【相澤冬樹】耳に「084」という黄色いタグをつけた子牛は、20年11月17日に生まれたホルスタインのメス、近づくと人懐こい仕草で寄ってくる。体重はすでに100キロを超えているが、まだ乳離れの最中だ。牧草を発酵させたサイレージ飼料に徐々に切り替えられている。
乳牛は通常、母乳では育てられない。母牛は搾乳のため子が生まれるとすぐに引き離され、子牛は母親のケアを受けない。肉牛となる黒毛和種でも早期の母子分離、哺乳ロボットの利用が増えつつある。この母子分離のストレスは、畜産業者にとって大きな経済的損失になると指摘するのは、農研機構畜産研究部門(つくば市池の台)の矢用健一飼育環境ユニット長(55)だ。
日本の畜産業では、乳牛に黒毛和種の子を産ませる受精卵移植が広く行われている。ホルスタイン種の子は40~50キロの体重で産まれてくるが、黒毛和種の子は30キロ前後しかなく、その分抵抗力に欠ける。しかもホルスタインの母乳は濃度が薄く、下痢や腸炎にかかりやすいため、引き離しの時期もさらに早められるという。
出生直後の母子分離は、近年のアニマルウェルフェア(Animal Welfare)の考え方からも問題視されている。家畜の誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、健康的な生活ができる飼育方法をめざす、欧州発の考え方。日本では「動物福祉」や「家畜福祉」と訳される。
母親の舌触りに近づける
矢用さんは、黒毛和種で母親が舌で舐めるグルーミングを受けた子牛ほど、下痢が少なく、より早く体重が増加するという研究報告(2012年)に目を留めて、疑似グルーミング装置を開発、実証実験に取り組んできた。
子牛が母親から受ける物理的刺激を代用する器具で、母親の舌触りに近づける工夫をした。プラスチック製の硬めのブラシを密植し、直径10センチ×長さ50センチほどの円筒状に巻いている。子牛が体をこすりつけると電動で回転し、ブラシの先端がザラザラと刺激する。実際の牛の舌(タン)も50センチほどの長さあり、ザラザラ感があるそうだ。
装置を飼育舎に吊るし、圧力や回転速度などを変えて子牛に継続使用させた。グルーミング装置を与えない対照群も同時に飼育し、効果を比べた。子牛は早々に装置を気に入り、毎日断続的に20分ほど、体をこすりつける行動を見せた。
これを離乳期まで続けると、目に見えて体重増加が大きく、病気にもなりにくかった。新しいものや出来事に怖がらなくなったともいう。
農研機構畜産研究部門には20年4月1日現在、乳牛100頭、肉牛48頭が飼われている。屋外の放牧地に行くと、サイレージを食んでいた乳牛の1頭が群れから離れ、矢用さんに近寄り鼻先を押し付けてきた。矢用さんは「こんなに人懐こいのは、グルーミング装置で育てられた牛に違いない」と笑顔で応じた。
実験は三重県や長野県の畜産農家への導入段階に進み、ライセンス契約による装置の生産も始まった。アニマルウェルフェア向上の一環として、畜産業界にどのように提案、普及していくか、丑年の課題となる。