月曜日, 3月 8, 2021
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《続・平熱日記》61 「さらばマスク」 私はマスク嫌い

【コラム・斉藤裕之】いちいち癇(かん)に障(さわ)るトランプさんだが、最近自分との共通点を見つけた。それはマスク嫌いという点。正直に言ってマスクは煩(わずら)わしい。これまでは外国人並みにマスクの効果を疑っていた。しかし仕方なく始まったマスク生活。喋(しゃべ)りづらいし、呼吸もしづらい。老眼鏡は曇るし、おまけに鼻のあたりが温まって鼻水が垂れてくる。やはりマスクは嫌いだ。

しかし、こういう事態になる以前から、最近では毎年のインフルエンザの流行に伴い、学校ではマスク着用を促すようになった。ただ困ったことに、マスクをしていると表情が読み取れない。

「目は口ほどにものをいう」とは言うが、実は表情は顔の半分から下でつくられることがよくわかる。要するに、目から上には表情をつくる筋肉がほぼないのである。例えば教室で個人の表情が全く分からない、40人のマスクさんたちを相手に、有意義な授業は見込めない。逆も然り。マスク先生の話は面白さも半減する。

マスクマンの「マスク内引きこもり」

小学校のころ、母が毛糸で赤いマスク編んでくれた。マスクといっても覆面レスラーのマスク。多分海外でmaskといえば、仮面や覆面を指すのだろう。当時、絶大な人気を誇った覆面レスラーといえばデストロイヤー。漫画ではタイガーマスク。そして千の顔を持つ男といえばご存じミルマスカラス。

そんな憧れのマスクを手に入れて、畳の上で繰り広げられるプロレスごっこのタッグマッチは盛り上がった。今考えると、プロレスはマスクの持つ匿名性や神秘性という側面を実に上手く利用していたといえる。

ところが、レスラーほどのフルフェイスのマスクではないが、近年学校にもマスクマンが現れ始めた。春はおろか夏になってもマスクをしている、要するに年中マスクをしているマスクマン生徒だ。外界と一線を画すようなマスク姿。

「マスク内引きこもり」と私は勝手に名付けていたのだが、それを敢えて咎(とが)める理由もない。しかし、そうこうしているうちに、とうとうその生徒たちの素顔がわからないまま学年が変わってしまう。多分、マスクを外した顔で挨拶されてもわからないだろう。それよりも、その子たちは今後ずっとマスク顔で生きていくのだろうかと不安になった。

因(ちな)みに、覆面レスラーは覆面をはがされて正体がばれそうになるところがクライマックス。そして、マスクの下の素顔はいつか明かされる運命にある。

今回、ハンバーグや餃子と同様に、マスクは「手作り」という市民権を得た。マスク不足から、創意と工夫で作られた手作りのマスクは、それなりの意味と効果があったといえる。しかし、エコバッグが街にあふれてエコでも何でもない道をたどったように、手作りマスクが生活の中でこれ以上過剰に流行らないことを祈る。

さて、いつもは安倍さんに冷たい私だが、今回はいささか同情せざるをえない。「もうマスクはいりません!」。彼が満面の笑みで放り投げる、洗いすぎてビヨーンと伸びたゴムのマスクが、スローモーションで宙を舞う姿。私の思い描くハッピーエンドだ。(画家)

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