【橋立多美】「続けるからこそ横のつながりができ、地域のことがよく分かった」。11月末で茎崎地区の民生委員を退任したつくば市あしび野の稲川誠一さん(75)はそう語る。
子らの環境守った除染活動
4期12年の活動で忘れられないのが、2011年3月11日に発生した大地震に伴う福島第一原発の事故で、放射性物質に汚染されたあしび野児童公園の除染だという。
国は同年12月、被ばく線量が年間1ミリシーベルト以上の地域がある8県102市町村を、除染の財政支援が受けられる「汚染状況重点調査地域」に指定した。指定を受けた市が「放射線対策室」を設置。毎時0.23マイクロシーベルトを超える21区域の除染実施計画を公表した。
その中にあしび野が含まれ、住民たちに動揺が走った。当時民生委員兼自治会長だった稲川さんは、自治会主催で放射線物質の専門家による勉強会を開催し、あしび野自治会館は保護者や住民でいっぱいになった。
一方、同対策室から線量計2台を借りて自治会館や団地内道路、公園など5カ所の空間放射線量を測定した。稲川さんは測定を担当したり立ち会って数値に目を凝らした。「どうか(数値が)下がってくれと祈るような思いだった」。
8月22日の時点で、児童公園だけが毎時0.249マイクロシーベルトと数値が高いことが分かった。市は子どもたちが長時間滞在する幼保や小中学校の除染は行ったが、公園の除染は実施しなかった。
10月、子どもたちの被ばく線量低減のために自治会役員と保護者らの協力で児童公園の除染に取り組んだ。作業は対策室の助言を受けて進め、安全を確保するためにマスクと長袖、手袋、長靴を着用した。
砂場は砂を入れ替え、ブランコ周辺のくぼみは土盛りをした。さらに公園内に植えられていたヒマラヤ杉6本のうち4本を伐採。残る2本は枝木を剪定した。ヒマラヤ杉は放射線物質が葉に溜り、降雨で地表の放射線量が高くなりやすいとされるためだ。
ヒマラヤ杉周辺の表土は放射線物質濃度を測定しながら掘り進め、芝生は深く刈り込んだ。汚染土は何重にも重ねた放射線遮へいポリ袋に入れ、公園内の土中深く埋めた。
除染作業の結果、11月中旬に児童公園の放射線量は基準値を下回った。
大震災から8年9カ月ー。残った2本のヒマラヤ杉は大きくなった。目に見えぬ放射性物質におびえ、子どもたちの健康被害を食い止めようと住民が1つになったと稲川さんは振り返る。
「地域の福祉を担う民生委員は、住民の生活を守るのも仕事のうち。予想外の自然災害が発生する昨今、民生委員には臨機応変の判断が求められる」と話した。
30年やってよかった
10期30年間、桜地区の民生委員として地域を見守ってきた中川発子さんも先月末で退任した。
市から引き受けてくれないかと声がかかり、民生委員として活動を始めたのは45歳のとき。「自分にできるか」という不安を「なんとかできそう」に変えたのが、先輩委員が言った「民生委員は目立ってはいけない」だった。
「そっと見守って困り事の悩みや寂しい気持ちを理解することで、人へのいたわりを持ち続けることができた。自分のためにも続けてきてよかった」と満足そうに振り返った。(おわり)