。かつて日本各地で見られた環境だ。「里山」の減少がキンランだけでなく、キキョウやオミナエシなどいくつもの植物を絶滅の危機に追いやっている。環境省は植物以外にもメダカ、タガメ、クロシジミなどの動物も、里山減少による絶滅危惧種として挙げている。

環境保全の意味

「絶滅しそうな里山の動植物を保全するには、人による再生が必要」だと、田中さんは話す。

ではなぜ私たちは里山を保全し、動植物の減少を防ぐ必要があるのだろうか。田中さんはこう説明する。

「実感しづらいかもしれませんが、人が自然の恵み(生態サービス)によって、その命を繋いでいるからです。自然界は、多様な生物のバランスによって今まで持続してきました。絶滅危惧種が急増しているのは、そのバランスが崩れてきている証拠ではないでしょうか。自然界のバランスが崩れると、生物種のひとつである人類にもいずれ生存の危機がくるかもしれません」

生活する人間と、その環境に適応する多様な動植物の関係が長い年月をかけ育まれた。人の暮らしも、そのバランスの上に成り立ってきたのだ。

再び増えつつある個体数。都市部に適応する生命力

今回キンランが見つかったのは、つくば市の中心市街地という「自然」と離れた場所だった。そこにキンランが咲く意味を、どう捉えればいいのか。質問に対し、県自然博物館の伊藤さんはこう話す。

茨城県自然博物館学芸員、伊藤彩乃さん

「私たちにとっての『(自然の)豊かさ』とは、原生林など人の手が加わっていない場所を想像するかもしれません。しかし、生き物の視点から見た時に、意外と都市の中にも、彼らにとって『豊か』な場所はあるのです」

「キンランが生きるために必要な条件は、ブナ科やマツ科の樹木、そこに寄生する菌類、適度に人手が加わり、光が届く場所。意外かもしれませんが、都市部にも、こうした植物にとって『良い』条件が整う場所が少なくないのかもしれません」

「街路樹や公園など、植栽された林が市街地には多いと思います。昔ながらの雑木林ではなく、街をつくった時に新たに木を植えたところです。そこにブナ科やマツ科の樹木を選んで植えることがあります。そうした場所に生えるキンランを、最近見るようになりました」

つくばの中心市街地で今回見つかったキンランを振り返ると、近くに松の木があったし、周囲の雑草は適度に刈られていた。伊藤さんがこう続ける。

「はっきりとした理由はわかりませんが、元々あった雑木林から飛んできた種子が発芽した可能性もありますし、植えられた樹木の根についてきた可能性もあります。キンランは、菌類との共生関係が必要です。持ち込まれた樹木と共生する菌類が活発であれば、キンランが発芽する条件は整います」

「人が作った環境に適応するキンランの姿を見ると、生き物としてのしたたかさを感じます」

見つけた人はどうすればいいのか?

希少動植物の中でも特に保護が必要とされる「国内希少野生動植物種」は、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」に基づき、個体の捕獲や譲渡が原則禁止され、違反すると罰則が適用される。しかし、キンランは法的な保護の対象には含まれていないものの、県は「茨城県希少野生動植物保護指針」で県民に対し、「自主的かつ積極的に取組みを進めること」を求めている。

では具体的にキンランに遭遇したとき、私たちはどうすればいいのか?

今回つくば市でキンランが確認されたのは、吾妻1丁目、NTT東日本茨城支店つくばビルの敷地内だった。NEWSつくばの問い合わせに同社は、こう回答している。

「キンランが生育している場所の状況から、囲い込み等の保護は行わず(囲い込みを行うことにより、かえってイタズラ等にあう可能性もあるため)、自然体で見守っていきたい。除草作業等時はキンランの花弁が落ちていたことを確認したうえで、球根を傷つけないよう配慮しつつ、来年以降も対応をとっていきたい」

茨城には、キンランの他に、キンランの一品種である「ツクバキンラン」もある。珍しさも手伝い、思わず自宅に持ち帰りたくなるかもしれない。それに対して伊藤さんはこう話す。

県自然博物館の敷地内に自生する「ツクバキンラン」

「(キンランの)数が減ってしまった要因に、花がきれいなために採集されてしまったということもあります。キンランは、樹木と菌類との共生関係が必要なので、持ち帰って鉢に植えても育つことはできません。それだけでは生きることができないのです。樹木や菌を含めた周囲の環境が整ってこその生き物です。なので、むやみに採ることはせずに、林のなかで咲いている姿を楽しみましょう。周りの環境と共に見守ってほしいと思います」。(柴田大輔)

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序章 土浦一高哲学部「放課後の哲学」

はじめに 【コラム・哲学部顧問 飯島一也】現在、世界的に哲学ブームが起きているそうです。1960年代生まれの筆者にとっては、80年代に起こったニューアカデミズムという哲学ブームが懐かしく思い出されます。今回の哲学ブームはAIの進化と関連があるようで、AIと倫理に関連するスキルを合わせ持つ人材が、過去5年で6倍に増えているとのこと、2025年12月8日付 日経新聞電子版の記事「超知能 仕事再定義⑴ AI時代の雇用『求む!哲学専攻』」には、以下のように述べられています。 「なぜ今、哲学なのか。米エール大学心理学部のローリー・アン・ポール教授は『AIがもたらす予測不能な未来に、既存の価値観では対処できなくなりつつあるためだ』と説明する」 「AIはいずれ与えられた最終的な目標に向けて自ら計画を立て、必要なタスクを自律的に実行するようになると見込まれている。そのとき、AIの根本的な判断を左右するのは開発者の思想にほかならない」 この記事では「開発者の思想」である哲学は、「予測不能な」AIに対抗するためのものとされています。現代のAIは人間の脳をモデルとして作られていることから、筆者からすると、AIを開発することが人間の知能や人間らしさそのものについて思索する可能性を開いている、という側面も重要であると思っています。 改めまして、土浦一高哲学部顧問の飯島と申します。この度、NEWSつくばのライター柴田大輔さんから、生徒のエッセイを連載するという企画について、お声を掛けていただき、生徒にとって、自分の思索を文章にする絶好の機会だと受け止めました。連載を始めるにあたって、本稿では、顧問の立場から、部活動や本コラムの紹介をさせていただきます。 哲学部の由来 高校生が哲学について考え、自身の問題として語り合う。そういった放課後の光景が、土浦一高には、部活動として存在しています。土浦一高哲学部では、この記事の執筆時点(2月21日)で、1、2年生合わせて23人の部員が、それぞれの関心に応じて哲学を探究しています。 「哲学部」が正式に部活動として承認されたのは、2025年3月の生徒総会で、まだ最近のことになりますが、前進となる組織は、文芸・弁論部内の「哲学班」として、約4年間の活動を積み重ねてきました。 その始まりは、2021年の4月頃、入学して間もない一人の女子生徒が、国語科室を訪れたという出来事にさかのぼります。その生徒は、中学時代、筑波大学で開催されていた哲学カフェに参加したことがあり、土浦一高でも開催してほしいと言うのです。その要望に応える形で、まずは1年生を対象に第1回の哲学カフェを開催し、そこに参加した5人の生徒が文芸・弁論部に入部したことで「哲学班」の発足に至ったのでした。つまり、哲学部の始まりは、あくまで生徒の要望だったのです。  哲学部の活動 そのような経緯から、哲学部の活動の中心は、哲学カフェにあります。参加者が輪座して対面し、当たり前に見える事柄を疑い、その場にいる皆が納得できる答えを求めて、専門的な知識を用いず、誰にでも通じる言葉で、前提にさかのぼって対話する。ですから、哲学カフェにおける「哲学」とは、参加者全員が共同して制作するものです。つまり、「哲学」を生み出すのは「対話」なのです。この原則は、哲学カフェを離れた、読書や文章作成などの場面でも変わらないと考えます。そこで、読書会なら「テクストカフェ」、文章作成なら「編集カフェ」というように、あらゆる活動について、対話を通して行うように意識しています。 また哲学カフェを含めて、個々の活動は「チーム制」で行っています。生徒自身が発案し、生徒自身の交渉によって実現したチーム活動としては、地元のレンタルスペースを運営する「がばんクリエイティブルーム」さんのご協力による市民哲学カフェが挙げられます。生徒が東京大学の研究室を訪問したときに、土浦一高で哲学カフェを開催していただけるよう、名誉教授を口説き落としたこともあります。他にも、哲学カフェの研究・企画・運営を行う哲学対話モデル研究会や、哲学史勉強会、各種の読書会、哲学散歩、広報活動などに、チームで取り組んでいます。最近の動きとしては、哲学という言葉に敷居を感じる人にも対話の文化を届けるために、心理班を発足させ、精神療法の一つであるオープンダイアローグ(開かれた対話)を活用した実践も始めています。 このように、土浦一高哲学部では、「対話」と「チーム制」に基づいて、フラットで対等な関係性が築かれています。 哲学部の挑戦 哲学部がまだ哲学班だった頃、2代目の班長を務めた女子生徒の言葉が印象に残っています。卒業を前にして残してくれた言葉です。 「哲学カフェで戦争を止めたい」 20世紀後半の哲学では、様々な哲学者や学派が異口同音に、言語や対話の重要性を主張していたように思います。それらの動きに先駆けて、アメリカの哲学者でプラグマティズム(実用主義)の創始者チャールズ・サンダース・パースは、次のように述べています。 「私たちは純粋な概念を語ることから始めてはならない。それはまるで誰も住んでいない公道をさまよい歩くようなあてのない考えだ。そうではなく、人々とその会話とともに始めなければならない」(CP8.112) 相対主義と分断の時代にあって、対話を通した哲学、哲学を共創する対話が生み出す関係性は、共同体の新たな形の一つを示唆しているように思います(*脚注)。学校内外での哲学カフェの実践は、そのような新たな共同体の芽を育てていく挑戦でもあると、土浦一高哲学部は考えています。 コラム連載にあたって これからご覧いただくコラムは、哲学部員の中から手を挙げた生徒たちによるものです。「対話を通した共同執筆」という理念の下にチームを立ち上げ、先ず、生徒が選んだテーマについて、それぞれ30分くらいの哲学カフェ、次に、生徒が書いた第1稿について、やはりそれぞれ30分くらいの編集カフェを行いました。その後は、生徒が自身の内的な声と対話しながら完成させました。 生徒の文章を読むと、世界の根源などといった形而上学的なテーマは見受けられず、日常生活に密着した問いが中心となっています。その分、想定した以上に、生徒それぞれにとって切実なテーマが取り上げられているように思います。また、哲学カフェや編集カフェで交わされた対話や出された意見を誠実に受け止めて、文章に反映させようとしていました。それ故に、産みの苦しみを味わった生徒も多かったようですが、その過程で、自分の問いに進展があった、答えが見えた、という言葉を生徒から聞けたときは、このコラムのお誘いを引き受けてよかったと思えました。 哲学史の知識や文献研究の点では物足りなさを感じる方もいらっしゃると思いますが、「タイパ」(タイムパフォーマンス=時間対効果)重視という表面的な若者像、「Z世代」というステレオタイプとは異なった、リアルな若者の姿を発見できるでしょう。現代の高校生たちが、いかに誠実に世界と向き合い、いかに真剣に思索しているか。放課後の教室で、夕日を浴びる街中で、哲学を語り合う高校生たちのエッセイ集を、ぜひお楽しみください。『放課後の哲学』、スタートします。 *脚注筆者は、顧問として、生徒との哲学カフェの体験を積み重ねる中で、生徒がこれほどまでに哲学カフェに熱中するのはなぜなのか、問い続けてきました。その結果として実感したのは、次の2点です。一つは、哲学について:哲学とは、たとえ高度に専門的なものであっても、内的/外的な対話によって制作されるものであるということ。よって、哲学カフェは初歩的なお遊びどころか、哲学本来の姿を具現しているということ。そして、哲学カフェという場所では、対面することによって、参加者に共有できる現実が生み出され、その現実との対話から出された結論は、アドホック(その場限りの)でありながらも普遍性を確保しうるということ。もう一つは、対話について:哲学が共同の制作物であると前提することで、哲学カフェに必要なルールが決まってくるということ。そのような哲学カフェのルールとは、対話を成立させるためのものに他ならないということ。そして、対話の中で、参加者それぞれの経験や気づき、アイディアが、哲学の共同制作に寄与していると実感できることで、他者や自己の価値に気づき、お互いを尊重し合うような関係性が発展するということ。筆者の実感と近いものとして、精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点「べてるの家」に対する野口裕二氏の考察が挙げられるでしょう。「 〔べてるの家では〕上下関係が生まれる心配はないのか。結論からいえば、その心配はない。その理由のひとつは、当事者研究が共同研究という形をとっているからである。誰かひとりのアイディアではなく、みんなで作り上げたアイディアとなるので上下関係と結び付きにくい。もう一つの理由は、そこで出てきたアイディアが有効かどうかは実際の行動によって検証されるからである。」(野口裕二「継承すべき系譜②―自助グループ」(臨床心理学増刊第10号 当事者研究と専門知)2018:松本卓也『斜め論』2025よりまた引き)当事者研究と哲学カフェは、共同の表現の制作が対等な関係性につながる点、当事者または参加者に共有される現実が検証や普遍性の根拠とされる点で、共通していると考えられます。同じように対話を重視しても、声の複数性(ポリフォニー)の確保そのものが水平性につながる点を強調するオープンダイアローグとは対照的です。

阿見町、2027年の市制移行ならず《文京町便り》50

【コラム・原田博夫】2027年11月に市制移行を予定していた阿見町は、3月11日、市への移行を見送ると発表した。昨年10月の第22回国勢調査(簡易)の結果、総人口が4万9689人(速報値)となり、市制移行要件の5万人を下回ったためである。 阿見町は、2023年11月の常住人口(直近=この場合は20年=の国勢調査人口を基準に、毎月の住民基本台帳の増減により集計)が5万人を超えたことで、25年10月の第22回国勢調査で5万人達成は可能と見て、市制施行への準備を進めてきた。25年10月1日現在の常住人口も5万637人だった。 しかし、2026年2月27日、第22回国勢調査の結果(速報値)が通知され、要件を下回ったことが判明した。阿見町としては、市制移行を前提に、26年度当初予算に関連費約1590万円を計上していたが、これを減額修正することになった。国勢調査の結果によるとはいえ、関係者の落胆ぶりがうかがえる。 国勢調査の歴史と特徴 そもそも国勢調査(センサス)は、公的統計の中でも基幹統計と位置付けられ、統計法第61条で、回答拒否や虚偽報告に対しては罰金50万円以下の罰則が規定されている。 歴史的には、1902(明治35)年に制定された「国勢調査ニ関スル法律」にさかのぼるも、当初予定された調査(1905=明治38=年)は日露戦争で、さらに第1次世界大戦(1914~18年)などで実施が延期され、第1回調査は1920(大正9)年まで実施がずれ込んだ。 現状では、①住民を対象に調査が実際に行われ、住民基本台帳など他資料を集計した業務統計は含めない②ある地域に住む人全員を対象にする③調査票を用いて対象の住民が自ら回答する④調査時点(10月1日)を定め、規則的に(西暦が0年では大規模調査、5年では簡易調査)に実施される―などの特徴がある。 社会構造が変化⇒調査手法を刷新? 国勢調査の回収率は、国民性のためか、かつては非常に高かった。しかし、近年は低下していて、特に大都市部では顕著である。 期間内に調査票の回収が困難な場合は、近隣住民からの情報を基に自治体が住民票のデータで補う「聞き取り調査」を行うが、この調査の世帯割合は、2000年調査では全国4.4%(うち東京都5.9%)、05年4.4%、15年13.1%、20年16.3%に急増している。その背景には、大都市部を中心にした高層・大型マンションのオートロックシステムや不在世帯の増加、地方圏では空き家の増加など、社会構造の変化が関連している。 かつては有効だった全数調査も、DX化や社会関係の希薄化が顕著な現代では、その限界が顕在化している。新たな調査手法が求められているのかもしれない。(専修大学名誉教授)