火曜日, 9月 9, 2025
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【アングル土浦市長選】1 本格的人口減少期に突入 上野東京ライン効果で新たな変化も

【鈴木宏子】任期満了に伴う土浦市長選が11月3日告示、10日投開票で行われる。現職の中川清氏と、新人で県議の安藤真理子氏が立候補を表明している。市長選を前に、市政の課題を追った。

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2015年から本格的な人口減少期に入ったとされる土浦市で昨年、新たな変化が起こった。今年発表された県常住人口調査で、同市の2018年の社会動態が9年ぶりにプラスに転じたことが分かった。昨年1年間によそから引っ越してきた転入者が、転出者を416人上回ったのだ。

同市の社会動態は、2002年以降、一部の年を除いて転出者が転入者を上回りマイナス基調で推移してきた。15年にはマイナス411人まで拡大、その後16年、17年はいずれもマイナス63人とマイナス幅が縮小していた。18年についにプラスに転じ、プラス基調が続いている。

市政策企画課が18年の転入者の内訳を分析したところ、東京からの転入者が増えるなどしたことが分かった。2015年3月にJR常磐線が上野から東京・品川に延伸され、上野東京ライン効果が現われたとみられる。

人口減少を抑制しようと、市は15年10月に第1期の「市まち・ひと・しごと創生 人口ビジョン・総合戦略」を策定し計107事業を展開してきた。同課は、事業の成果が現われたと評価する。

自然減が社会増を飲み込む

一方、社会動態がプラスに転じたという新たな変化に反して、同市は、国立社会保障・人口問題研究所の推計をもとに、現在策定中の第2期(2020年度から5年間)人口ビジョンで将来人口推計を下方修正する方針だ。

社会増という新たな兆しが見えたものの、少子高齢化の進行による出生数の低下と死亡者数の増加という自然減の割合が大きく、自然減が社会増を飲み込んでしまっている。

これについて市は、一人の女性が産む子供の平均数、合計特殊出生率が上がらないことのほか、20代後半の年齢層で0~4歳の子供をもつ子育て世代の転出超過が課題だと分析している。結婚し子供ができて家が手狭になり、マイホームを購入したり、より広い住居に引っ越そうとする際に、隣接のつくば市や阿見町に転居してしまうと推測されるとし、今後、この世代への施策が課題になるとする。

住民生活、地域経済、行政運営に影響

同市では、2000年の14万4106人をピークに人口減少が始まり、2015年から本格的な人口減少期に入った。全国平均より進行が若干早く、2017年に14万人を下回った。今年10月1日現在の人口は13万8517人。9年間でピーク時より3.88%減少した。65歳以上の高齢化率は現在、市全体で29%となり超高齢社会に入っている。

人口減少が地域に与える影響として市は、同人口ビジョンで①空き家・空き地が増え住環境や防犯面の悪影響が懸念される②市場が縮小し地域の商業・サービス、公共交通が減少し利便性が低下する③高齢の交通弱者が増加し移動手段の確保など新たなサービスが必要になる④地域コミュニティの担い手や縮小により行政負担が増える⑤働き手が減少し労働力の確保が難しくなる⑥農業の担い手が不足し遊休農地が増える⑦税収が減る一方で社会保障費が増える⑨廃校や廃止施設が増えるーなど住民生活、地域経済、行政運営の面で11の課題を指摘している。こうした課題にどう向き合うのかが問われている。

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何もしない夏《続・平熱日記》184

【コラム・斉藤裕之】辺りが薄明るくなってくると最初の1匹が鳴き始める。それに応えて「カナカナ…」と仲間のヒグラシが鳴き始める。サンダルを履いてなだらかな砂利道を下る。数メートル先を白く丸まったパクの尻尾が進む。しばらく行くと道は2つに分かれる。その先の田んぼから聞こえるのはフロッグコーラス。 本当にかの合唱曲のようなコンダクターがいて、最初の1匹が「キキッ、キキッ」というような少し高い声を出すと、続いて一斉に「ケロケロケロケロ…」と合唱が始まる。広い田んぼにはいくつかのコーラスグループがあるようで、こちらの合唱団が鳴き始めてしばらくすると離れた所の合唱団が輪唱で追いかける。 この夏も山口の弟の家で過ごした。山の中にある家を一歩出ると、メススリという小さなハエが鬱陶(うっとう)しく顔の周りを飛び交う。メススリという名前の由来の通り、人の涙をすすりにくるという。 湧き出る水辺にはイモリの赤ちゃんがいた。イモリはが脱皮するということも初めて知った。モリアオガエルの目は金色だった。薪(まき)小屋の上にたわわになっているサルナシの実を見つけた。初めて食べたのはチャンバラ貝。ふたの部分に刀のような突起がある。田んぼで白と黒の大きな鳥を見かける。もしやと思ったらやっぱりコウノトリだった。 日本海の小さな港。堤防から覗(のぞ)いた海面には葉っぱ? 黒く体の色を変えたイカの赤ちゃんの群れがぷかぷか浮いていた。 初めて訪れた中古レコード店。私の漠然とした要望にサクサクっと店主さんが選んでくれた数枚のレコード。どんな曲だろう。それから廃材でポストを10個余り作った。パクを皮膚病の治療もかねて瀬戸内海で3回泳がせた。あまり海も泳ぎも好きではなさそうだったが…。 それから山の中にぽつんとある「ロバの本屋」に行った。小さな納屋のような建物を改装した店内に入ると、犬のビクターが出迎えてくれた。必要最小限に手を加えられた内装や古い棚やテーブル、店主さんのセンスで選ばれた本や文房具、糸や布の手芸用品が並ぶ。ちょうど終わった作品展「かみさまのようなもの」の陶器のオブジェがそのまま置いてあった。 また絵を描きたくなった 還暦を過ぎた弟は潔く大工をやめることにしたらしい。私はといえば未練がましく絵を描き続けていこうと思っている。正直、足腰や目、歯、見てくれは年相応にくたびれてきたのを感じることもあるけれども、ときどき中身は若い頃とさほど変わっていないように感じることがある。無知で未熟なままの…。 木製の古い窓から真っ青な夏空の見えるカフェスペースで、べったりと寄り添うビクターを撫(な)でながらコーヒーをすすった。また絵を描きたくなった。ロバの本屋に訪れてよかったと思った。 夕方、アブラゼミやニイニイゼミに代わってヒグラシが鳴き始めた。今日も暑い1日だったが、山の中の家は夕方になると涼しい風が吹いて夜は布団を被(かぶ)らないと寒いくらいだった。何もしない夏は何もないわけでもなかった。(画家)

吉田光男さんの随筆集「おとな日和」《邑から日本を見る》186

【コラム・先﨑千尋】水戸芸術館の設立と運営に尽力した水戸芸術振興財団元副理事長の吉田光男さんが亡くなって3年。このほど吉田さんの随筆集『おとな日和』が発刊され、私は佐川文庫を主宰する佐川千鶴さんを介して手にした。品格のある装丁とタイトルがいい。 吉田さんは私の高校の10年先輩で、水戸市内などで手広くガソリンスタンドやレンタカー・カーリースなどを経営している吉田石油のオーナーだった。粗野な私にとっては別世界の人で、生前にお目にかかることはなかった。元水戸市長の佐川一信さんの懐刀で、水戸芸術館の設立と運営に大きな役割を果たした人、という程度の知識しかなかった。 本書は「おとな日和」「芸術館開館に向けて」「日々雑感」など6章から成る。吉田さんが生前に書き残した随筆などをまとめたもので、軽妙洒脱な文が読む者を魅了する。 「水戸を日本一の文化都市に」 茨城県は今でも魅力度ランキング最下位の常連。水戸も「殿様」と「納豆」しかなく、文化果つるところ。その水戸を日本一の文化都市にしようと意気投合したのが吉田さんと佐川さんだ。ともに学問・芸術好きで、水戸学だの殿様などを評価しないこと、水戸に何かを付け加えなかったら水戸はダメだと焦っていること、などが共通点だったという。その新しい何かが水戸芸術館だった。 水戸芸術館は建築家の磯崎新の設計。遠くからも見える、正四面体を重ねてできた三重螺旋(らせん)の塔。それに、音楽ホール、演劇ホール、美術館の3つのホールが、緑の芝生を囲む形に配置されている。広場では縁日や野外劇などが行われ、暮れにはベートーヴェンの「第九」の演奏が名物になっている。 ホールはそれぞれ専用で、貸しホールにはせず、すべて独自のプログラムが組まれる。容れ物ができればそれでいいというのではなく、佐川市長は芸術館の運営に市の総予算の1%を充て、吉田秀和さんを初代館長にした。小澤征爾、森英恵、小口達夫などの超一流メンバーが集い、それぞれが水戸のために渾身の力を込めて一肌脱いでいる。 水戸芸術館管弦楽団は、世界中に散っている日本人演奏家の精鋭を集めて組織され、コンサートの切符はなかなか手に入らない。「芸術の梁山泊」が水戸芸術館だ。吉田さんは「日本にカジノを作っても、誰もその故に日本を尊敬する人はいない。政治の品性は一国の文化の程を決めてしまう」と書いている。 無類の本好き、骨董好き 本書を読んでわかったことだが、わが国の公害問題研究の第一人者である宇井純は、小学校時代、吉田さんと同級生だった。石岡市八郷地区で百姓暮らしをしている筧次郎さんは水戸の生まれであることは知っていたが、吉田さんの家の近くの人で、筧さんの野菜を食べていたという。 吉田さんは無類の本好きで、いつも本を読んでいた。本書にも古今東西の文献の引用が随所にさりげなく出てくる。水戸にゆかりのある作家の立花隆は「知の巨人」と言われていたが、吉田さんも知の巨人と言っていいのではないか。 また、無類の骨董好きでもある。この秋、水戸市泉町に開館するテツ・アートプラザ内の「クヴェル美術館」で、吉田さんが収集したシルクロードの仏教美術や陶磁器のコレクションが展示されるというので楽しみだ。なお、本書は非売品。水戸市内の図書館などで閲覧できる。(文中一部敬称略) (元瓜連町長)