月曜日, 11月 17, 2025
ホームスポーツ【茨城国体】土浦出身 澤山あおいがジュニア日本新 つくばでパワーリフティング

【茨城国体】土浦出身 澤山あおいがジュニア日本新 つくばでパワーリフティング

【池田充雄】第74回国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」公開競技の一つ、パワーリフティング大会が21日、つくば市のつくばカピオで開幕した。初日は成年女子軽量級・重量級、成年男子59キロ級・66キロ級の計4階級が実施された。県勢は女子軽量級で土浦出身の澤山あおいがジュニア日本新記録で準優勝、男子は59キロ級で取手市出身の消防士、蛯原孝晴が優勝した。

女子軽量級では澤山あおい(パワーハウスつくば)が準優勝、しかもベンチプレス77.5キロとトータルスコア347.5キロはいずれもジュニア日本新記録というおまけ付き。「茨城の団体優勝に貢献したい思いと、自分の記録を目指す気持ちで臨んだ」と話す澤山は、土浦市出身の21歳。常総学院高のときパワーリフティングを始め、今は大学生活のかたわらジムに通う。トータルの日本新を狙った最後のデッドリフトは「上げなきゃという気持ちと、皆さんの応援のおかげで」重かったバーベルもだんだん上がっていき、最後に思わず笑顔になれた。

女子重量級の堀越百恵(常総学院高3年)は4位。結果に対し「3位以内が目標だったので悔しい。自分に勝てなかった」と涙。デッドリフトの3回目では、2回目より17.5キロ増の145キロにチャレンジ。成功していれば表彰台の可能性も残っていた。「初めて挑戦する重さだったが自信はあった。ここで上げないと県代表として、応援してくれる皆さんに恩返しできない」と、強い気持ちを持って臨んだ。同高パワーリフティング部の前田俊佑顧問は「受験勉強もしながらここまで頑張ってくれた。悔いはあると思うが、十分いい勝負ができた」とねぎらった。

取手市出身の消防士、蛯原孝晴が優勝

デッドリフトで優勝を決め、雄叫びを上げる蛯原

男子59キロ級優勝の蛯原孝晴(MNW)は、デッドリフトの3回目で勝負に出た。競っていた相手が220キロを上げたのを見て、直前で222.5キロに変更。トータルで同じ重量なら、体重の軽い蛯原の方が勝ちとなる。「優勝がかかっているので必死で上げた。地元の大会であることが力になった」と、見事に成功させた。取手市出身の消防士。土浦日大高と帝京大学で柔道に打ち込み、古傷があったひじを今年手術。予選のときは回復の途中で、記録も低調だった。「出場しなかったら記録も何もない。とりあえず順位のことは考えず、調子を見ながら淡々とできたことがよかったのでは」と、望外の勝利を喜んだ。

男子66キロ級準優勝の飛田渉(エニタイムフィットネス水戸赤塚店パワーリフティング部)は、自らを「先行逃げ切り型」と評する。その言葉通り、スクワットとベンチプレスで2位を12.5キロ引き離してトップに立つ。しかしデッドリフトが思いのほか伸びず、チャレンジに出た相手に最後に上回られた。常陸大宮市出身で職業は蛯原と同じ消防士。以前から筋トレは体づくりのためにしていたが、2年前に消防学校の講師で来てくれた蛯原の勧めでパワーリフティングを始めた。「マイナーな競技だが、自分も少しでも魅力を伝えられたらいい」と話す。

23日までの3日間。22日は成年男子74キロ級・83キロ級・93キロ級が行われる。

下位を大きく引き離した飛田のベンチプレス

※県勢記録
【成年女子軽量級】2位=澤山あおい(347.5キロ)▽14位=藤崎晴美(235.0キロ、水戸市パワーリフティング協会)

【成年女子重量級】4位=堀越百恵(310.0キロ)

【成年男子59キロ級】1位=蛯原孝晴(537.5キロ)

【成年男子66キロ級】2位=飛田渉(615.0キロ)▽12位=西川明男(527.5キロ、個人参加)▽15位=飯村貴弘(515.0キロ、パワーハウスつくば)

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3S政策とマリリン・モンロー《映画探偵団》94

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自動運転中の低速車両が接触事故 つくば市が実証実験

運行中止、原因検証へ つくば駅周辺でつくば市が実証実験を実施中の低速自動運転モビリティ(車両)が12日午後2時30分ごろ、自動運転中、同市竹園1丁目のイベントホール、つくばカピオの敷地内に設置されているスロープを時速3キロで走行し方向転換したところ、スロープの手すりに接触する事故を起こした。同市が13日発表した。事故時、運転手と一般の乗客2人の計3人が乗車していたが、けが人は無かった。 事故を受けて同市は12日午後、運行を中止した。同市科学技術戦略課は、原因を検証し適切な対策が講じられるまで運行を取り止めるとし、再開は未定としている。 同課によると、12日正午ごろから自動運転に使用している人工衛星の信号受信が不安定になり、補正信号の切り替えを行うなどの対策をして運行していた。午後2時30分ごろ、スロープを走行し方向転換した際、軌道がやや内側に寄っており、内輪差により、車両右側の路面から高さ30センチ付近がスロープの手すりに接触し、車両に長さ40センチほどのこすった跡ができた。同乗して自動運転を監視していた運転手はスロープに接触しないと判断しブレーキを踏む対応をしなかった。 接触事故後、車両は乗客2人を乗せたまま、つくばセンター広場まで戻った。運行事業者はその後、同市に連絡。警察に通報し、物損事故として現場検証などが行われた。 モビリティは、ゴルフカートのような4人乗りの車両。つくば駅前のつくばセンター広場からカピオまで片道約400メートルのペデストリアンデッキを、時速3~10キロ、片道約10分間、一般の人を無料で乗せて往復していた。子育て世代向けの移動サービスとして「こどもMaas」と銘打ち、同市が車載機器専門商社の東海クラリオン(名古屋市)に委託して運行している。運行期間は11月5日から16日までの間の10日間と、来年1月15日から26日までの間の10日間の2回で、今年度の事業費は約1800万円。運行を始めた昨年度は事故は無かった。 自動運転は、GPSを補強・補完する高精度の日本の準天頂衛星システム「みちびき」からの情報と、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が開発したソフトを使って車両の位置や方位を求めて運行する仕組み。運転手が同乗し監視しながら運行するレベル2での実証実験で、建物や樹木があって衛星からの信号が届きにくい場所では車両に搭載したセンサーを使う。2回の運行期間のうち、11月は、人工衛星と地上の基地局の両方からの位置情報を受信し自動運転する実証実験で、来年1月は、地上の基地局からの情報を使わず、人工衛星と三次元の地図情報を使い自動運転する計画だった。 12日の接触事故は、地上の基地局からの情報を、別の基地局の情報に切り替えた直後に発生したという。事故を受けて市は、委託先の東海クラリオンに対し、運行取り止めを指示したほか、安全・安心な運行を徹底するよう強く申し入れたとしている。