水曜日, 12月 3, 2025
ホームつくば博物館の手話通訳ガイド3人が誕生 筑波技術大が育成支援

博物館の手話通訳ガイド3人が誕生 筑波技術大が育成支援

【鈴木宏子】聴覚障害者や視覚障害者が学ぶ筑波技術大学(つくば市天久保)が今年度取り組んだ「博物館の手話ガイド育成支援プロジェクト」で、手話通訳ガイド3人が新たに誕生した。2日、同大でプロジェクトの報告会が開かれ、同大と共にガイドの育成に取り組んだ博物館など3館と、ガイドを目指して研修に励んだ3人が成果を報告した。

誰もが分かりやすい展示と案内によって情報のバリアフリー化を進め、みんなが楽しめる博物館を実現していこうと、同大産業情報学科の生田目美紀教授(感性科学)の研究室がクラウドファンディング(資金調達)を実施し、約150万円を集めて6月から約半年かけて取り組んだ(7月24日付)。

ガイドになった3人はいずれも聴覚障害者で、上野の国立科学博物館などで約2カ月間、研修を受け、同館スクールプログラムの手話通訳ガイドになったつくば市に住む同大4年の西野弘二さん▽千葉市科学館で研修を受け同館のガイドになった千葉市に住む宮崎有佐さん▽アクアワールド県大洗水族館で研修を受け、同館のガイドになった那珂市の小林裕美さん。3人は今後、利用者から要望があれば、それぞれの博物館などで手話通訳ボランティアとして活動する予定だ。

「子供たちの視野広げるきっかけになる」

2日の報告会では、ガイドになった西野さんと宮崎さんらが、3館の担当者と共に研修内容や課題などを報告した。

このうち国立科学博物館で研修した同大4年の西野さん(22)は、同館が小中高校や特別支援学校の児童・生徒向けにもともと用意している体験学習プログラムの一つを活用して手話通訳に挑戦した。ばらばらになった骨で人体模型を組み立てるという体験プログラムで、西野さんは、同館に通って実際にプログラムを体験したり、自分で骨について調べ専門用語をあまり使わずに説明する方法を考えた。同大は、手話だけでなくタブレット端末を見せながら説明する画像などを新たに用意した。約2カ月間の研修後、聾(ろう)学校の生徒を対象に同博物館で手話通訳ガイドを実践した。

福井県出身の西野さんは子供の頃、親に連れられてよく県立恐竜博物館に足を運んだという。しかし視覚的情報しか得られず「見て『すごいなー』と感じて終わりだった」。親はその後、何度も、西野さんを恐竜博物館に連れて行ってくれたが、西野さん自身は毎回「すごい」と感じただけで終わりで、そのうち疲れてしまったと振り返った。

一方、今回、手話通訳ガイドとして国立科学博物館で体験プログラムの案内をしたことで、人の骨について学んだ聾学校の生徒が、動物の骨格と人の骨格を比べたり、なぜキリンの首は長くなったのか興味をもつようになったなど「すごいと感じて終わりでなく視野を広げられるようになった」と感じた。西野さんは「聴覚に障害のある子供たちが、自分で調べる姿勢を育むきっかけをつくることができれば」と話す。

同大は来年度、手話ガイド導入を検討している博物館や水族館、動物園などと、手話を生かして活動したい個人をつなぐ活動を続ける予定だ。生田目教授は「両者をつなぐお手伝いをして、施設がより親しみやすいものになれば」と話す。

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)