ホーム 土浦 重陽の節句、土浦彩る 90店に菊被綿とかれんびな

重陽の節句、土浦彩る 90店に菊被綿とかれんびな

土浦駅前の商店や銀行など約90店の店頭に9日から、菊の花の上に赤、白、黄色の綿をかぶせた「菊被綿(きくのきせわた)」と、土浦特産のハスの花托(かたく)で作った「霞蓮雛(かれんびな)」が飾られ、市中心市街地を彩っている。

健康長寿を願う五節句の一つ「重陽の節句」(9月9日)にちなんだまちおこしの取り組みで、市内の商店や事業主の女性12人で構成する同好会「菊被綿文化を守る会」(木村恵子会長)が作り、各店が飾り付けた。5年前から毎年秋に催している。

五節句は季節の変わり目を表す中国の暦。中国では奇数は「陽」、偶数は「陰」とされ、奇数の中で最も大きい数字の「9」が重なる9月9日は、めでたい日とされた。日本に伝わると、平安時代に宮中行事となり、8日の夜に菊の花を赤、白、黄色の真綿で覆い、翌朝の9日、菊の露と香りが移った綿で体を拭い、長寿を願ったとされる。

これを再現し、各店の店頭に、色を染めた真綿を菊の花にかぶせた手作りの菊被綿を飾った。会長の木村さん(74)によると「重陽の節句を知らない人が多いので、店で菊被綿を展示してもらうことにより、お客様とのコミュニケーションにつなげてほしい」との思いで始めた。

重陽の節句には、3月3日のひな祭りに飽き足らず、9月9日に再びひな人形を飾る「後(のち)の雛」という江戸時代の風習もある。守る会では「土浦ならでは」を考え、霞蓮雛も手作り。ハスの花托でひな人形をつくり、衣裳は折り紙でていねいに作り上げた。

木村さんは「5回目になり展示場所がつくばにも広がった。千年昔の伝統を身近に感じていただけたら」と話している。

展示は10月7日まで。展示場所など詳しくは菊被綿文化を守る会(電話029-821-1607=すがた美容室 )まで。

スポンサー

LATEST

コロナ禍の生活困難者支援団体を応援 市民基金が9団体に助成

【山崎実】茨城のための市民コミュニティ基金「いばらき未来基金」(水戸市、事務局・茨城NPOセンター・コモンズ内)は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で生活困難な県民を支える活動を応援する「誰かのために募金」を創設した。 これまで集まった寄付約260万円(協力44人・団体)を原資に、つくば市の居住支援法人LANSなど9団体(総額200万円)に助成することを決め、15日水戸市内で助成金贈呈式を行った。 いばらき未来基金は、地域のつながりを育む市民活動と、それらを応援する市民や企業などをつなぐ市民コミュニティ基金で、NPO、労働組合、農協、生協、大学などで構成する運営委員が連携し、コモンズ内に事務局を設置した。 2012年から運営を始め、「誰かのために基金」は未来基金活動内の基金の一つ。 助成金は県内各地で支援活動を行う団体などに贈るもので、「多くの県民からの寄付が地域で役立てられ、団体同士のつながりをつくり、活動を多くの県民に知ってもらいたい」と期待している。 助成団体と活動内容は次の通り。

10カ月ぶり出場の高橋竜也が判定勝ち コロナ禍、声援禁止し拍手で応援

【崎山勝功】日本バンタム級7位の高橋竜也(29)=土浦市出身、ヤマグチ土浦=が20日、つくばカピオ(つくば市竹園)で催された「東日本大震災復興チャリティー ダイナミックヤングファイトボクシングinつくば」(ヤマグチ土浦ボクシングジム、ヤマニ主催)に出場し、城後響(26)=大阪府出身、三迫=と対戦、3―0で相川に判定勝ちを収めた。高橋の通算成績は今回の勝利を含め47戦32勝21KO9敗6分。 高橋は昨年11月9日の試合で負傷して以来約10カ月ぶりの出場となった。中盤辺りから積極的な攻めを見せキレのある攻撃を展開、左ストレートを城後の顔面に決めるなど攻勢を強めたが、城後も粘り強く試合を進め、全8ラウンド(R)終了し、判定に持ち込まれた。結果、3人の審判が高橋優位と判定し、勝ちが決まった。 試合後、高橋は「声援が無くても応援してくれる気持ちは伝わった。チャンピオンになってみんなに感謝を返したい」と、今後への意欲を示した。 根本は判定負け、人見は3R TKO負け 同日の試合では、根本裕也(34)=つくば市出身、同=もスーパーウエルター級で足名優太(26)=東京都出身、渡嘉敷=と対戦。出血しながら全6Rを戦い抜き善戦したものの、判定で勝利を逃した。根本の通算成績は17戦6勝1KO9敗1分。根本は「ちょこちょこと相手から(パンチを)もらっていた。相手の方が強かった」と試合を振り返った。

創作版画の草分け 永瀬義郎展 つくばの古書店

【池田充雄】県西出身で大正・昭和期に活躍した版画家、永瀬義郎の作品展「創作版画の草分け 永瀬義郎展」が、つくば市吾妻の古書店、ブックセンター・キャンパスで開かれている。展示作品は版画や絵皿など14点。一部は額装されて店頭に飾られている。ほかに表紙画を描いた雑誌や著書、画集なども展示している。 永瀬は1891(明治24)年、現在の桜川市入野に生まれた。県立土浦中学校を卒業後、白馬会洋画研究所を経て東京美術学校彫刻科に入学。ムンクの作品に影響を受け、版画制作を始める。1912(大正元)年、詩人、日夏耿之介や西條八十らが創刊した文芸同人誌「聖盃」(後に「仮面」と改題)に参加。表紙画や口絵を手掛けたほか、小説や戯曲、詩なども発表した。 同人誌「仮面」より、永瀬が表紙を描いたもの 創作版画に対する考え方は「仮面」1914(大正3)年9月号掲載の評論「現今の版画に就いて」に詳しい。当時、自画自刻の版画作品が増えてはいたが「皆装飾的趣味の遊技的産物に過ぎず、版画の独立した芸術としての価値を発揮している者は一人もない」と嘆き、一方で長谷川潔に対しては「白と黒の調和を基礎として簡潔にして偉大な印象」と讃え、広島新太郎については「刀のテクニックにも他の人と違った切れ味」があり「従来の版画と違った近代思想に触れた氏の個性のひらめき」が認められると述べた。 1916(大正5)年、永瀬・長谷川・広島の3人は本邦初の版画結社「日本版画倶楽部」を結成したが、翌々年には長谷川がフランスへ活動拠点を移し、自然消滅した。後に広島は晃甫の名で日本画家として名声を高め、永瀬は山本鼎らが創立した日本創作版画協会に活動の場を移していく。 1922(大正11)年に永瀬は技法書「版画を作る人へ」を上梓。当時の美術書としては異例のベストセラーになり、棟方志功や谷中安規ら多くの版画家に影響を与えたほか、多様な分野の芸術家に斬新な発想の転換をもたらしたという。今展では旧版と新版を展示しており、旧版の方は木版刷りの口絵が殊に美しい。

国勢調査の世帯一覧表を紛失 つくば市の調査員

つくば市は20日、同市沼田地区を担当する国勢調査の調査員が、25世帯の個人情報が記載された調査世帯一覧表1枚を紛失したと発表した。 市によると一覧表には、世帯主の氏名と住所、家族の男女別の人数などが記載されていた。 市企画経営課によると、調査員は19日午後10時ごろ、自宅で、国勢調査の書類の確認をしたところ、調査世帯一覧表1枚が無くなっていることに気付いた。自宅などを探したが見つからなかった。 翌20日朝、前日に調査票を配布するため訪問した世帯や移動経路を探したが発見できなかったことから、同日午前9時30分ごろ、警察に遺失届を出した。 市は21日以降、一覧表に個人情報が記載されていた世帯に状況を説明し謝罪するとしている。 さらに再発防止策として全調査員と指導員に対し、調査書類や個人情報に細心の注意を払い、書類の管理徹底やマニュアル遵守について改めて注意喚起するとしている。
おすすめ