日曜日, 3月 29, 2026
ホームつくば車いすから見た世界を描くライター、川端舞さん

車いすから見た世界を描くライター、川端舞さん

「障害者として堂々と生きていきたい」

そう話すのは、重度障害のあるライター、川端舞さん(29)だ。NEWSつくばでコラム「電動車いすから見た景色」を連載、市民記者としても活動し1年が経った。介助者のサポートを得て営む一人暮らしは11年目を迎えた。ありのままの自身の経験や日々の出来事を発信し、障害について考えるきっかけを読者に投げかける。

言語に障害があっても話していい

言語障害のある人は、「(自分は)話さないほうがいい」と思ってしまうことがあるという。自身も言語に障害のある川端さんは、積極的に発言することで、誰もが気楽に話せる社会を作ろうとする。

原稿執筆のため資料をあたる

川端さんは生まれつき脳性まひによる障害があり生活に車いすが欠かせない。手足とともに口の筋肉や舌がうまく動かないことから、思うように発音することが難しい。会話によるコミュニケーションへの悩みを、以前は書くことで補っていた。荷物を出しに行く郵便局や買い物先の商店で、緊張する胸の内を隠しつつ、必要なことを書いた紙を相手に差し出した。話を聞いてもらえないのではないかと心配する言語障害のある人は多いという。だから川端さんは「会話」にこだわる。

「初めから聞き取れないと諦められることが一番辛いです。私が話しているのに、介助者と話し始めてしまう人もいます。『話してるのは私なのに』って思いますよね。聞き取れなければ、気を使わずに何度でも聞き返してもらえたらうれしいです」

朝、介助者と自宅を出る準備をする

群馬でがんばってきた

群馬県出身の川端さんは、周囲のサポートを受けつつ地元の普通学校に通った。教室に障害のある生徒は川端さんだけだった。重い障害のある多くの子どもは特別支援学校や特別支援学級に通学し、一般生徒と分けられるからだ。

「周りに迷惑をかけてはいけない」「友達に手伝ってもらってはいけない」と学校で教師に言われていた。川端さんの言葉を聞いてくれない教師もいた。周りに迷惑をかけたくないから「言語障害のある自分は話しちゃいけない」と思ったし、「障害者は勉強ができないと見捨てられ、普通学校に通えなくなる」と本気で思っていた。

歩行器を使う小学生の川端さん。「頑張っていた時代です」と振り返る

一生懸命勉強し、筑波大学に進学した。筑波大は障害のある学生へのサポートが整うことから母親も勧めていた。進学を機に大学宿舎で一人暮らしを始めた。福祉事業所から派遣される介助者が家事をサポートし、大学では学生同士が支援し合う制度を利用した。ただ、人の手を借りるのが嫌だったから、大学の制度は使わなくなった。「自分のことは自分でやらなければいけない」という考えが、川端さんを縛っていた。

「障害のためにできないことがあるから学習で補わないと、どの会社にも雇ってもらえず、お金も稼げない。つまり社会で生きていけない」と思っていた。大学卒業後は大学院に進学し同大で勉強を続けた。

大学院時代、半年休学してアメリカへ留学した。部屋には友人から送られた色紙が飾られている

つくばで出会った自立生活

「なんで一人で食べてんの? そんなの迷惑だからやめろよ」

衝撃的な一言だった。川端さんが現在メンバーとして活動するつくば市の「自立生活センターほにゃら」を大学院時代に訪ねて食事について話した時、重度障害のあるほにゃらメンバーから投げかけられた言葉だ。自立生活センターとは、障害者の生活を支援する当事者団体で、障害者が運営の中心を担う。

自立生活センターほにゃらの事務所

それまで川端さんは、スムーズではない自分の手を使い食事をとっていた。時間がかかっても、自分のことは自分でやるべきだと考えていたからだ。だがここでは「できないことは自分でしなくていい」というのだ。大事なことは、自分で行動を決めること。それを介助者に伝えて代わりにやってもらえば、障害者が自分でしたことと変わらない。それが「自立生活」なのだという。そして、こうも言う。

「川端さんが自分で食事をとることで、他の障害者もできないことを自力で無理してやる状況が続いてしまうでしょ?」

真逆の価値観だった。

食事介助によって周囲と会話する余裕ができた

ほにゃらのメンバーとなった川端さんは、「どんな障害があっても、自分らしく暮らせる社会」をつくる活動に関わり、自立生活する大勢の重度障害者と出会った。健常者の中で生きてきた川端さんにとって、初めてのことだった。

知的障害のある人との出会いは、群馬時代の同級生を思い起こさせた。同級生は特別支援学級に通学していた。普通学級の川端さんは当時「勉強できる自分は、彼(彼女)とは違う」と差別していた。「私は授業についていけないと見捨てられる。見下される側になるという恐怖感を抱いていました」と当時を振り返る。

普通学級に通っていた高校のクラスメイトとの思い出

多様な障害のある人々と出会い「学校の勉強だけがすべてではない」と気付いた。そして、「苦手なことは周囲に手伝ってもらえれば、どんな障害があっても社会で生きていける」と思い至ると、自分の心を縛っていた恐怖感から解放された。

障害当事者として活動に力を注ぐため、大学院は退学した。同じ教室に障害のある子どもとない子どもが一緒にいられる環境こそが、全ての子どもが無条件に「ここにいていい」と安心できる場所だと考える。そんな社会が当たり前の社会にしたいと思い活動を続けている。

大学院を辞めたときに送られた「退学証書」

自分もお金が稼げると自信がついた

昨年10月、川端さんの取材に立ち会った。その日は車いすに乗る障害者やその支援者ら約40人がつくば市内をデモパレードし思いを訴えた。パレードが終わり、川端さんが参加者にインタビューする。ゆっくり丁寧に質問を投げかけ返ってくる言葉を介助者がノートに書き取っていた。伝わりにくい言葉を介助者が「通訳」することもあったが、川端さんが自分の言葉で対話するのが基本だ。記事は自分でパソコンに打ち込むこともあれば、介助者が代筆することもある。こうして書いた記事は、翌朝にNEWSつくばのサイトで公開された=2020年10月1日付

パレード参加者にインタビューする川端さん

記事を書くことで、川端さんの手元に原稿料が入る。ライター業は川端さんにとって、定期的な報酬を得る初めての仕事だ。「仕事を評価してもらうのがうれしいし、自分もお金が稼げると自信がついた」と話す。だが、働き稼ぐという当たり前の営みは、重度障害者にとって簡単なことではない。介助制度の問題が立ちはだかるのだ。

つくば市内にて

川端さんのような重度障害のある人が社会活動を送るには、介助者の存在がかかせない。だが、現在の公的介助派遣制度は、その利用を就業中は認めていない。だから川端さんは取材中、1時間1200円の介助費を自費で介助者に支払っている。極端な話、お金がなければ働くことができないのだ。現在の制度は、重度障害者から働く機会を奪うという、極めて大きな問題をはらんでいる。

昨年、国は市町村の裁量で就業時の介助者派遣を認めた。だが、さいたま市のように実施する自治体はあるものの、全国的にはほとんどない。ほにゃらはつくば市に実施を呼びかけるとともに、経過モニタリングしている。

自宅で原稿を執筆する

コロナ禍でも自分らしく生きる

川端さんの生活に周囲のサポートは欠かせない。人と人が触れ合うことが感染拡大につながる新型コロナウィルスは、生活の根底を揺るがした。感染は自身の健康にも大きな影響する。

「実家に帰るべきだろうか?」

不安とともに、そんな思いが湧いてきた。だが、こう思い直した。

「いや私にはここで築いた生活がある」

「私にはここで築いた生活がある」

つくばに来て11年がたつ。群馬の両親も年齢を重ね体力が落ちた。実家で両親の介助を受けるのは心配だ。そして何より、親元を離れて来たつくばには、友人や地域の人と送る生活と仕事がある。それは自分が周囲と関わり築いてきた、代わりの効かない居場所なのだ。

「住み慣れた街で、いつも通りの生活をしたいと思っています」

コロナ禍にあって川端さんは、そう話す。

そして、ライターとしてこれから伝えていきたいことをこう話す。

川端さんの自宅にて

「障害者が特別な人じゃなくて、普通の人なんだって思ってくれたらいいなと思ってます。テレビで取り上げられる『頑張っている障害者』ばかりじゃない。私たちも普通の人なんだっていうことを伝えたいと思っています」 (柴田大輔)

➡川端舞さんの記事とコラムはこちら

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

アストロプラネッツ、茨城ダービーでゴールデンゴールズに勝利

プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの開幕を前に、茨城アストロプラネッツ(AP)は28日、笠間市箱田の笠間市民球場で、社会人クラブチームの茨城ゴールデンゴールズ(GG)とオープン戦を行い12-2で勝利した。茨城APの今季開幕戦は4月5日エイジェックスタジアム(栃木県宇都宮市)で、ホーム開幕戦は翌6日ノーブルホームスタジアム水戸(水戸市見川町)で行われ、対戦相手は2戦とも栃木ゴールデンブレーブスになる。 【2026シーズンオープン戦】茨城アストロプラネッツ-茨城ゴールデンゴールズ(3月28日、笠間市民球場)茨城GG 000001010 2茨城AP 30021123X 12 茨城APは先発投手の川平真也が5回を投げ被安打1、6奪三振、1四球と試合をつくった。攻撃では初回に5安打を固めて3点を先制。4回以降も得点を重ね、救援投手を打ち崩した。 初回に右前打で先制点を挙げた木村泰賀は下妻市出身、常磐大高では31本塁打を挙げた強打者だ。仙台大を卒業し今季、茨城APに加入。高校ではサード、大学ではレフトを守ったが、今年はセカンドにも挑戦中だ。「プロに行くなら内野で勝負しようと考えた。特にセカンドは守備範囲も広く、一つ一つの打球に他のポジションの選手と連携して動かなくてはいけない」と、守備を鍛え直している最中だという。 「今季は新たに18選手が加入し、レギュラーも去年から6人が入れ替わった。サインプレーやフォーメーションなどは一からつくり直しの部分もあるが、八木健史ヘッドコーチの加入や北原翔捕手の兼任コーチ就任でスタッフが充実し、よりスムーズな指導ができている」と話すのは巽慎吾投手兼任監督。「能力ある選手たちがそろい、実力を発揮してリーグ優勝を目指すとともに、昨年はゼロだったドラフト指名にも選手を送り込みたい。一人でも多く上のステージへ上がれるよう全力でサポートする」と意気込む。 注目選手の一人が捕手の草場悠。大阪の名門・履正社高の出身で、50メートル走5.9秒、遠投100メートルなど肩と足にストロングポイントを持つ選手だ。今季は打率3割、10本塁打、30盗塁を目標とし、主将にも就任した。「2年目なので気持ちも新たにチームを引っ張ってくれというメッセージだと受け止めている。年の近い選手も多いので楽しくやらせてもらっている」と話す。 それぞれの日本一目指す 茨城APと茨城GGの対戦は今回初めて実現した。スタッフや選手同士の交流は以前からあり、機会をうかがっていたという。「個々のレベルの違いはあるが、いま持っている実力を出すことができた。ぜひまた再戦したい」と茨城GGの樋口亮介・助監督。「どこへ行っても茨城と言うと欽ちゃん球団(茨城GGの初代監督はタレントの萩本欽一さん)の名が上がる。その知名度はすごい。うちも頑張らなくては」と巽監督。「ここ数年は全国大会を逃してきたが、今年こそ力をつけて全国へ行き、カテゴリーは違ってもプラネッツと一緒に茨城の野球を盛り上げていきたい」と樋口助監督は返す。なお、茨城GGは今年チーム創設20周年を迎え、去年からは女子チームも活動を始め、躍進が期待される。(池田充雄)

徳を積むことに意味はあるのか《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》6

【コラム・2年 M.T】例えば今、道端にペットボトルのごみが捨ててあるとします。そのとき、あなたはどうするでしょうか。 それを見過ごす場合、多くの人は罪悪感を抱くでしょう。しかし、ごみを拾ってごみ箱に捨てたとしても、私たちには何か直接的な利益が返ってくるのでしょうか。罪悪感を抱かなくて済むということはありますが、わざわざごみを拾い、ごみ箱を探して捨てるという手間が増えるだけのように感じます。それならば、罪悪感など気にせずごみを無視した方が自分のためになるような気がします。ですが、ここである葛藤が生まれます。それは人道的に、倫理的に正しいことなのだろうか、と。自分は人として正しい行いをしているのだろうか、と。 善い人で在りたかった私 私は中学生ぐらいの時、善い人でありたいと漠然と思いながら、善い人になるために、他の人が嫌だと思っていること、自分もあまりやりたくないことをやるように努めていました。友達と何か一つのもので取り合いが生じている時、自分から身を引いたり、あまり人気のない係や当番を引き受けたりしました。また、落とし物を届けたり、場所をきれいに使うように心掛けたり、ルールをきちんと守ったり、善いと思うようなことはできるだけしていました。自分でも、なぜ善い人になりたいのかわかりませんでした。ただ、私は人として、善い人であるべきなんだという一種の強迫観念を抱いていたのです。そして、こんなふうに日々を過ごしているうちに、私はだんだんと疲れを感じるようになりました。いくら善いことをしても、何も起こらない。私はただ自分の感情を無視して、自分を犠牲にしているだけだと思いました。 このように思ってから私は、善い人になるということについて考え始めました。善い行いをすること、すなわち、徳を積むことに意味はあるのだろうか。私がこのコラムに参加したのは、この疑問を解決したいと思ったのが主な理由です。 徳を積むとは? 徳を積むという言葉は普段の生活ではあまり馴染みがなく、古い言葉に聞こえるかもしれません。ただ、私が善い人になろうとして行なってきたことには、徳を積むという言葉がぴったりだと感じています。 「徳」という言葉には、様々な意味があると思います。以前の私の経験に沿えば、「徳」とはまず、他人がしてほしいことをしようとする態度を指すように思います。このことからすれば、徳を積むとは、他人がしてほしいと思っている行動、すなわち善行を積み重ねることだといえるでしょう。ですが、徳を積むことは他者のためだけではなく、自分の人格を正すためにも行われるように思います。そこで、徳を積むということを私は、「他者がしてほしいと思える善行を積み重ね、それによって自分の人格を正すこと」と定義づけたいと思います。  では、「徳を積むことは自分を善い人に変えてくれるのか?」という疑問を解決するために、まずは徳を積むことのメリットを考えていきましょう。先ほど私は徳を積むということを、他の人がしてほしいことを行うことで、自分の人格を正すことだと定義しました。であれば当然、徳を積めば他の人からの評価とともに、自己評価が上がると考えられます。 次に、徳を積むことのデメリットを考えてみましょう。徳を積むとは、時には我慢をするということでもあります。自分ではやりたくないと思っていることでも他の人のためになったり、自己評価を高めたりすることにつながるのであれば、やるしかないからです。よって、自己犠牲が求められるということが考えられます。そして、人のために行動するあまりに他の人から仕事や責任を押し付けられるなど、他人に利用されやすくなるということもあります。善い人ではなく、(都合の)良い人と見なされてしまうのです。 以上を整理すると、以前の私は、徳を積むことには自分を犠牲にする側面と、自分の評価を上げる側面があると考えていたように思います。 善い行いをしたのに苦しいのはなぜ? ここで重要になるのは、自己犠牲と自分の評価を得ることのバランスです。私が善い人になろうと行動をとって疲れを感じていた理由はここにあります。 善い行いをしたはずなのに自分が苦しいのは、自分が犠牲になったことで感じる痛みや、本当はもっと自分の好きなように振る舞いたいといった思いに比べて、自分の人格を正すことができているという実感が少なかったからです。これに気づいた時、自己犠牲は、自分の善い人格を形成することにはつながらないと思いました。善い人になりたいと思って行動していた時の私は、本当はつらい自分の思いにふたをして、自分の人格を根本から変えるわけではなく、善い人であるという見せかけの人格を、現状の人格に上塗りしているだけだったのです。これでは、ただの偽善でしょう。 それからというもの、私はあえて善い人になるということをしなくなりました。このまま善いことを続けていても、自分を壊すだけだと思ったからです。そしてその代わりに、自分を大切にすることを始めました。自分の思いに耳を傾ける、自分の意思を伝える、自分の思うように行動をする。それをするだけで、心は驚くほど軽くなりました。ただ、このような振る舞いをしたことで、他の人と対立したり、他の人が我慢をしなければならない状況になったりすることが、もちろんあります。自分も優先したい、でも相手が犠牲になる。そんな歯がゆい状況には誰もが陥ったことがあるでしょう。しかし、このような状況に真正面から立ち向かうことで、徳につながるあるものを得ることがあります。相手が犠牲になってしまったこと、それを踏まえて、自分は相手にそれをどう埋め合わせることができるのか。そのような互酬性から自分の心に「相手に何かしてあげたい」ということを考える余裕ができる。そしてそこから、恩を受けた相手だけでなく、それ以外の人のためにも見返りを求めずに、相手のためになることをしたいんだという単純な利他への要求が生まれるようになる。私が思うに、これこそが真の〈徳〉(*脚注)なのです。 自分を大切にする 「徳」を積めば善い人になれるのか。「徳」を積めば、確かに周りからの評価は上がるし、自分は誠実に生きているということを実感できます。しかし、私はそれ以前に、まずは自分を大切にすることが大事なのだと思います。他者のために何かをしようとするあまり自分を無理やり犠牲にすること、それはただ善い人であろうと義務感を抱いているだけであり、偽善をしていることと同じです。こんなものは本当の意味で〈徳〉を積んでいるとはいえないでしょう。人のために善い行いをすることは、相手に何かしてあげたいということを考える余裕、すなわち、心の余白をつくることから始まります。私の場合は、自分を大切にすること、そして他の人から受けた恩を感じることから始まりましたが、心の余白を作る入り口は、それ以外にもたくさんあるでしょう。その心の余白を使うことで、自然と、心から、この行動をとりたいと思えるようになるのです。これこそが、真の〈徳〉なのではないでしょうか。真の〈徳〉は、他者のためにもなるし、自分の成長にもつなげることができるはずです。そこに、自己犠牲は存在しません。 私が思うに、徳を積むことに意味なんてものは存在しないのではないか、と思います。なぜなら、〈徳〉とは自発的な利他心であり、人間の欲求そのものだからです。〈徳〉は積むものではなく、積まれていくものです。 この文章を読んで、みなさんは徳についてどう考えたでしょうか。ぜひ、みなさんも自分なりの真の〈徳〉を見つけてみてください。 *脚注 このコラムでは、以前の私が考えていた徳を「徳」、現在の私が考える真の徳を<徳>と表記して、区別しました。

塗装完了、ライトアップ再開 つくばエキスポセンター H2ロケット

40周年、エメラルドグリーンに つくば駅近くの科学館、つくばエキスポセンター(同市吾妻)のシンボルであるH2ロケット実物大模型の全面塗装工事が25日完了し、約4カ月間の工事を経て、一新された姿が披露された。同日夜にはライトアップも再開され、エメラルドグリーンの光が高さ約50メートルのロケットを照らし出した(25年12月11日付)。 今回の全面塗装は2014年以来、11年ぶり。昨年11月25日から足場の組み立て作業が始まった。1990年に同所にH2ロケット模型が設置されて以来、おおむね10年ごとに、基部から先端部分まで全面的に塗り替えが行われてきた。 ライトアップは工事完了に伴い、25日夜から再開された。今年エキスポセンターは、1986年4月の開館から40周年を迎えることから、ライトの色を、ロゴや看板、横断幕などに使用される40周年記念イメージカラーのエメラルドグリーンとした。これまでも、乳がん啓発月間にはピンク、世界糖尿病デーには青など、イベントに合わせてテーマカラーに変えながら常時、ライトアップを行ってきた。 館内では40周年を記念して、来場者用の記念スタンプや、館内限定で利用できる特設オンラインフォトフレームなどが用意されている。 今回の塗り替えについて、エキスポセンターの中原徹館長は「つくばエキスポセンターのH2ロケットの再塗装が無事終了した。つくばのランドマークであるロケットをきれいな姿で皆様に披露できることをうれしく思っている。是非、新品のようになったロケットを見にきていただけたら」と語った。 エキスポセンターは、1985年に開かれた「科学万博つくば’ 85」の第2会場として建てられ、万博閉幕翌年の1986年に科学館として再オープンした。当時、世界最大だったプラネタリウムをはじめ、万博関連資料が展示されているほか、最先端の科学技術をわかりやすく紹介している。 今回、お色直しされるH2ロケットの模型は、初の純国産大型ロケットとして1994年に1号機が打ち上げられた「H2」を模したもので、1989年の横浜博覧会で展示された模型を1990年6月にエキスポセンター屋外展示場に移設した。(柴田大輔)

J:COM茨城が「JCOMマーケティング茨城支社」に 4月から

茨城県南を中心に事業展開するJ:COM茨城(登記名は土浦ケーブルテレビ、本社土浦市真鍋)の名称が4月から「JCOMマーケティング茨城支社」に変わる。親会社JCOM(本社東京千代田区)のグループ組織再編に伴うもので、J:COM茨城は存続会社ジェイコム東京(4月からJCOMマーケティング)の地方部門になる。サービス内容は変わらないという。 土浦ケーブルテレビは1983年、土浦市や地元有力者の出資で設立された。元々は有線によるテレビ番組を提供する会社だったが、現在では、通信ケーブルや光ファイバーケーブルを使い、多チャンネルテレビ、インターネット接続、固定電話サービスのほか、ネット防犯カメラ、太陽光発電パネル設置なども扱う会社になった。 事業拡大の過程で、住友商事が出資するJCOMの傘下に入ったが、登記上の社名は「土浦ケーブルテレビ」を維持してきた。ところが親会社のJCOM(現在はKDDIも折半出資)が大規模な組織再編を実施。全国展開するケーブルテレビ子会社9社のうち、ジェイコム東京が存続会社になり、J:COM茨城など残り8社を吸収合併することになった。 県央にも進出へ J:COM茨城の海老澤孝一社長(4月から支社長)は再編の利点について ①契約者が東京などに引っ越した場合、そのエリアに支社(3月までは系列会社)があれば契約が社内の手続きで済むので、契約者には便利になる ②現在のサービス地域を広げる場合、同じ社内の人事で要員確保が可能になるので、スムーズに事業展開ができる―などを挙げた。 J:COM茨城の現サービ地域は、かすみがうら、つくばみらい、つくば市の一部(茎崎地域など)、阿見町、美浦村、牛久、取手、守谷、常総、石岡、土浦市、利根町、龍ケ崎市。2月末の加入世帯は、ケーブルテレビ5万3000件、インターネット5万900件、固定電話4万5400件、モバイル8638件。 同社は「茨城はケーブル事業者が少なく、県庁所在地に事業者がない唯一の県。すでに事業者が存在する日立、県西、つくばの各エリアには出ないが、今後、県央、県北、鹿行には、他社ケーブルを借りる形で出て行く」(海老澤氏)と話す。特に水戸エリアを重視している。(坂本栄)