金曜日, 4月 26, 2024
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フェミニズム・LGBTQ・障害者を扱うブックカフェ つくばに開店

安心してつながる場所を目指して ブックカフェ「本と喫茶 サッフォー」が今年6月、つくば市天久保にオープンした。性差別からの解放を目指す「フェミニズム」、LGBTQなどの性的マイノリティを含む「ジェンダー」、障害者などをめぐる社会課題を提起する「福祉」など、大型書店では見つけにくいジャンルを中心に、絵本から学術書まで幅広く扱う。店主の山田亜紀子さん(49)は多様な人が安心して繋がれる居場所を目指している。 居場所が奪われている 山田さんは6年前まで、都内の書店で女性向けの書籍を扱うフロアの店員をしていたが、フェミニズムの本はなかなか売れなかった。「良い本はたくさんあるのに残念」と感じ、2017年に出版社「現代書館」(東京都千代田区)に編集者として転職。多くの人が親しめるよう、フェミニズム入門雑誌『シモーヌ』をつくってきた。 転職した頃から、性被害の経験をSNS等に投稿する「#MeToo」運動が世界中に広がった影響で、フェミニズムも注目されるようになった。一方で、運動に反発する動きも強くなり、それまでマイノリティと呼ばれる人たちにとって安心してつながれる場だったSNS上の空間が危険にさらされるのを目の当たりにした。「本を作ることも大事だけど、安心できる居場所をつくりたい」と思い、50歳になる今年、出版社を辞め、生まれ育ったつくばで、ブックカフェを出すことを決意した。 街中に小さい本屋がたくさんある東京とは違い、車社会のつくばは、ショッピングセンター内の大型書店に足を運ぶ人が多いが、そこにもジェンダーやフェミニズムの本は少ない。ジェンダーに関心のある人を含め、多様な人が気軽に来られる場所にしたいと、筑波大学や小中学校、障害者の地域生活を支援する当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(川島映利奈代表)、障害者の就労を支援する多機能型事業所「千年一日珈琲焙煎所」(大坪茂人代表)などがある天久保地区に出店を決めた。 様々な人が安心してつながれる居場所にしたいとカフェも併設。1人で来店した人が、LGBTQ当事者であることを打ち明けてくれることもある。「おそらく安心して誰かとつながれる場所が少ないのだろうと思う。そのような居場所を守っていきたい」と山田さん。 マイノリティ同士が知り合う場に 昨年、現代書館で編集した『シモーヌVOL.7』では、「不良な子孫の出生の防止」を理由に、多くの障害者が強制的に不妊手術を受けさせられた旧優生保護法をめぐる、女性運動と障害者運動の葛藤を特集した。出産の強制に反対する女性運動と、胎児の障害を理由とした中絶に反対する障害者運動は、時に対立したが、女性だけに育児や介護を押しつける一方、障害者はあってはならないものとする社会を変えるべく、共闘してきた。 「強制的に不妊手術を受けた障害者らが全国各地で国を提訴しているが、そこでは女性団体と障害者団体が連帯して動いている。また、2006年に国連で障害者権利条約ができたときに、世界中から障害者が集まって打ち出したスローガン『我々ぬきに我々のことを決めるな』も、女性やLGBTQの運動に応用できるはず。それぞれに関心のある人たちが交流し、互いの運動を知ってもらえる場所にしたい」 トランスジェンダーたちを知って 現在、店内ではパネル展「トランスジェンダーのリアル」を開催中。トランスジェンダーの実際の姿を知ってもらうために、21年に当事者たちにより制作された無料冊子「トランスジェンダーのリアル」に載る当事者5人の写真とライフストーリーを展示したパネル展だ。同制作委員会によると、冊子は全国の自治体や学校で4万部配布された。パネル展も、自治体や大学など全国各地で開催されている。 「カフェに展示することで、普段関心のない人にも当事者の姿を見てもらえたら」という思いから、サッフォーでは、年内はパネル展示を続ける予定だ。(川端舞) ◆サッフォーはつくば市天久保1-15-11 アイアイビル104。問い合わせは電話029-811-9644。ホームページはこちら

敵対関係から、ともに闘う仲間へ《電動車いすから見た景色》46

【コラム・川端舞】今、女性団体と障害者団体の共闘の歴史を調べている。1972年、母体保護法の前身である優生保護法において、重度障害がある胎児の中絶を認める改正案が国会に上程された。だが、女性団体と障害者団体が反対し、法改正は阻止された。 女性の社会運動であるフェミニズムの歴史を解説した荻野美穂の「女のからだ―フェミニズム以降」(岩波新書)によると、当時の改正案には経済的理由による中絶の禁止も含まれ、当初、フェミニズムの運動に関わる女性たちは、「産む・産まないは女が決める」という「中絶の権利」を主張し、中絶の禁止に反対した。これに対し、障害者たちは「胎児に障害があれば、中絶するのか」と厳しく問うた。 昨年出版されたフェミニズム入門書「シモーヌVOL.7」(現代書館編集)では、当時、障害者団体側であった横田弘と、女性団体側であった志岐寿美栄が書いた文章を掘り起こし、女性と障害者が互いに葛藤を抱えながらも、共闘関係になっていく過程を特集している。 「胎児の障害の有無により、中絶するかを決めるのは、今生きている障害者をも否定する」「障害児を産んだだけで、女性は社会から冷たい目を向けられ、我が子を殺してしまうまで追い詰められる」という血を吐くような両者の葛藤の末、実は互いを苦しめているのは今の社会構造だと思い至り、社会を変えるべく共闘していった。その結果、優生保護法の改正は阻止されたのだった。 マイノリティを苦しめる正体 現在、母体保護法では、胎児の障害を直接的な理由とする中絶は認められていないが、出生前診断で障害があると判定された胎児の多くは、「身体的理由又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある」として中絶されている。 障害児として生まれた私は、どうしても障害のある胎児に感情移入し、中絶する女性に敵意を向けてしまいたくなる。しかし、障害児者はいないことを前提に多くの建物や制度が作られ、健常児の育児さえ、女性だけに負担を強いる社会を考えると、苦悩の末に障害のある胎児を中絶する女性だけを責めることはできない。 「障害児の誕生は避けるべき」「育児は女性がやるべき」という圧力で、女性の社会進出や障害者の生きる価値を否定し続ける社会を変えていきたい。この社会は多数派が都合のよいように作られている。現在もマイノリティ集団同士が敵対してしまっている現象が至る所で起きているが、彼らに生きづらさを押しつけているのは誰なのか、冷静に考えたい。(障害当事者)

敵対関係から、ともに闘う仲間へ 《電動車いすから見た景色》46

【コラム・川端舞】今、女性団体と障害者団体の共闘の歴史を調べている。1972年、母体保護法の前身である優生保護法において、重度障害がある胎児の中絶を認める改正案が国会に上程された。だが、女性団体と障害者団体が反対し、法改正は阻止された。 女性の社会運動であるフェミニズムの歴史を解説した荻野美穂の「女のからだ―フェミニズム以降」(岩波新書)によると、当時の改正案には経済的理由による中絶の禁止も含まれ、当初、フェミニズムの運動に関わる女性たちは、「産む・産まないは女が決める」という「中絶の権利」を主張し、中絶の禁止に反対した。これに対し、障害者たちは「胎児に障害があれば、中絶するのか」と厳しく問うた。 昨年出版されたフェミニズム入門書「シモーヌVOL.7」(現代書館編集)では、当時、障害者団体側であった横田弘と、女性団体側であった志岐寿美栄が書いた文章を掘り起こし、女性と障害者が互いに葛藤を抱えながらも、共闘関係になっていく過程を特集している。 「胎児の障害の有無により、中絶するかを決めるのは、今生きている障害者をも否定する」「障害児を産んだだけで、女性は社会から冷たい目を向けられ、我が子を殺してしまうまで追い詰められる」という血を吐くような両者の葛藤の末、実は互いを苦しめているのは今の社会構造だと思い至り、社会を変えるべく共闘していった。その結果、優生保護法の改正は阻止されたのだった。 マイノリティを苦しめる正体 現在、母体保護法では、胎児の障害を直接的な理由とする中絶は認められていないが、出生前診断で障害があると判定された胎児の多くは、「身体的理由又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある」として中絶されている。 障害児として生まれた私は、どうしても障害のある胎児に感情移入し、中絶する女性に敵意を向けてしまいたくなる。しかし、障害児者はいないことを前提に多くの建物や制度が作られ、健常児の育児さえ、女性だけに負担を強いる社会を考えると、苦悩の末に障害のある胎児を中絶する女性だけを責めることはできない。 「障害児の誕生は避けるべき」「育児は女性がやるべき」という圧力で、女性の社会進出や障害者の生きる価値を否定し続ける社会を変えていきたい。この社会は多数派が都合のよいように作られている。現在もマイノリティ集団同士が敵対してしまっている現象が至る所で起きているが、彼らに生きづらさを押しつけているのは誰なのか、冷静に考えたい。(障害当事者)

トランスジェンダーの友人と語る教育《電動車いすから見た景色》45

【コラム・川端舞】来月、あるイベントで、高校時代の友人と対談する。友人は、出生時に割り当てられた性は女性だが、男性として生きるトランスジェンダー男性だ。高校卒業後10年以上たってから再会し、互いの子ども時代を語り合う中で、今の学校で障害児やLGBTQの子どもたちが過ごしづらいのは、多様な子どもたちがいることを前提に学校がつくられていないからではと感じた。 障害者とトランスジェンダーが教育について一緒に話すことで、今の学校が抱える根本的問題が見えてくるのではと思い、今回のイベントを企画した。 公の場で友人と話すのなら、トランスジェンダーに対する基礎知識は持っておきたいと、書籍を複数購入した。一言に「トランスジェンダー」と言っても、当然、全く同じ人間は存在しないし、差別をより受けやすいトランスジェンダー女性の経験は、トランスジェンダー男性とはまた違う部分もあるはずだから、過度な一般化はせずに、できるだけ冷静に読んでいきたいと思う。 しかし、読み進めるうちに、「この部分は、友人はどうなのだろう」と、無意識に友人との対比で考えてしまう。そんな自分に気づき、苦笑する。子どもの頃、同じ学校に運動障害のある子どもは自分1人だけという環境で育ち、周囲から「理想の障害児」像を押しつけられることに辟易(へいえき)していたのに、同じことを友人にやっているのではないか。 互いのしんどさを同じ俎上に載せる 一方、私にとって一番身近なトランスジェンダーは友人だ。実際のトランスジェンダーが生きているのは、本やテレビの中ではなく、私たちが暮らす現実世界だ。友人が普段、身近で経験する差別について知り、そんな社会を一緒に変えていきたいから、差別を生み出す社会構造について本で勉強する。これは間違ったことではないのかもしれない。 トランスジェンダーは人口の0.7パーセントほどしかおらず、出会ったことがないと思っている人も多いだろう。しかし、全校生徒300人の学校なら2人はトランスジェンダーの生徒がいる計算だ。男女に分けるのが当然とされる学校で、見えなくさせられているだけだ。かつて、重度障害児として普通学校で育った私が、障害児がいない前提で進められる授業の中で、必死に自分という存在を消していたように。 もちろん、友人はトランスジェンダーの代表でなければ、私は障害者の代表でもない。ただ、子ども時代に互いが感じていたしんどさを同じ俎上(そじょう)に載せることで、今の学校にある課題が見えてくるはずだ。(障害当事者)

トランスジェンダーの友人と語る教育《電動車いすから見た景色》45

【コラム・川端舞】来月、あるイベントで、高校時代の友人と対談する。友人は、出生時に割り当てられた性は女性だが、男性として生きるトランスジェンダー男性だ。高校卒業後10年以上たってから再会し、互いの子ども時代を語り合う中で、今の学校で障害児やLGBTQの子どもたちが過ごしづらいのは、多様な子どもたちがいることを前提に学校がつくられていないからではと感じた。 障害者とトランスジェンダーが教育について一緒に話すことで、今の学校が抱える根本的問題が見えてくるのではと思い、今回のイベントを企画した。 公の場で友人と話すのなら、トランスジェンダーに対する基礎知識は持っておきたいと、書籍を複数購入した。一言に「トランスジェンダー」と言っても、当然、全く同じ人間は存在しないし、差別をより受けやすいトランスジェンダー女性の経験は、トランスジェンダー男性とはまた違う部分もあるはずだから、過度な一般化はせずに、できるだけ冷静に読んでいきたいと思う。 しかし、読み進めるうちに、「この部分は、友人はどうなのだろう」と、無意識に友人との対比で考えてしまう。そんな自分に気づき、苦笑する。子どもの頃、同じ学校に運動障害のある子どもは自分1人だけという環境で育ち、周囲から「理想の障害児」像を押しつけられることに辟易(へいえき)していたのに、同じことを友人にやっているのではないか。 互いのしんどさを同じ俎上に載せる 一方、私にとって一番身近なトランスジェンダーは友人だ。実際のトランスジェンダーが生きているのは、本やテレビの中ではなく、私たちが暮らす現実世界だ。友人が普段、身近で経験する差別について知り、そんな社会を一緒に変えていきたいから、差別を生み出す社会構造について本で勉強する。これは間違ったことではないのかもしれない。 トランスジェンダーは人口の0.7パーセントほどしかおらず、出会ったことがないと思っている人も多いだろう。しかし、全校生徒300人の学校なら2人はトランスジェンダーの生徒がいる計算だ。男女に分けるのが当然とされる学校で、見えなくさせられているだけだ。かつて、重度障害児として普通学校で育った私が、障害児がいない前提で進められる授業の中で、必死に自分という存在を消していたように。 もちろん、友人はトランスジェンダーの代表でなければ、私は障害者の代表でもない。ただ、子ども時代に互いが感じていたしんどさを同じ俎上(そじょう)に載せることで、今の学校にある課題が見えてくるはずだ。(障害当事者)

障害者が遠隔操作するロボット接客 つくば市 就労可能性探る実証実験

つくば市で今月から、障害者が遠隔地で操作する分身ロボットによる接客などの実証実験が始まった。コーヒーファクトリー「スタートアップカフェ」(同市吾妻)では飲食物の配膳や来店者との会話を、市立中央図書館(同所)では絵本の読み聞かせを、全国各地の障害者や筑波大学に在籍する障害のある学生がロボットを通して行う。同市は昨年度、筑波大学の実証調査に協力する形で、同様の調査を約3週間実施したが、今回は5カ月間にわたり、障害のある市民などの就労可能性を検証する。 ロボットはオリィ研究所(東京・日本橋)の開発による「OriHime(オリヒメ)」。遠隔操作によって人の「分身」として働く。今回の実証実験では、体調などの面から週に数時間しか就労できない障害者数人が1台の分身ロボットを交代で操作する。 障害者雇用促進法は、事業主に障害者を一定数以上雇用する義務を課しているが、その対象は週20時間以上働ける障害者となっており、より短時間しか働けない重度障害者は雇用実績に換算されない。市科学技術戦略課の大垣博文課長補佐は、「ロボット1台の稼働時間を労働者1名の労働時間に読み替えることで、短時間労働の障害者も雇用率に算定できないか検証したい」と話す。 様々な人と会話しながら働く 20日から始まった実験で、筑波大学社会・国際学群1年のきなこさん(18)は24日、カフェで初めて働いた。 体長23センチほどの分身ロボットが乗るワゴンに、店員が「テーブル2番にレモンアイスコーヒーをお願いします」と商品を置くと、「わかりました」とロボットからきなこさんの声が聞こえてきた。自宅にいるきなこさんが遠隔操作でワゴンを動かし、テーブル席まで運んでいるのだ。 ワゴンが近づくと、客が商品と、必要に応じて紙ナプキンなどを受け取る。きなこさんが「シロップが下に溜まりやすいので、かき混ぜてお飲みください」と声をかけ、ロボットはカウンターに戻った。 普段、きなこさんは車椅子で生活する。以前から、様々な人と会話しながら働く接客業に興味があり、アルバイトを探していたが、車椅子での通勤や立ち仕事が不安で、実際に働いたことはないという。リモートでの接客なら、自分に合った働き方ができると思い、今回参加した。「将来は、いろんな人とお話しできる仕事に就きたい。今回の実証実験が、私自身の経験になると同時に、移動に困難があっても、このような形で働けることを多くの人に知ってもらうきっかけになるといい」 きなこさんからコーヒーを受け取った男性客は「最初は戸惑ったが、スムーズにコーヒーを受け取れた。障害のある人も働ける場がもっと広がればいい」と話した。 今回の実証実験に参加する筑波大生は、きなこさんのほか、運動障害や発達障害のある学生5人。 働く経験で高まる「自己効力感」 障害のある大学生が実証実験に参加する意義について、筑波大学人間系の大村美保助教は、「多くの大学生は飲食店などの接客業でアルバイトすることで、様々な年代や職種の人と関わり、社会を知る機会になる。しかし、運動障害のある学生が同様のアルバイトをするのは難しい。今回、このような形で働くことは、社会との接点になるだけでなく、他の大学生と同じ経験をすることで自信にもなるだろう」と話す。 昨年度の実証実験では、分身ロボットによる短時間アルバイトを通して、障害のある学生の「自己効力感」や職業に対する関心が高まったという。大村助教は「今回、より長い期間、働く経験をすることは、その後、学生たちがキャリア形成をしていく上で役立つだろう」と期待する。(川端舞) ●コーヒーファクトリーでは、11月24日(金)までの期間、11時30分から13時30分は全国各地の障害者が、15時30分から16時30分は筑波大の障害学生が接客等をする。11月27日(月)から12月20日(水)は、11時30分から13時30分で、全国各地の障害者のみが行う。いずれも土日祝日と、8月14日(月)から18日(金)は除く。 ●市中央図書館では、9月7日(木)まで毎週木曜日、10時30分から15分間、以前、保育士をしていたが障害のために働けなくなった人たちがOriHimeを通じ、絵本の読み聞かせをする。

結婚式への参列に思うこと《電動車いすから見た景色》44

【コラム・川端舞】今月末、親戚の結婚式に参列するため、故郷の群馬に帰省する。式に着ていく服を探すため、介助者と一緒にショッピングモールに行った。介助者に手伝ってもらい、いくつかドレスを試着し、気に入ったものをレンタルする。店員とのやりとりも、契約書類への記入も介助者に手伝ってもらった。 帰り道に駅に寄り、群馬までの新幹線の切符を購入。結婚式当日は、別の介助者と一緒に群馬に行き、一泊して帰ってくる予定だ。 帰省する準備をしながら、ふと考える。今の私が、自分らしい生活ができているのはなぜか。公的な介助制度も、バリアフリーな駅もほとんどなかった時代から、自分で介助者を集めて一人暮らしをし、体を張って、公共交通機関のバリアフリーを求めた障害者たちがいたからだ。 彼らが闘ってこなかったら、私は介助者と一緒に、ショッピングモールに行くことも、群馬に帰省することもできなかっただろう。それをありがたいと感じる一方、重度障害者が支援を受けながら、一人暮らしをしたり、外出することは、もっと当たり前のこととして認識される必要があるとも思う。 障害者たちが必死に闘って求めてきたものは、特別なものではなく、本来なら最初から持っているべき人間としての当たり前の権利なのだ。 心待ちにしているもう一つの結婚式 今の社会で、重度障害者が一人暮らしをすることが当たり前だとは見なされていないように、どんなに愛し合っても、家族になることを権利として認められていない人たちがいる。 友人とパートナーはもう何年も一緒に暮らし、本来ならいつ結婚してもおかしくない。しかし、2人は戸籍上の性別が同じであるため、今の法律では婚姻届を出せない。 法律が変わり、婚姻届を提出できたら、挙式するそうだ。式の招待状が来るのを、私は心待ちにしている。一方で、そもそも、戸籍上、異性同士の2人なら、互いの同意のもと婚姻届を提出すれば家族になれるのに、なぜ同性同士だと、その権利が認められないのか。 2人が無事に婚姻届を提出できた日、おそらく私は心の底から2人を祝福するだろう。ただ、それは決して特別なことではなく、人間として当たり前の権利が認められただけであることを覚えておかないとならない。 「他の人と同じ権利を行使するのが、なぜこんなにも大変なのだろうか」。そんなことを考えながら、群馬に帰省する。(障害当事者)

結婚式への参列に思うこと《電動車いすから見た景色》44

【コラム・川端舞】今月末、親戚の結婚式に参列するため、故郷の群馬に帰省する。式に着ていく服を探すため、介助者と一緒にショッピングモールに行った。介助者に手伝ってもらい、いくつかドレスを試着し、気に入ったものをレンタルする。店員とのやりとりも、契約書類への記入も介助者に手伝ってもらった。 帰り道に駅に寄り、群馬までの新幹線の切符を購入。結婚式当日は、別の介助者と一緒に群馬に行き、一泊して帰ってくる予定だ。 帰省する準備をしながら、ふと考える。今の私が、自分らしい生活ができているのはなぜか。公的な介助制度も、バリアフリーな駅もほとんどなかった時代から、自分で介助者を集めて一人暮らしをし、体を張って、公共交通機関のバリアフリーを求めた障害者たちがいたからだ。 彼らが闘ってこなかったら、私は介助者と一緒に、ショッピングモールに行くことも、群馬に帰省することもできなかっただろう。それをありがたいと感じる一方、重度障害者が支援を受けながら、一人暮らしをしたり、外出することは、もっと当たり前のこととして認識される必要があるとも思う。 障害者たちが必死に闘って求めてきたものは、特別なものではなく、本来なら最初から持っているべき人間としての当たり前の権利なのだ。 心待ちにしているもう一つの結婚式 今の社会で、重度障害者が一人暮らしをすることが当たり前だとは見なされていないように、どんなに愛し合っても、家族になることを権利として認められていない人たちがいる。 友人とパートナーはもう何年も一緒に暮らし、本来ならいつ結婚してもおかしくない。しかし、2人は戸籍上の性別が同じであるため、今の法律では婚姻届を出せない。 法律が変わり、婚姻届を提出できたら、挙式するそうだ。式の招待状が来るのを、私は心待ちにしている。一方で、そもそも、戸籍上、異性同士の2人なら、互いの同意のもと婚姻届を提出すれば家族になれるのに、なぜ同性同士だと、その権利が認められないのか。 2人が無事に婚姻届を提出できた日、おそらく私は心の底から2人を祝福するだろう。ただ、それは決して特別なことではなく、人間として当たり前の権利が認められただけであることを覚えておかないとならない。 「他の人と同じ権利を行使するのが、なぜこんなにも大変なのだろうか」。そんなことを考えながら、群馬に帰省する。(障害当事者)

7/14 インクルーシブ教育講演会 障害児が普通学校で過ごすことの大切さ

インクルーシブ教育講演会 障害児が普通学校で過ごすことの大切さ 日時 2023/7/14(金) 11:00~13:00 会場 イーアスつくば 2階 イーアスホール 対象 保護者、支援者の方、その他どなたでもご参加いただけます。 定員 50名 (申し込み先着順) <内容>障害がある子とない子がともに育つ教育は、ともに暮らしやすい社会につながります。今回は、つくば市内の普通小学校に通い、中学・高校は特別支援学校に通った知的障害のお子さんを持つ親御さんに、普通学校に通った経験や、それが今にどう生きているのかをお聞きすることで、障害児が普通学校に通う意味を考えます。また、障害児が普通学校に通うことは、法律的にどう位置づくのかを、東洋大学の一木玲子先生にお聞きします。重度障害児として普通学校で育った自立生活センターほにゃらのスタッフも、経験を話します。 <講師プロフィール> 佐賀有美(さが なおみ) つくば特別支援 親の会所属。つくば市在住。重度の知的障害を持つ自閉症の息子を持つ。息子は現在21歳。「社会の中で生きていくために、まずは小さな社会である地域の学校へ」との思いから普通幼稚園、小学校に通わせた。息子の学校への付き添いの悩みから、同じ発達に悩みを抱える保護者の方の為の「つくば特別支援 親の会」を立ち上げ、活動している。 一木玲子(いちき れいこ) 東洋大学人間科学総合研究所客員研究員。専門は障害のある子どもと障害のない子どものインクルーシブ教育制度。日本とイタリアを主なフィールドにして、学校調査を基盤に制度研究を行っている。2022年夏の国連障害者権利条約第一回日本審査に際してはNGO団体としてパラレルレポートを提出してロビー活動等に従事した。東京在住。近年の著作は「なぜ、国連は特別支援教育中止を勧告したか」(『季刊福祉労働173号』、現代書館、2022年)、「国連障害者権利条約一般的意見4号におけるインクルーシブ教育の定義」『教育学論集第64集』中央大学教育学研究会(2022)・「障害者権利条約第24条一般的意見4号「わかりやすい版(Plain Vergion)を翻訳!」『福祉労働171号』現代書館(2021) 川端舞(かわばた まい)つくば自立生活センターほにゃら。群馬県出身、つくば市在住。脳性麻痺による運動障害と言語障害があるが、小中学校は介助員をつけて、高校は友人に手伝ってもらいながら、群馬の普通学校・普通学級に通う。小中学校は辛いこともあったが、高校の同級生とは今でも付き合いがあり、自分はちゃんと群馬に帰る場所があるんだと思え、自信になっている。

マジョリティとしての特権 《電動車いすから見た景色》43

【コラム・川端舞】マジョリティと呼ばれる人々は多くの場合、特権を持っている。入り口に段差があるかどうかを気にせずに、飲食店やホテルを選べるのは、車椅子やベビーカーが必要ない人の特権。音声による説明がなくても、インターネット上の写真・グラフなどから情報を得られるのは、目が見える人の特権。店員から商品の説明を口頭でしてもらって買い物ができるのは、耳が聞こえる人の特権。 婚姻届により、血縁関係のない2人が家族として認められるのは、戸籍上の異性同士で愛し合った人だけの特権。どんなに2人が愛し合っていても、戸籍上の性別が同じであれば、現行の法律では婚姻届は出せない。 日本の難民認定手続きがどう変わっても、日本を追い出される心配をしなくていいのは、日本国籍を持つ人たちの特権。日本国籍を持つ私には、日本を追い出される恐怖など想像すらできない。 奪った権利をマイノリティに返すだけ マジョリティとは誰のことだろう。私は車椅子がないとどこにも行けない点ではマイノリティだが、視覚的な図で表された情報でも、音声だけの情報でも困らずに利用できる点ではマジョリティだ。入管難民法がニュースとして話題になるまで、自分が日本国籍という特権を持っている自覚すらなかった。 また、私は誰に身分証明書の性別欄を確認されても、何も困らない。これもマジョリティの特権なのだが、出生時に割り当てられた性と性自認が一致しない「トランスジェンダー」に対し、自分のように生まれた時の性と性自認が一致する多数派は「シスジェンダー」と呼ぶことさえ最近まで知らなかった。 しかし、シスジェンダーとしての自覚を持つと、今の社会がトランスジェンダーの権利を犠牲にし、シスジェンダーが生活しやすいようにつくられていることが見えてくる。例えば、学校の制服を男女で分ける仕組みは、自分らしい性を表現したいトランスジェンダーの生徒を犠牲にしている。 そして、自分もそのような社会をつくっている一員だと思うと、シスジェンダーである私たちこそ社会を変えていかなければならないことに気づく。 マイノリティの人権問題は、マジョリティ側が自分たちの持っている特権に気づき、その特権をマイノリティ側にいかに還元するかの問題でもある。決してマイノリティに特別な権利を与えることではなく、マイノリティから奪ってきた人間としての基本的な権利を、彼らに返すだけだ。(障害当事者)

マジョリティとしての特権 《電動車いすから見た景色》43

【コラム・川端舞】マジョリティと呼ばれる人々は多くの場合、特権を持っている。入り口に段差があるかどうかを気にせずに、飲食店やホテルを選べるのは、車椅子やベビーカーが必要ない人の特権。音声による説明がなくても、インターネット上の写真・グラフなどから情報を得られるのは、目が見える人の特権。店員から商品の説明を口頭でしてもらって買い物ができるのは、耳が聞こえる人の特権。 婚姻届により、血縁関係のない2人が家族として認められるのは、戸籍上の異性同士で愛し合った人だけの特権。どんなに2人が愛し合っていても、戸籍上の性別が同じであれば、現行の法律では婚姻届は出せない。 日本の難民認定手続きがどう変わっても、日本を追い出される心配をしなくていいのは、日本国籍を持つ人たちの特権。日本国籍を持つ私には、日本を追い出される恐怖など想像すらできない。 奪った権利をマイノリティに返すだけ マジョリティとは誰のことだろう。私は車椅子がないとどこにも行けない点ではマイノリティだが、視覚的な図で表された情報でも、音声だけの情報でも困らずに利用できる点ではマジョリティだ。入管難民法がニュースとして話題になるまで、自分が日本国籍という特権を持っている自覚すらなかった。 また、私は誰に身分証明書の性別欄を確認されても、何も困らない。これもマジョリティの特権なのだが、出生時に割り当てられた性と性自認が一致しない「トランスジェンダー」に対し、自分のように生まれた時の性と性自認が一致する多数派は「シスジェンダー」と呼ぶことさえ最近まで知らなかった。 しかし、シスジェンダーとしての自覚を持つと、今の社会がトランスジェンダーの権利を犠牲にし、シスジェンダーが生活しやすいようにつくられていることが見えてくる。例えば、学校の制服を男女で分ける仕組みは、自分らしい性を表現したいトランスジェンダーの生徒を犠牲にしている。 そして、自分もそのような社会をつくっている一員だと思うと、シスジェンダーである私たちこそ社会を変えていかなければならないことに気づく。 マイノリティの人権問題は、マジョリティ側が自分たちの持っている特権に気づき、その特権をマイノリティ側にいかに還元するかの問題でもある。決してマイノリティに特別な権利を与えることではなく、マイノリティから奪ってきた人間としての基本的な権利を、彼らに返すだけだ。(障害当事者)

友よ、一緒に社会を変えていこう 《電動車いすから見た景色》42

【コラム・川端舞】前回のコラムで書いたように、先日、故郷の群馬で開催されたプレゼンテーション大会で、重度身体障害がありながら、障害のない同級生と同じ学校に通った経験を話した。「ぜひ群馬で川端の経験を話してほしい」と、その大会に私を推薦してくれたのは高校時代の友人。友人は、生まれたときに割り当てられた性別は女性だが、今は男性として生きているトランスジェンダー当事者だ。 多くの建物の入り口には段差があり、車いすで入れない。言語障害のある者が話すと、多くの人は困った顔をし、本人と直接話すことを諦める。今の社会は障害者にとって生きづらい。しかし、それは障害者が悪いわけではなく、障害者の存在を前提につくられていない社会の問題だ。この考え方を「障害の社会モデル」と言い、国連の障害者権利条約もこの考え方を取り入れている。 一方、友人と話すうちに、就職面接など、人生において重要な場面ほど、性別を聞かれ、制服やトイレなど、あらゆるものが男女別に分けられる社会はトランスジェンダーにとっても過ごしづらい環境なのだと気づいた。それはトランスジェンダーが悪いわけではなく、トランスジェンダーがいることを前提に社会がつくられていないのが問題だ。 もちろん、男女別の制服や施設が心地よい人もいるだろう。その人たちの意見は決して否定しない。だから、トランスジェンダー当事者にとって、心地よい制服や施設のあり方はどのようなものかも直接聞いてほしい。それぞれが心地よくいられる、全く新しい制服や施設のあり方が見つかるかもしれない。そうすることで、多様な人が過ごしやすい社会に変えていける。 高校3年分の絆 1年ほど前から、頻繁に友人と連絡を取るようになり、互いの子ども時代のことも聞き合った。その過程で、「障害者もトランスジェンダーも生きづらいのは社会の問題である」という共通認識を持て、いつしか「一緒に社会を変えていこう」と話すようになった。全く初対面の障害者とトランスジェンダーが、ここまで仲間意識を持つのは難しいかもしれない。 しかし、友人と私は、高校3年分の楽しかったこともしんどかったことも共有できる。改めて、多様な背景を持つ子どもたちが同じ教室で育つ大切さを、彼との関係から学んでいる。互いの周囲にも影響を与えながら、ともに暮らしやすい社会に変えていこう。(障害当事者)

友よ、一緒に社会を変えていこう 《電動車いすから見た景色》42

【コラム・川端舞】前回のコラムで書いたように、先日、故郷の群馬で開催されたプレゼンテーション大会で、重度身体障害がありながら、障害のない同級生と同じ学校に通った経験を話した。「ぜひ群馬で川端の経験を話してほしい」と、その大会に私を推薦してくれたのは高校時代の友人。友人は、生まれたときに割り当てられた性別は女性だが、今は男性として生きているトランスジェンダー当事者だ。 多くの建物の入り口には段差があり、車いすで入れない。言語障害のある者が話すと、多くの人は困った顔をし、本人と直接話すことを諦める。今の社会は障害者にとって生きづらい。しかし、それは障害者が悪いわけではなく、障害者の存在を前提につくられていない社会の問題だ。この考え方を「障害の社会モデル」と言い、国連の障害者権利条約もこの考え方を取り入れている。 一方、友人と話すうちに、就職面接など、人生において重要な場面ほど、性別を聞かれ、制服やトイレなど、あらゆるものが男女別に分けられる社会はトランスジェンダーにとっても過ごしづらい環境なのだと気づいた。それはトランスジェンダーが悪いわけではなく、トランスジェンダーがいることを前提に社会がつくられていないのが問題だ。 もちろん、男女別の制服や施設が心地よい人もいるだろう。その人たちの意見は決して否定しない。だから、トランスジェンダー当事者にとって、心地よい制服や施設のあり方はどのようなものかも直接聞いてほしい。それぞれが心地よくいられる、全く新しい制服や施設のあり方が見つかるかもしれない。そうすることで、多様な人が過ごしやすい社会に変えていける。 高校3年分の絆 1年ほど前から、頻繁に友人と連絡を取るようになり、互いの子ども時代のことも聞き合った。その過程で、「障害者もトランスジェンダーも生きづらいのは社会の問題である」という共通認識を持て、いつしか「一緒に社会を変えていこう」と話すようになった。全く初対面の障害者とトランスジェンダーが、ここまで仲間意識を持つのは難しいかもしれない。 しかし、友人と私は、高校3年分の楽しかったこともしんどかったことも共有できる。改めて、多様な背景を持つ子どもたちが同じ教室で育つ大切さを、彼との関係から学んでいる。互いの周囲にも影響を与えながら、ともに暮らしやすい社会に変えていこう。(障害当事者)

地元で話す 子ども時代の経験 《電動車いすから見た景色》41

【コラム・川端舞】来月、故郷の群馬で、とあるプレゼンテーション大会に登壇し、子ども時代のことを話す。多くの障害児が特別支援学校に通うなか、重度身体障害のある私は小学校から高校まで、障害のない同級生と同じ学校に通った。しかし、特に中学時代は、介助員からトイレ介助を拒否されるなど、つらいことが多かった。 私は中学時代の介助員や、介助員からの虐待に気づかなかった担任教員だけが悪いとは決して思っていない。 どんな障害があっても、健常児と同じ学校に通う権利があると国連は認めている。障害児を含めた全ての子どもが過ごしやすいように、環境を整えるのは学校全体の責任だ。それなのに、障害児には介助員さえ付けておけば、必要な支援はすべて介助員に任せておけばいいと思われていたことが、当時の介助員を孤立させ、虐待に追い込んだ。 学校全体に流れていた「重度障害児はこの学校にいるべきではない」という空気が、虐待に気づかないほど、担任教員の目を曇らせたのだろう。「どんな障害があっても、普通学校に通うのは権利で、それを保障するのは学校の責任だ」と教育全体が思わない限り、おそらく同じ悲劇は繰り返される。 自分のような経験は誰にもさせまいと今までも様々な場所で自分の経験を話してきた。 障害児が同じ教室にいるのは当たり前 しかし、子ども時代の自分を直接知る人も多い群馬で、自分の経験を話すことはないと思っていた。地元の普通学校で育った障害者が、受けてきた教育を否定しているとなれば、「だったら、特別支援学校に行けばよかったのに」と思われ、普通学校から障害児を一層追い出そうとするかもしれない。それが怖かった。 そんな私が子ども時代の経験を故郷で話すことになったのは、高校時代の友人が「川端に群馬で話してほしい」と言ってくれたからだ。私は彼に自分の過去を話した。その話をすると、多くの人は「そんなにつらいのに、なぜ普通学校に行ったのか」と私に問う。だが、友人は「なぜ大人が子どもを守らないのか」と反応した。 どうやら、高校3年間、障害のある私が同じ教室にいるのが日常だった彼にとっては、私が普通学校に通ったのは当たり前のようだ。障害児だった私を「普通の子ども」と捉え、その子が学校で傷つけられたことを、自分のことのように怒ってくれる。常に例外として扱われた私にとって、友人の反応は泣きたくなるほど心地よい。 友人が近くで聞いてくれるなら、群馬でも話せるかもしれない。どんな障害があっても普通学校に通うのが当たり前の社会になることを祈りながら、話してこよう。(障害当事者)

地元で話す 子ども時代の経験 《電動車いすから見た景色》41

【コラム・川端舞】来月、故郷の群馬で、とあるプレゼンテーション大会に登壇し、子ども時代のことを話す。多くの障害児が特別支援学校に通うなか、重度身体障害のある私は小学校から高校まで、障害のない同級生と同じ学校に通った。しかし、特に中学時代は、介助員からトイレ介助を拒否されるなど、つらいことが多かった。 私は中学時代の介助員や、介助員からの虐待に気づかなかった担任教員だけが悪いとは決して思っていない。 どんな障害があっても、健常児と同じ学校に通う権利があると国連は認めている。障害児を含めた全ての子どもが過ごしやすいように、環境を整えるのは学校全体の責任だ。それなのに、障害児には介助員さえ付けておけば、必要な支援はすべて介助員に任せておけばいいと思われていたことが、当時の介助員を孤立させ、虐待に追い込んだ。 学校全体に流れていた「重度障害児はこの学校にいるべきではない」という空気が、虐待に気づかないほど、担任教員の目を曇らせたのだろう。「どんな障害があっても、普通学校に通うのは権利で、それを保障するのは学校の責任だ」と教育全体が思わない限り、おそらく同じ悲劇は繰り返される。 自分のような経験は誰にもさせまいと今までも様々な場所で自分の経験を話してきた。 障害児が同じ教室にいるのは当たり前 しかし、子ども時代の自分を直接知る人も多い群馬で、自分の経験を話すことはないと思っていた。地元の普通学校で育った障害者が、受けてきた教育を否定しているとなれば、「だったら、特別支援学校に行けばよかったのに」と思われ、普通学校から障害児を一層追い出そうとするかもしれない。それが怖かった。 そんな私が子ども時代の経験を故郷で話すことになったのは、高校時代の友人が「川端に群馬で話してほしい」と言ってくれたからだ。私は彼に自分の過去を話した。その話をすると、多くの人は「そんなにつらいのに、なぜ普通学校に行ったのか」と私に問う。だが、友人は「なぜ大人が子どもを守らないのか」と反応した。 どうやら、高校3年間、障害のある私が同じ教室にいるのが日常だった彼にとっては、私が普通学校に通ったのは当たり前のようだ。障害児だった私を「普通の子ども」と捉え、その子が学校で傷つけられたことを、自分のことのように怒ってくれる。常に例外として扱われた私にとって、友人の反応は泣きたくなるほど心地よい。 友人が近くで聞いてくれるなら、群馬でも話せるかもしれない。どんな障害があっても普通学校に通うのが当たり前の社会になることを祈りながら、話してこよう。(障害当事者)

「親亡き後」の前に親も自分らしく生きるには つくばの障害者団体が学習会

障害者が抱える課題として、親が亡くなった後、誰が本人の生活を支えるのかという「親亡き後」問題が叫ばれて久しい。そんな中、障害者団体、つくば自立生活センター「ほにゃら」(つくば市天久保)が4月2日、学習会「親も子も“自分らしい”生活をするために―障害児を育てた先輩の体験談を聞こう」を開催する。障害児を持つ親や家族を対象に、親が元気なうちに、障害のある本人もその親も、自分らしく生活するにはどうしたらいいかを考える。 親の自己実現のためにも 「親亡き後」問題の背景には、障害のある子が成人しても、親が元気な時は親自身がその子の生活を支援すべきという考えがある。しかし、ほにゃらの介助スタッフである松岡功二さん(54)は「親も子も自分らしい生活を送るために、親が元気なうちから、障害児が親以外の人から介助を受けるのは大切」と強調する。 同団体は、障害のある子どもがヘルパーを利用することで、様々な経験をする大切さを伝える「ほにゃらキッズ」という活動をしている。「子どもの頃からヘルパーを利用することは、子ども本人のためだけでなく、親の自己実現にもつながる。ヘルパーなどの福祉制度を利用することで、障害児の親も休んだり、好きなことをやっていい。親と子、互いが自分らしい生活をすることで、親子関係も変わってくるのでは」と松岡さん。 同団体の代表で、自身も重度身体障害のある川島映利奈さん(40)は「親が子どもにやってあげたいことはたくさんあるだろう。しかし、親だけで頑張りすぎてしまうと、子どもがプレッシャーを感じてしまう」と話す。 「障害児が自分らしい人生をつくっていくためには、選択を繰り返しながら、自分の好き嫌いに気づいていくことが大切。しかし、日常生活の全ての選択を、親だけで支援するのは大変だ。介助者と一緒にいろんな経験をする子どもを見て、子どもの新たな一面を見られるかもしれない」 子離れ・親離れの準備 今では、小学生の頃からほにゃらキッズに関わり、高校卒業後、ヘルパーを利用しながら地域で一人暮らしを始める障害者も出てきている。今回の学習会では、実際にヘルパーを利用しながら、障害児を育てた鶴岡かおりさん(57)、木村清美さん(57)と一緒に、障害児の親は何を考えながら、ヘルパー利用や、子離れ・親離れに向けた準備をすればいいのかを考える。 松岡さんは「障害児が介助者と一緒に自分のやりたいことを実現していく姿を、親の立場からどう見ていたのかを、鶴岡さんたちから聞くことで、今、障害児を育てている親御さんの参考になれば」と期待する。(川端舞) ◆学習会は4月2日(日)午後1~3時、つくば自立生活センターほにゃら事務所(つくば市天久保2-12-7 アウスレーゼ1階)で開催。主な対象は障害のある子の親および家族。参加費無料。定員5家族。申し込み締め切りは24日(金)。申し込みはこちらから。問い合わせは電話029-859-0590かメール:cil-tsukuba@cronos.ocn.ne.jp(ほにゃら)へ。

議論は当事者の声を聞いてから 《電動車いすから見た景色》40

【コラム・川端舞】最近、メディアやSNSで、体の性と自認する性が一致しないトランスジェンダーに関する議論をよく目にする。しかし、なぜ「トイレや更衣室の利用」についてばかりが注目されるのだろう。もっと早急に議論すべきことがあるはずだ。 2021年にイギリスのトランスジェンダー当事者であるショーン・フェイにより書かれた「トランスジェンダー問題―議論は正義のために」(明石書店)は、当事者が社会の中で経験する様々な課題を論じている。 同書によると、イギリスではトランスジェンダーの子どもの6割が学校でいじめに遭っているが、その半数がいじめについて誰にも相談できていない。また、トランスジェンダーの若者の8割が、自傷行為をした経験がある。トランスジェンダー全体の4割が、否定的な反応を恐れて、家族に自分の性について話せていない。 本書を訳した高井ゆと里さんの解題によると、日本でもトランスジェンダーを理由に家族から拒絶される当事者は多い。今、世間でトランスジェンダーについて議論している人は、当事者の生きづらさをどのくらい直接聞いたことがあるだろうか。 障害者とトランスジェンダーの連携 私たち障害者も社会から生きづらさを押し付けられてきた。障害者が他の人と同じように、どこで誰と住むかを自分で決めたり、障害のない子どもと同じ学校で学ぶ権利があることを定めた国連の障害者権利条約は、2006年に世界中の障害者が参加して作成された。日本の障害者関連の法律を権利条約に合わせたものに整備するよう、日本政府に働きかけたのは国内の障害者たちだ。 この背景には「障害者のことは障害者が一番分かっている。障害者のことを障害者抜きに決めないで」という信念がある。障害者自身の声によって作られたからこそ、障害者権利条約はそれまで社会から抑圧されてきた障害者の権利を丁寧に規定し、世界中の障害者を勇気づけるものになった。 トランスジェンダーが社会から負わされる生きづらさを一番よく分かっているのはトランスジェンダー自身だ。偏見にさらされやすい今の社会で、人口の1%にも満たないトランスジェンダー当事者が声を上げるのは想像を絶する勇気がいることだろう。しかし、今現在も堂々と情報発信している当事者もいる。トランスジェンダーについて議論するのなら、当事者の声をじっくり聞くことから始めなければならないのではないか。 障害当事者の声を法律や政治に反映させるために長く運動してきた障害者団体の経験は、トランスジェンダー当事者にとっても役に立つだろう。障害者とトランスジェンダーが連携することで、互いに生きやすい社会に変えていく速度を上げられると私は確信している。(障害当事者)

議論は当事者の声を聞いてから 《電動車いすから見た景色》40

【コラム・川端舞】最近、メディアやSNSで、体の性と自認する性が一致しないトランスジェンダーに関する議論をよく目にする。しかし、なぜ「トイレや更衣室の利用」についてばかりが注目されるのだろう。もっと早急に議論すべきことがあるはずだ。 2021年にイギリスのトランスジェンダー当事者であるショーン・フェイにより書かれた「トランスジェンダー問題―議論は正義のために」(明石書店)は、当事者が社会の中で経験する様々な課題を論じている。 同書によると、イギリスではトランスジェンダーの子どもの6割が学校でいじめに遭っているが、その半数がいじめについて誰にも相談できていない。また、トランスジェンダーの若者の8割が、自傷行為をした経験がある。トランスジェンダー全体の4割が、否定的な反応を恐れて、家族に自分の性について話せていない。 本書を訳した高井ゆと里さんの解題によると、日本でもトランスジェンダーを理由に家族から拒絶される当事者は多い。今、世間でトランスジェンダーについて議論している人は、当事者の生きづらさをどのくらい直接聞いたことがあるだろうか。 障害者とトランスジェンダーの連携 私たち障害者も社会から生きづらさを押し付けられてきた。障害者が他の人と同じように、どこで誰と住むかを自分で決めたり、障害のない子どもと同じ学校で学ぶ権利があることを定めた国連の障害者権利条約は、2006年に世界中の障害者が参加して作成された。日本の障害者関連の法律を権利条約に合わせたものに整備するよう、日本政府に働きかけたのは国内の障害者たちだ。 この背景には「障害者のことは障害者が一番分かっている。障害者のことを障害者抜きに決めないで」という信念がある。障害者自身の声によって作られたからこそ、障害者権利条約はそれまで社会から抑圧されてきた障害者の権利を丁寧に規定し、世界中の障害者を勇気づけるものになった。 トランスジェンダーが社会から負わされる生きづらさを一番よく分かっているのはトランスジェンダー自身だ。偏見にさらされやすい今の社会で、人口の1%にも満たないトランスジェンダー当事者が声を上げるのは想像を絶する勇気がいることだろう。しかし、今現在も堂々と情報発信している当事者もいる。トランスジェンダーについて議論するのなら、当事者の声をじっくり聞くことから始めなければならないのではないか。 障害当事者の声を法律や政治に反映させるために長く運動してきた障害者団体の経験は、トランスジェンダー当事者にとっても役に立つだろう。障害者とトランスジェンダーが連携することで、互いに生きやすい社会に変えていく速度を上げられると私は確信している。(障害当事者)

高校時代の友人が気づかせてくれたこと 《電動車いすから見た景色》39

【コラム・川端舞】今月初め、生まれ故郷の群馬で、障害者権利条約の勉強会があり、2年ぶりに帰省した。会場で高校の同級生2人と再会し、写真を撮った。 国連が障害者権利条約を解説した「一般的意見」には、「(障害のある子とない子が同じ教室で学ぶ)インクルーシブ教育は、すべての生徒の基本的人権」と書いてある。5年ほど前、初めて読んだとき、その意味を理解するのに苦労した。「インクルーシブ教育は、障害のない生徒のためにもなるのか」と。 その考えが変わり始めたのは、数年前、ふとしたきっかけで、同級生たちと連絡を取るようになってからだ。高校当時、私は自分の障害への劣等感や、大学受験のプレッシャーで、息の詰まる学校生活を送った記憶しかなかった。しかし、友人と話しているうちに、当時の楽しかった記憶も思い出した。 周囲の同級生が障害のある自分をどう見ていたのかも聞くことができ、少し客観的に過去を振り返ることができた。「こんなに悩んでいるのは自分だけだ」と思っていたが、実は障害のない生徒も深い悩みを抱えていることがあり、悩みの原因の多くは、社会や学校が多様性に寛容でないためであると気付くこともできた。 一方、卒業後10年以上たってから、当時の自分の悩みを友人に聞いてもらうこともでき、「高校時代、川端がふさぎ込んでしまったのも無理ないよ」と言われ、気持ちが楽になった。 しんどいのは障害児だけではない 「しんどさを抱えながら、学校に通っているのは障害児だけではない。だから、どんな子でも過ごしやすい普通学校に変える必要があるのだ」。友人と話しながら、こんなことを思った。 勉強や運動が他の子どもと同じようにできなくても、違いを受け入れ、どのように環境を変えれば、障害児でも過ごしやすくなるのかを考えられる学校は、障害のない子どもにとっても過ごしやすい学校になるのかもしれない。それが、「インクルーシブ教育は、すべての生徒の基本的人権」ということなのだろう。 いろんな同級生と一緒に高校時代を過ごした記憶と、大人になってから果たせた同級生との再会が、私に「インクルーシブ教育とは何か」を改めて考え直させてくれるのだ。(障害当事者)

高校時代の友人が気づかせてくれたこと 《電動車いすから見た景色》39

【コラム・川端舞】今月初め、生まれ故郷の群馬で、障害者権利条約の勉強会があり、2年ぶりに帰省した。会場で高校の同級生2人と再会し、写真を撮った。 国連が障害者権利条約を解説した「一般的意見」には、「(障害のある子とない子が同じ教室で学ぶ)インクルーシブ教育は、すべての生徒の基本的人権」と書いてある。5年ほど前、初めて読んだとき、その意味を理解するのに苦労した。「インクルーシブ教育は、障害のない生徒のためにもなるのか」と。 その考えが変わり始めたのは、数年前、ふとしたきっかけで、同級生たちと連絡を取るようになってからだ。高校当時、私は自分の障害への劣等感や、大学受験のプレッシャーで、息の詰まる学校生活を送った記憶しかなかった。しかし、友人と話しているうちに、当時の楽しかった記憶も思い出した。 周囲の同級生が障害のある自分をどう見ていたのかも聞くことができ、少し客観的に過去を振り返ることができた。「こんなに悩んでいるのは自分だけだ」と思っていたが、実は障害のない生徒も深い悩みを抱えていることがあり、悩みの原因の多くは、社会や学校が多様性に寛容でないためであると気付くこともできた。 一方、卒業後10年以上たってから、当時の自分の悩みを友人に聞いてもらうこともでき、「高校時代、川端がふさぎ込んでしまったのも無理ないよ」と言われ、気持ちが楽になった。 しんどいのは障害児だけではない 「しんどさを抱えながら、学校に通っているのは障害児だけではない。だから、どんな子でも過ごしやすい普通学校に変える必要があるのだ」。友人と話しながら、こんなことを思った。 勉強や運動が他の子どもと同じようにできなくても、違いを受け入れ、どのように環境を変えれば、障害児でも過ごしやすくなるのかを考えられる学校は、障害のない子どもにとっても過ごしやすい学校になるのかもしれない。それが、「インクルーシブ教育は、すべての生徒の基本的人権」ということなのだろう。 いろんな同級生と一緒に高校時代を過ごした記憶と、大人になってから果たせた同級生との再会が、私に「インクルーシブ教育とは何か」を改めて考え直させてくれるのだ。(障害当事者)

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